月別アーカイブ: 10月 2008

店で見つけた商品

先日、子供のローラースケートを買いにトイザラスに行った。ドーサンにもちゃんとトイザラスがあるのだ。私はマジックの道具とかパズルとか、そういったトッリッキーなものが好きで、そういったコーナーをみていたら、面白そうなものが目に入った。

なにやら豚の人形がパッケージされていて、これをどうやって使うのか考えると面白そうだ。しかし説明書きをよく見ると、単に豚の人形をサイコロ替わりに使って遊べというなんとも虚しいものだった。実際に遊ぶと少しは面白いのだろうか。どうみてもつまらなそうだ。なにがMixed Comboだ。

また、ドライブの最中にガソリンスタンドに併設されているコンビニで、殻ごと食べられるように強く揚げたピーナッツが売っていたので買ってみた。初めて見る商品だ。よく尻尾まで食べられるようにカリカリに揚げられた海老があるが、それと同じようなものだ。これは上手そうだと思ったのだが、いくら揚げてもピーナッツの殻のモサモサ感はそのままで(笑)、飲み込みにくく、とても上手いとは言いがたかった。もったいないので、子供には「殻まで食えるんだぞ」と楽しい気持ちにさせて、たらふく食わしてやった。

ズームレンズ型コーヒーカップ

先日、ネットで面白い写真を見つけた。『ズームレンズ型コーヒーカップ』だ。量産しているわけではなく、一個だけ作ってみただけのものらしいが、なかなか趣き深い。

用具マニア杉浦くんは、卓球用具のみならず、オーディオやカメラにも凝っていて、レンズなど一体何に使うのか分からないが10本以上も持っている。さぞ喜ぶだろうと思ってこの写真を送ったところ、以外にもそっけない返事だった。

彼にとってのレンズの魅力とは「コーティングによって反射が抑えられた深い色のレンズの表面そのものと、そのレンズの鏡筒に対する異様なまでの大きさ、そして金属鏡筒の質感」だそうだ。「見たところこれはキャノンのプラスチック鏡筒なので、まず金属の質感の点で魅力がない。さらに肝心のレンズがないのだから話にならない」そうで、最後に「これでは美人モデルの足の裏や手のひらだけを集めた写真集みたいなものだ」と締めくくった。

そんなこと言われても。彼のようなマニアを満足させるためには、コーヒーカップの底に本物のレンズを使うでもするしかなさそうだ。どうやって使うんだそんなコーヒーカップ。

卓球王国の写真

このブログのゲストブックに、「まさひこ」という友人から卓球王国の写真について質問があった。「このブログは卓球王国のサイトのくせに卓球の話題が少ないので話題を提供してやる」などと書いている。質問は、これらの写真が彼にはあり得ない不自然な格好だというので、いったいどういう理由であんな姿勢になったのかということだ。

まずは馬琳のループドライブの写真だ。ドライブをしているのにどうして膝がこんなに曲がっているのかとのこと。二つ考えられる。ひとつは、ボールのバウンドが思ったより低い、あるいはボールのところまで移動するのが間に合わなかったなどして打点が落ちてしまったため、打点を体に対して相対的に上に来るように膝を曲げたというもの。言うまでもなく、振りの中心は肩なので、あまりに体の下方で打球したらボールを上にこすりあげることはできない。もう一つの可能性は、楽に腕を大きく上に振り上げられるように無意識に体を沈めたというもの。もちろんこの場合は、体を沈めた分だけラケットの上への運動は減殺されるから、効率的ではない(だからこそ楽なわけだが)。一流選手でも疲れてくれば効率的ではないことをすることがあるということだ。左腕が体の後ろに行っているが、これは人間が歩くときの腕の振りと同じなので、それほど不自然には感じない。進化論的に言えば、四足動物が歩くときに前足2本を交互に出すことに由来する由緒正しい動きだ。わずか100年ほどで卓球界が作り上げた「自然なフリーハンドの使い方」などより、よほど自然な使い方だ。

次にフィリモンのスマッシュだが、これはどうみても松下の高いロビングに対してできるだけ高いところで打ち込もうとして飛び上がってスマッシュを打った後の写真だ。ただしちょっと目測を誤って、思ったより体の後ろで打ったもんだから体がそっくり返っている。ジャンピングスマッシュを日常的にしない人からは分かりにくいだろうが、まあ普通の写真だと思う。まさひこもひとつトランポリンでも使ってジャンピングスマッシュを練習してみてほしい。もっともそんなに高いロビングを入れてもらうこと自体、簡単ではないが。

帽子を被ってみた

先日、骨折したときに妻が病院でカイルと会ったのだが、カイルは私より2歳年上なのにもかかわらず、若く見えたという。太っているせいもあると思うが、妻によれば、キャップを被っているのが大きいのではないかとのことだ。

