月別アーカイブ: 9月 2007

ステーキ対焼肉

ドーサンにはとても美味しいステーキ屋がある。ある人によれば、ニューヨークでもこんなに美味い店はないというぐらいである。しかも高くても30ドルぐらいのものだから、日本で同じものを食べることに比べれば値段も安い。

たしかに慣れると美味いのだが、最初の頃は、なんだかもったいないような気がした。私は韓国の焼肉が最高の肉料理だと思っているので、ステーキのような分厚い肉を見ると「これを薄く切ったらどれほどの焼肉ができるだろう」と考えてしまうのだ。そこで、2回目の出張に来るときに、贅沢の限りを尽くした焼肉のタレを3種類買い込んで来たのである。それは確か「しょうが味」「にんにく味」「味噌味」の3つだったと思う。何が「贅沢の限り」かといえば、これを一気に3つも買ったところが贅沢なのである。2つまではありがちだと思うが、3つというのはなかなかできることではない。

それで、ドーサンについてすぐにステーキ屋に入り、分厚いステーキを韓国焼肉風に薄くスライスした。店員がいなくなったところでカバンから焼肉のタレを3瓶取り出し、これを順番にかけて食ってみたのである。と、どうしたことだろう。まずいことはないが、それほど美味くない。出されたステーキの塩コショウの方が美味いのだ。やはりステーキにはステーキ屋の味付けが一番なようである。プロの仕事にケチをつけるものではないなあと思った。以来、ステーキに焼肉のタレをかけたいという欲望はすっかりなくなり、おとなしく出されたステーキを美味しくいただいている。

雑誌『卓球人』

昭和22年発行の雑誌『卓球人』は、私の卓球王国での連載につながった特別な意味がある古本である。これを入手したときに、なつかしく読んで喜んでもらえそうな人ということで、『卓球物語』を書いた藤井基男さんに、読みたかった送るという趣旨の手紙をニッタク・ニュース付けに出したのである(藤井さんはニッタク・ニュースで連載していたからだ)。もちろん知り合いでもなんでもないのだが、さっそく返事が来て、これを貸したところ大変喜んでくれて、わざわざ仙台まで返しに来てくれた。以来、手紙のやりとりをさせていただくようになったのである。

何年かしたあるとき、仙台に来るというので昼食をご一緒することになった。そこで、「卓球本のコレクションがあるんだからこれを世の中に紹介することは卓球界のためになる。そういう連載をしたらどうか。その気があるなら雑誌に紹介する。」という話をいただいた。藤井さんへの手紙はいつも面白く書くように努めていた甲斐があったわけである。私は以前から卓球雑誌などで「特別寄稿」などという記事を見ると、「どうしてこんな人のが載るのに俺の文章が載る機会はないのか」と勝手な憤りを感じていたぐらいなので(当たり前なんだが)、願ってもない話であった。ところがその反面、締め切りに追われて連載を続ける自信はなかったのだから情ない話である。それで、喜んだものの断腸の思いで「仕事もあるので書く時間がとれず続ける自信がない」と断ってしまった。すると藤井さんが「伊藤さんね、物書きはヒマがあるから書くんじゃないんですよ」と言った。これはキツかった。私はすぐに考えが甘かったことに気づき「やります」と言ったのだった。それで卓球王国に紹介してもらい(編集部にはすでにいろいろな物を送りつけて断られている仲だったので少々気まずかったが)、連載にこぎつけたのである。

後日、藤井さんに「今野さん(卓球王国の編集長)、伊藤さんのこと知ってたよ。だいぶ有名みたいだね。」と言われて恥ずかしかった。人生、何がきっかけになるか分からないものである。

ともあれ、この『卓球人』は面白い。昭和22年発行なのに「あの頃を語る」とさらに昔を語ったり、卓球小説、卓球川柳などとにかく可笑しい。これを毎日1ページずつ紹介したいぐらいである。「電光石火」「意表を突く」とあるが、意表を突かれたのはこっちだって。

