『東京大学物語』の卓球勝負

泊まったホテルにはマンガや本がおいてある図書室があって、読み放題である。

そこで『東京大学物語』というマンガをパラパラとめくっていたら、なんと主人公たちがかなり多くのページを費やして卓球の勝負をする巻があった(第8巻だ)。

その描写が意外にもしっかりしているのに感心した。後の『ピンポン』にも通じる激しい描写だ。しかし、さすがに著者の卓球研究力にも限界があると見えて、あるコマではシーミラー・グリップなのであった。

なお、このマンガは基本的に男の妄想の結晶のようなマンガなので、読んでみようと思う方はこの点をご理解願いたい。

豚丼屋

夕食は、ホテルの向かいの豚丼屋に入った。

この豚丼屋が、やたらとなんでもかんでもこだわっている店だった。そもそも「こだわる」という言葉はほんの80年代中頃までは「些細なことにとらわれる」という悪い意味しかなかったのだ。それが、グルメブームの影響などがあって、職人の気配りの意味でも使われるようになって今や、どいつもこいつも「こだわり」を競い合ってるかのようでさえある。

豚丼屋のこだわり具合を見て、あらためて本来のネガティブな意味での「こだわり」を思い出し「そんなにこだわるなよ」などと思ってしまった。

ちなみに、豚丼はとても美味しかった。さすがに「こだわらせていただきました」というだけのことはあるということか。

ホテルの外国人たち

仕事で泊まったビジネスホテルの館内に、サービスの案内のポスターが貼ってあったのだが、ベッドメイクをする人がなぜか外国人の顔をしていた。「ご意見・ご要望等、なんなりとお申し付けくださいませ」とあるので、よっぽど「あの外国人はどこにいるのでしょうか」と聞こうかと思った。

ちなみに、部屋でくつろぐ客の写真もこれまた微妙に国籍不明である。

なぜ普通に日本人のモデルを使わないのだろうか。メリットがあるとは思えないのだが。

恐るべき銀行員

アメリカに住んでいたとき、ある銀行が電話で日本語のカスタマーサービスをやっていて便利だったので、そこを使っていた。

何度か電話で手続きをして大抵は問題がなかったのだが、一度だけ強烈な女性に当たったことがある。

「伊藤条太と申します。」
「はいっ?」
「あ、伊藤条太と申します。」
「はいっ?」
「・・・えーっと、私、今そちらに口座を持っているんですけれど・・」
「はいっ?」
「あの、口座を持っているんです」
「はいっ?」

と、ここいらでやっと私は気がついた。この「はいっ?」がこの人の普通の返事の仕方だったのだ。アメリカ暮らしで日本語が破壊され、なおかつすっ頓狂に張り切った気持ちが入ってこんなアクセントになるのだろうか。
日本でも、質問でもないのに語尾上げを連発する、何か神経の配線が逆にでもなってるんじゃないかと思うような人がいるが、それでもまだ流行だから仕方がないと思える。この人は誰の影響でもなく一人でこういう話し方をするのだ。これをやられたら、どんな人でも聞き返されているとしか思えないから、必ず2回づつ答えるはずだ。「みんないつも2回づつ同じことを言うなあ」なんて、自分のせいだとも知らずにこの人は思っているのに違いない。

アクセントひとつでコミュニケーションを完全に粉砕する、まことに恐るべき銀行員であった。レッド・ツェッペリンの『コミュニケーション・ブレイクダウン』という曲が頭の中で鳴り響いた。

荻村伊智朗の日記

このDVDに、荻村伊智朗の日記が映し出される場面がある。
1954年にロンドンでの世界選手権で初優勝した直後の日記だ。

以下に、画面から読み取った文面を書く。漢字などを読みやすいように変えてある。

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日本の卓球が国際スポーツの仲間入りをしてから三人の名選手が出た。
今、藤井、佐藤の三君がそれだ。
しかし、実際に日本の卓球に影響を及ぼしたのは今、藤井の両君だ。
そして、第三の創造的プレイヤーが荻村だ。
今はその守備を主体としてゆるい正確なplacementによる攻撃をもって、第一期のオールラウンド時代を築いた。
藤井は、強力な決定球を、自己中心的に駆使して、後年、守備としてのショート、カットを併用して、第二期のオールラウンド時代を築いた。
これまでは、卓球の研究方法が、もっぱら技術を受け継ぐ方法を採り、今、藤井それぞれ世に何らの科学的、理論的“技術”を残さずに終わった。
真の近代スポーツは科学に立脚した研究方法また練習方法を持つ。
荻村の卓球における使命は、卓球をして、近代スポーツの仲間入りさせることにある。彼の理論は近代科学に立脚せねばならない。いかなるスポーツに比しても、遜色なき理論的科学的“技術”及び“技術の修得法”を創成するのが彼の使命である。
彼は自ら範となってそれを示す。
彼の卓球史における役割は、過去の何人よりも大きい。
1954.9.30

フォームの一角を形成するスウィングは大抵の場合、練習したようにできることが多いが、身体はまず理想的な体型とは程遠いと思わなくてはならない。
だから、身体が崩れただけスウィングを変化させて、初めてひとつのまとまったフォームである。
格に入りて格を出でざるは悪しく
格に入りて格を出づるは良し
1954.10.9

負けてから発奮するくらいなら今から発奮しろ。
負けるのを待つな。今、負けたと思え。
(日付読み取れず)

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こんな日記を21歳の彼は書いていたのだ。単に志が高いとかいうのではなくて、病的というか化け物というか、とにかく、モノが違うという感じがする。荻村伊智朗は、ハナっから常人ではなかったということがよくわかる。誰の相手にもならんだろこれは。相手にしたくないというか。

大会記録集

すごいのはこの大会記録集だ。

国内の試合は準々決勝からゲームカウントまで載っているし、準決勝からはスコアまで載っているのだ。

そして世界選手権は予選リーグからスコアまで載っているのだ。

その筋のマニアの方なら必携の書物である。
ぜひとも日本卓球協会のホームページからお買い求めいただきたい。
http://www.jtta.or.jp/
価格は2冊セットで6,000円だ。

記念誌本編

本編は、日本の卓球の歴史を俯瞰した内容だ。藤井基男さんが執筆した部分もあるためか、自身の著作『卓球物語』『知識の泉』と重複する内容も多いが、貴重な内容になっている。

特に私が嬉しかったのは、ルールの変遷のまとめだ。こういうものは意外とないのだ。

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