今日、ふとそれを思い出し、長男のキャップを被ってみた。

妻いわく「なんか、子供を物色している殺人鬼みたい・・」。

ひどすぎる。

病院でジョージ・ハリソン

「ジョージ・ハリソン」という名前を書いてしげしげと見つめたら不思議な感覚にとりつかれた。「誰だ?これは」という感じだ。自分の名前や字を何度も見たり書いたりしているとそのうち違和感に取りつかれる、いわゆる「ゲシュタルト崩壊」だ。http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲシュタルト崩壊

ジョージ・ハリソンとは、中学2年生のときから慣れ親しんできたビートルズのメンバーの名前である。先日、骨折のため病院に行ったら、待合室においてあった雑誌にどうみても若き日のジョージ・ハリソンと当時の恋人であるパティ・ボイドの写真が載っていた。しかしよく見ると、それはジョージの息子のダニエル・ハリソンだった。あまりにそっくりなので、意識的に似せて撮影しているのだろう。特集のタイトルも、ジョージの名曲「ヒア・カムス・ザ・サン」のSunをSonに変えるというニヤリとさせられる洒落になっている。ジョージは生前、ダニエルに「君は僕よりもジョージ・ハリソンそっくりだね」と言っていたという。何を言ってるんだか。骨折の情けなさを紛らわす小さな楽しみだった。

今週、日本から出張に来ているNさんが高校時代にリンゴ・スターに会った話を聞いた。当時かれは札幌に住んでいたのだが、リンゴがCM撮影のために来日していて、札幌に来たのだという。もちろん極秘にである。ところがあるクラスメートの父親がその撮影の関係者だかで、リンゴが来ることをNさんに漏らしたのだ。Nさんは「絶対に押しかけたりしないからホテルを教えてくれ」と言って教えてもらい、即、別の友人と学校をサボって会いに行ったのだという。Nさんの有無をいわせぬ行動力は高校時代からのものだったようだ。リンゴは気前よく会ってくれて、もって行った手作りのアクセサリーを受け取ってもらったそうだ。うらやましい話だ。

ミュージシャンに会ったのでは、旅行に行ったワルシャワのホテルで、私の前にチェックインしていたのが、トーキング・ヘッズのデビッド・バーンだったことがある。あのデビッド・バーンの後ろに私は並んだのだ! こっちは向こうを良く知っているので、どうしても親しげにチラチラと顔を見て何度も目が合ってしまい、気まずかった。

トーキング・ヘッズは好きだったが、話しかけたりサインをもらったりするほど好きだったわけではないので、相手が有名人だからといってにわかファンになるのはみっともないと思い、結局なにもしなかった。それに、彼から見れば自分は何者でもなく、記憶に全然残らない存在であるのが虚しいという気持ちもあった。相手がジョン・レノンやポール・マッカートニーならそれでもかまわないが、それ以外ではそういうのは嫌だったのだ。やっぱりサインくらいもらっておけばよかったかな。

手術の麻酔

今回の手術では全身麻酔で眠らされた。麻酔に逆らうことは無理だと分かっているが、精神力でどこまで持ちこたえられるかを挑戦してみたが、まったく無力だった。

ベッドに寝かされて天井を見たまま廊下を移動する楽しい旅のあと、手術室に到着した。腕につけられていた注射針からなにやら冷たいものが入ってくるのが分かった。多分これが麻酔だろう。看護士たちが「バイクでどうやって転んだんだ?」とか「また行きたいか?」などと手術に似つかわしくない質問をしてくる。それが最後の記憶だ。全然勝負にならず。気がつくと手術は終わっていてもとの部屋のベッドに寝かされていた。麻酔が半分効いているので眠くて最高に気持ちがよかった。

18歳のときに自然気胸という肺に穴があく病気(病気というよりはもともと薄いところがあったのが弾みで破れるという、よくある病気らしい)で手術をしたが、そのときも麻酔に抵抗してみた。足から麻酔の注射をされると同時に「10まで数えて」と言われた。「なにを無意味なことを」と思いながら声に出して「1,2,3」と3まで数えたところまでは覚えている。その後、ずっと遠くから「伊藤条太くん」と呼ばれたのが聞こえて、ハッと気がついてかなり遅れて「はい」と返事をしたのが最後の記憶だ。多分、私が寝るまで何度も呼んでいたのに違いない。麻酔からさめたときは、とても苦しかった。というのも、口から食道まで長い管が通っていて、それが痛かったからだ。それがとれるまでの数時間が長かった。

これは初めて親元を離れた大学1年の6月のことだった。地元の中学の同級生の間では「条太は大学に行って急にタバコを吸いまくったために肺ガンになって、もうすぐ死ぬらしい」という噂になっていたと後で知った。だいぶ喜ばせてしまったようだが、あいにく今もアラバマで元気にしている。