『根性の発見』

私が収集した卓球本で、特に気に入っているものは、いくつかの分野に分けられる。まず、荻村伊智朗のもの、次に古いもの、そしていわゆるトンデモ系のものである。

その中のもっとも極端な例がここに紹介する2冊である。なにしろ「根性の発見 人生と職場に活かす卓球観」である。説明不要だろう。素晴らしすぎる。

もう一冊が「女子卓球新指導」である。これも味わい深い書名である。ネットの古書店でこれを見つけたとき、私は飛び上がって喜んだのだが、なんと13,500円である。普通の卓球本が高くても3000円ぐらいなのに対して、これはないだろう。店主は完全に戦略を見誤っている。昭和初期の卓球の古本を買う奴など、どうせ日本に私しかいないのだ。こんな只でも要らないようなものにこんな値段をつけてどうする。さっそくその店にメールを出して「相場は3000円ほどではないでしょうか」と反省を促したのだが(相場などないのだが)、断られてしまった。まあ、放っておいてもどうせ誰も買わないのだから、そのうち値段を下げるだろうと考え、しばらく気長に様子を見ることにした。店主との我慢比べである。

で、3ヶ月で私が負けたのであった。これが今まで買ったうちでもっとも高価な卓球本である。

卓球本コレクション

私が卓球の本の収集を始めたのは、かれこれ15年ぐらい前になろうか。ある大きな古本屋で卓球の指導書が5冊も並んでいたのを見て「これを買ったら家のをあわせると10冊ぐらいになって壮観だろうな」と思ったことだった。それ以来、電話帳で調べて仙台市内の古本屋を一軒残らず回り、卓球専門店も周り、出張や旅行で古本屋を見つけると必ず入って古本を収集した。99年にインターネットをやるようになってからは収集効率が飛躍的に上がり、それがなければ一生買えなかったであろう本が買えるようになった。ネットの古本屋はもちろん、全国の大学や県立、市立の図書館にアクセスして、どんな本が発売されていたのかを調べ、場合によっては全ページコピーをしてもらったりして(著作権の問題があり、半分までしかコピーをさせてもらえないのだが、3番弟子の小室を使って二人がかりで申し込んだ)本を収集した。ただこの一点だけをもっても、私にとってインターネットは素晴らしいものである。

今では日本で発売された卓球関係の単行本のほとんどを持っている。年に1、2回、見たことがない古本が出てくるのがひそかな楽しみである。

恐怖の韓国雑貨店

ドーサンから車で40分ぐらい走った隣町のデルビルというところに、韓国人の経営する雑貨店がある。ここには、数多くの日本食品が常備してあるので、ドーサンに住む日本人にとってなくてはならない店である。ところがこの店、ひとつだけ問題がある。賞味期限である。いくら日本人が必要としているとはいえ、このあたりに日本人などほとんどいないのだから、どうしても商品の回転が悪くなる。そのため、おいてある品物の多くが賞味期限切れなのである。始めの頃は賞味期限以内のものしか買わなかったのだが、カップヌードルやスナックなど、賞味期限が過ぎたからと言って急に腐るわけもないので、数ヶ月ぐらいなら全然気にしないで買うようになった。

2000年に出張にきたあるとき、箱の色がすっかり薄くなったハウスのカレールーを見つけたのだが、なんと賞味期限が2年も前に切れている。こりゃひでえ、と面白がって手にとって「88年か」などと見ていたら、よく考えるとそれは2年前ではなくて12年前であることに気がついた。12年前に賞味期限が切れているカレールーなのである。これにはあきれてしまった。

このように、賞味期限がわかるものは実はまだいいほうである。1/3ぐらいの商品はことごとく賞味期限のところにシールが貼ってあって、わからないようになっているのだ。この12年前のカレールーをみてからは、わからないものは買わないことに決めた。

