築90年の家

よくものすごい回数引っ越した人の話を聞くことがあるが、私も普通の人よりは引っ越している方だろう。会社に入って5年間に5ヶ所に住んだのだ。もちろん記録を作ろうとか誰かから逃げようと思ったわけではない。そのときどきに理由があってのことだ(誰でもそうだと思うが)。

私は大学時代、親戚の家の庭にプレハブを建てさせてもらって、只で食事、洗濯をしてもらって7年間お世話になった。常に実家の監視下にあったので少々窮屈だったとはいえ、とても感謝している。それで、一人暮らしをしたことがなかったので、会社に入った年の7月にそこを出て、生れて初めてマンションで一人暮らしをはじめた。会社の人事からは寮に入るよう薦められたが、どうしても一人暮らしをしたかったのだ。時はバブル末期の89年で、洒落た感じの生活に浮ついたような満足感を覚えた。

それから1年たった頃、つげ義春の『李さん一家』というマンガを読んで、無性にボロ屋に住みたくなった。農家で育ったせいか、土とか古い木というものに愛着をおぼえるのだ。しかもボロ屋なら家賃も安いだろうし、いいこと尽くめだ。それでボロ屋を探そうとしたら、先の親戚が大家をやってたボロ一軒屋の一家が夜逃げをしたという。なんとタイミングのよい夜逃げだ。それで、そこに格安で入れてもらえることになった。望んでいた通りのボロ屋で、庭の土はへんに柔らかいし床は傾いていたし押入れからはなんともいえないカビ臭いにおいがして、大満足だった。夜逃げした人が置いていった荷物もそのままもらった。夜逃げをしたと知らずに訪ねてきた友達の女子高生を追い返したのもよい思い出だ。

その家に一年住んだ頃に、今度は結婚をすることになった。心機一転ということで、新居を探したのだが、私の考えは変わらず、妻と一緒にボロ屋を探しに不動産屋を回った(そのころはまだ妻は私の言うことを何でも聞いていた。今はことごとく反対である)。ある不動産屋で「古い家が好きで探している」と言うと、ありますよと一覧を出してくれた。そこにはなんと30年どころか、『築60年』とか『築80年』とか書いてある。私は「信じられない」と狂喜した。「こんなに古いのがあるんですか!」というと、女性店員が「そうなってしまうんですよ」と、こっちは喜んでいるのにすまなそうに言う。そのわりに家賃はさほど安いわけでもない。さすがにこれだけ古いとかえって維持費がかかるのだろうか。さらに見ていくと、『築90年』という物件があるではないか!「すげえ、ほぼ100年前の家か!」と思った直後、そうではなくて、1990年に建てられたという意味であることにやっと気がついたのだった。なんと紛らわしい。今でもこの不動産屋の表記はおかしいと思っている。

結局、そこでボロ屋を見つけて住んだのだが、2年ぐらいすると今度はどうしても卓球場がほしくなり(8/23参照)、家を建てて現在に至っている。結局、仙台市内にいながら5年間で5ヶ所に住んだことになり、友人からは「一体何をやっているんだ」と言われたが、事実はこういうことなのだ。4度の引越しのすべてを手伝わせた友人、杉浦君には申し訳ないことをしたと思っている。

それにしてもたった一話で、人に引越しまでさせてしまうつげ義春のマンガの力の凄いことよ。