王皓が暴行

ヤフーを見ると、なんと卓球の金メダリスト、世界ランク1位の王皓が、立小便を注意されたのに腹を立ててガードマンを暴行したという。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081012-00000020-rcdc-cn

王皓にそんな激しい感情があったのが不思議だ。おとなしくて言いたいこともいえない男という印象だったのだが。この記事につけられている写真、いかにもワルそうな表情の写真を注意深く選んでいるのが面白い。こういうところが記者の腕の見せどころなのだろう。(写真はリンク先の記事で確認してもらいたい)

それにしても王皓、小便しながら暴行したんじゃないだろうな。ひかかったりチャックにはさんだりしながら。ダメだこりゃ。もっとも、馬琳あたりだと「用を足そうとした」といっても小便じゃすまなさそうだが(その場合もちろんその遺留物は馬○と呼ぶべきだろうな)。王励勤はやるとしても屁ぐらいだろう。

刺青

怪我をしてすぐに近くの救急病院に行ってみてもらったのだが、担当医が二週間前に自転車レースで転んで鎖骨を折った人で「もうすっかり元気に仕事をしている」と言われ、とても勇気づけられた。骨が皮膚を突き破っていないので、処置は後日で良いらしく、その日は痛み止めの薬を出されただけだった。

骨折といっても、実はほとんど痛みは無い。鎖骨は骨折しても痛くないので有名らしく、「一ヶ所骨折を選ぶとすればそれは鎖骨だ」といわれるほどだという。たしかに動かさない限りはほとんど全然痛くない。だからもらった痛み止めは念のため仕事中は飲んだが、寝るときは飲まなくても平気だった。

翌日あらためて外科に行って、その翌日、つまり火曜に手術をすることに決めた。手術の担当医は普通にみえる白人だったが、右腕に日本語の刺青をしていた。どうせサインペンで書いたんだろうと思っていたら、なんと針を使って彫った本物の刺青だという。つまり一生消えないのだ。しかも彫ってあるのが「娘」「息子」「明快」「射手座」「天使」「心の友」である。ネットで意味を調べて日本語で刺青をしたのだという。わ、わからない。

星座など彫るくらいなら事故のときに備えて氏名、生年月日、血液型でも彫ったほうがよかったのではないだろうか。あと薬の量を決めるために体重。ついでに身分証明として運転免許証のコピーも彫ったれ。

怪我の顛末

オフロードのバイク乗りというのは初めてだったが、さらにクラッチ付のバイクに乗ったことは過去にほとんどなかったのがまずかった。コースにはジャンプ台がいくつもあってみんな軽々と5,6メール飛んでいるのですぐにできるもんだと思ったが甘かった。ジャンプ台の後が平らなら着地も楽なんだろうが、実際にはジャンプ台の前と同じくらい低く、うまくジャンプしないとつんのめるように前輪から着地し、あわや前転しそうになるのだ。それで、ジャンプをするのは諦めてそろりそろりとジャンプ台をやり過ごして、どうでもよい平地のカーブで間違って急ブレーキをかけて転んでしまった。

転んだ直後は特別痛くも無く、すぐにバイクを起こしてスタート地点まで運転して帰った。転んだのを見ていたカイルが「腕は上がるか」というので右腕を上げて見せた。しかし私は嫌な予感がしていて、あえて肩を触るのを避けていたのだった。覚悟を決めて触ってみると、案の定、折れた鎖骨が皮膚を内側から突き上げていた。

鎖骨が折れていることが分かった途端にショックで貧血になり文字通り目の前が暗くなってしゃがみこんだ。吐き気と便意が襲い、まともに話もできなくなってしまった。命に別状のない骨折ぐらい何でもないことだが、不注意で無駄な費用と時間をかけることになってしまったショックだ。

カイルが「これでお前も本当の男(リアル・マン)になったな」とか「保険料をいつも払ってばかりだと損だから、たまにはこうやって使う方がいいんだ」などと言うのを聞いているうちにだんだんと気が楽になり、やがて平常心をとりもどした。

一緒に行った子供たちが「お母さんが聞いたら何て言うかな」としきりに言うのが可笑しかった。私がこっぴどく怒られると思って心配しているのだ。そのくせ「もう帰らないとダメ?」などという。当たり前だ。

骨折

日曜に、オフロードのバイク乗りに行って転んで右の鎖骨を骨折した。せっかく四十肩が治りかかって卓球ができるかと思ったらそれどころではなくなってしまった。ポクポクと骨が折れたのだ。明日、ネジをつかってプレートで骨を固定する手術だ。なんとも情けなや。

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