それにしても置いてある商品の怪しげなことよ。日本のメーカーのものも結構あるのだが、ちゃんとアメリカ用にデザイン、味とも改良(改悪?)されていて、微妙に変な味がする。それでもやはり我々日本人には他のものよりは口に合うのである。ほかにも、柿とかナツメとかの、わけのわからない缶ジュースが置いてある。かたっぱしから飲んでみたが、さすがの私も二度と飲んではいない。

これでも我々赴任者の間では「使い方さえ間違えなければ役に立つ店」という位置づけで重宝しているのである。

目を疑う話

「目を疑う」と言う表現があるが、これは大概は比喩であり、本当に自分の目の錯覚であることを疑うことなどない。しかし私は一度だけ、本当に「今のは見間違いではないか?」と思ったことがある。

それは忘れもしない、大学4年のとき、2年先輩の大学院生二人と研究室で世間話をしていたときのことだった。Mという先輩が、机の引き出しから耳掻きを取り出して、話しながら耳掃除を始めた。あまり見て楽しいものではないが、この程度なら会社でも見たことがあるし家でなら当たり前のことだ。ところがMさんは、耳掻きを耳から出した後、そのまま口へ運んだのである。私は「あれっ?今、何した?」と本気で自分の目を疑った。自分が何かを見間違ったのではないか、あるいは画像編集でもされたのかと思ったぐらいである。Mさんは世間話を続けているのだが、もうそんなものは私の頭に入らない。私は、今度は絶対に見逃すまいと、Mさんの行動に影響を与えないように平静をよそおいながら、耳掻きから目を離さないよう精神を集中した。次の瞬間、Mさんはその耳掻きをあろうことか鼻の穴に突っ込んで耳掻きのヘッドを上手にクリクリと回しながら壁面の鼻クソを掻き取り始めたのである。「まさか・・これも」と思う間もなくMさんはそれをこともな気に口に運んだ。その後も耳掻きは耳の穴と鼻の穴と口を何回か巡回し、Mさんは満足してそれを机にしまった。

Mさんがいなくなったあと、もう一人いた学さんという先輩に「今、Mさん、耳クソと鼻クソ食ってましたよね」と言うと、学さんは「そうなんだよあいつ。気持ち悪いから止めろって言ってるんだけど『僕は昔からこうだから気にしないで』って全然聞かないんだよ」と言った。気にしないでってあんた、気になるってそんなの。

これは、誰に話しても「絶対ウソだ」といわれるが、誓って本当の話である(フィクションだとしたらこんなもの可笑しくもなんともない)。

うちの子供はよく爪を噛むので止めろと言うと、彼らは美味しいのだという。兄弟どうしの爪でも美味しいという。指をなめていたときもそう言っていた。考えるのも不快だが、Mさんはおそらく耳クソと鼻クソ、どちらもそれぞれに別の味わいがあって美味しいと思っているに違いない。また、ある意味綺麗好きともいえるのかもしれない。それにしても不愉快な話である。恐れ多くも、同じ学科の他の研究室の教授の甥っ子だという彼が結婚したかどうかは知らない。

アイスコーヒー

アメリカ全体がどうかは知らないが、私が住んでいる町には基本的にアイスコーヒーというものはない。アイスティーならどこにでもあるが、コーヒーを冷やして飲む習慣がないのである。レストランで「アイスコーヒー」と言うと、冗談を言っていると思われて笑われたりするのだ。日本でいえば、「冷えた味噌汁をくれ」といったようなものだろう。それで「わかった。じゃ、コーヒーと氷をくれ」と言うとものすごく喜んで笑って用意してくれた。もちろん、もともと薄いコーヒーがもっと薄くなってしかもぬるくなってとても飲めなかった。

基本的にはそうなのだが、ある店のメニューにアイスコーヒーと書いてあったので頼んでみると、なんと店員どうしが作り方を相談し始めたではないか。「ただ氷を入れればいいんだろ」などと言っているのがジェスチャーからわかる。頼まれたことがないので作り方を知らないのだ。嫌な予感どおり、普通に作ったコーヒーに大量の氷を入れられて、目もあてられない薄くなったぬるいコーヒーを出された。

そんなこの町でも実はアイスコーヒーを飲む方法がある。缶コーヒーである。日本では喫茶店として有名な「スターバックス」の缶コーヒー(阿部さんはよくオートバックスと言い間違える)が、スーパーに唯一置いてあるのだ。買う人が少ないため、一缶2ドルとかなり高いのだが、これしかないので仕方がない。同じくスターバックスの瓶コーヒーもあって、コーヒー牛乳のような味で結構おいしい。

ちなみに、日本人が緑茶を冷やして飲むようになったのは、80年代に伊藤園がPETボトルや缶入りの緑茶を出してからのことである。それ以前には、冷えた緑茶を飲むなどありえなかった。しかし、用具マニアの友人「杉崎君」だけは当時から冷えた緑茶が大好きで、出されたお茶が冷えるのを待って飲んでいた。ときどき、そうとは知らない人に片付けられてしまい「せっかく冷やしていたのに」と怒って家人を困惑させたりしていた。

さて、ここまでは、普通の店を前提とした話である。実は車を40分走らせた隣町で、韓国人が経営している雑貨屋に行けば、なにやら怪しい商品がいろいろと買えるのである。写真のように、得体の知れない缶コーヒーが並んでいるのだが、どれもこれも薄くてまるであずきの茹で汁のような味である。ジョージア、UCCと書いてあるが、本当だろうか。この店の怪しさについては後で書くとしよう。

ヒゲ

いくらトリミングが好きだと言っても、まさか髪の毛をいろんな形にトリミングするわけにはいかない。仕事上もさしつかえがあるしそんなに髪もない。そこで目をつけたのがヒゲである。ヒゲなら、世の中にはいろんな形があるし幸いにも剛毛なので、電気かみそりの際剃り刃で剃るのはことのほか楽しいのだ。

まず、単純に何週間かヒゲを剃らないで伸ばし放題にする。学生時代によくやったのは、写真左のゴルゴ13のように、鼻の下をきれいに剃り、もみ上げからアゴにかけてくっきりと縁取りをするのである。なにやら異様な迫力になってとても面白いし「お前、本気でやっているのか」と言われてウケたものである。それに飽きてくると、今度はアゴを剃ってしまって、もみ上げだけえらのところまで長く残して「嫌な感じ」にする。これでまた大ウケである。最後にそれも剃って普通の人にもどるわけである。そのほかにも鼻の下を三角形にして真ん中を縦に割ったり、黒人みたいに2ミリぐらいの幅に細くしてみたり、いろいろと試した。

今回ドーサンに来たときは、まず一ヶ月ぐらいただ伸ばし、考えた末、鼻の下をチョビヒゲにしてみることにした。あごヒゲも残しておけば印象が拡散されて、見た人は一概に「ふざけている」とも断言できないだろうから仕事上もギリギリセーフだろう。チョビヒゲは、チャップリン、ヒトラー、加藤茶など錚々たる人物がはやしてきた由緒あるひげであるが、なにしろそいつらはコメディアンか悪人であるから、現代では好んでやる者はない。しかし彼らがやる前は、それがかっこいい時代があったはずである(そうでなくてどうしてそういうヒゲが歴史に残るだろうか)。どんなヒゲが可笑しくてどんなヒゲがかっこいいかなんて所詮は流行であり、時代と文化を超えた普遍性などないのだ。そんなことを考えながら、とにかく面白いので鼻の下をチョビヒゲにしてみたが、残念なことに意外に似合っているようで、あまり気づく人はいなかった。日本では普通だと思われたのかもしれない。

そうこうしているうちに家族が来てしまい(二ヶ月遅れで来たのだ)、全員の激しい反対に合ってすべて剃ってしまった。剃る前にチョビヒゲの間にスリットを入れてみた。さすがにこれで会社には行っていない。

芝生のトリミング

また不動産屋から、芝生をこまめに刈るように要請が来た。前に、2週間に一度ぐらい刈ってくれと言われたのだが、ためしに3週間ほうっておいてみたら、ついに「家の売れ行きにひびくので毎週刈ってくれ」と強く出られた。

仕方なくやる気を出し、ついでに芝生の縁を刈るトリミングの機械を買った。縁というのは、コンクリートや壁との境目であり、普通の金属の刃ではコンクリートや刃を傷つけるので、特別な機械が必要なのだ。日本でも売っていたのかもしれないが、私はこちらで初めてみてその巧妙さに感心した。

なんと、刃は金属ではなくて、釣り糸を太くしたような柔らかいポリエチレンのヒモなのである。尖っているわけでもギザギザしているわけでもない。これが高速で回転すると芝生程度のものは切れるのである。ひもは中で何メートルか巻かれていて、使っているうちに磨り減って短くなると少しずつ出てくるようになっている。さっそく狂喜して、芝生の縁という縁をそろえまくった。私はこういう、何かを切ったりすることが無性に楽しいのである。整理好きというわけではない。切る行為が面白いのだ。

思い出すのは、小学校5年生のときのことである。あるとき、授業中に「髪の毛をハサミで好きなように切って遊んだらどんなに面白いだろう」と思いついた。最後は丸坊主にすればよいので、その途中で遊べばよいのである。もう、とんでもなく面白いことを思いついたと思った。そう思うといてもたってもいられなくなり、学校が終わると大急ぎで家に帰って、裁ちバサミでメチャクチャに切って遊んだ。肝心のその部分は覚えていないので、大して面白くなかったのだと思う。遊び終わって、床屋に行くときに、恥ずかしくて帽子を被ったことを覚えている。また、床屋のおばさんになぜか責めるようなことを言われたのも覚えている。

次の日に学校に行くと、大騒ぎになった。学校には坊主頭の生徒はひとりもいなかったから、もう全員が寄ってきて大笑いしながら私の頭を触った。少しは恥ずかしい気持ちがあったのだが、あまりにみんなの嘲笑がひどいので、さすがに悲しくなったものである。ところが驚いたのはその日の道徳の時間である。先生が「条太君は勇気がある」と話しだし、本当の勇気とはなにかについて延々と語ったのである。勇気とは無謀なことをするのではなくて状況に流されずに正しいことをすることだというようなことで、友達に「馬の腹の下をくぐってみろ」と言われても、くぐらなかった少年の話を例に出していた。それはいいのだが、私の場合は、ただ単に面白いこと、やりたことをやっただけである。いわば自分の欲望に忠実に従っただけなのだから、勇気もクソもないのだ。それに、髪型で笑われることなど最初から屁とも思っていないので、勇気さえ不要だったのである。こういう、トンチンカンなことで誉められるのは本当に居心地の悪いものである。教壇に立たされて真っ赤になりながら「わかってねえなこの先生」と思ったものである。

ウインドブレーカー

もとの職場を離れるとき、課員たちから記念品をもらった。名前が入ったウインドブレーカーを特注で作って贈ってくれたのである。それはいいのだが、なにしろ胸のところにデカデカと「条太」と書いてるのだ。それだけではない。背中にはもっと大きく「○着魂」と書いてある。「○着」とは、私たちが関係している商品の製造工程の名前である。なんだか堅気ではないような・・。

これは日本ではとても着れない。せっかくもらったので、できるだけアメリカで着ようということで、毎日職場で着ている。今の職場は冷房が強すぎて寒いのでちょうどいいのである。めんどうなので昼食に出かけるときもこのままである。どうせアメリカ人は読めないから大丈夫なのだ。

ところがときどき日本人の来客があるときまでそのまま出てしまって「スーゴイ・・ですねえ・・」なんて言われて恥ずかしい思いをしている。いや、そう言ってくれる相手の場合は、説明したりして言い訳ができるのでまだいい。初対面だったりすると、最後まで何も言ってはこないのである。途中で気がついて「うわ。またやってしまった。」などと思ってももう遅い。いったい何事かと思っていることだろう。まあ、それも面白かろう。

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