血液型性格判断

2,3日前、yahooのニュースに疑似科学についての記事が載っていた。疑似科学とは、科学を装った非科学のことだ。

血液型性格判断もそのひとつだ。よくこれに対する批判として「血液型性格判断には科学的根拠がない」というセリフがあるが、これは大衆を誤解させる危険を含んだ表現だ。「科学的根拠がない」といわれれば、普通の人は「既存の科学知識とてらしあわせて、そんなことがあるはずがない」ととられる。もちろん科学者は、そういう理由で否定しているのではない。ここでいう「科学的根拠がない」とは「科学的に調査をしたが、そういう事実を見出せない」ということなのだ。竹内久美子など、血液型関連の本を出す人は、「血液型と性格の関連づけをすることは科学者の間でタブーになっている」などと書くが、別にタブーなのではない。何度調査をしても、そのようなデータが出ないから明快に否定されているだけのことなのだ。

http://www1.doshisha.ac.jp/~yshibana/etc/blood/archive/pseudo.htm

話としては面白いかもしれないが、本気で主張されると困ってしまう。血液型による性格判断など、どうにでもとれるものばかりだ。たとえば「物事にこだわらない」という表現があるとする。私の場合、興味があるものには偏執狂的にこだわるが、興味のないものにはまったくこだわらない。だから「こだわる」「こだわらない」どちらを見ても「当たってる」と思うわけだ。また、「あなたは理想を貫こうと思っていますが、妥協しがちです」などというのは、自分にだけ当てはまっているように誰でも思うものだ。いうまでもなく、人はいつも自分の内面を意識しているが、他人の内面は意識しないので、内面を深く掘り下げたようなことを言われると、自分にだけあてはまったような気がするのだ。自分以外はみんな気楽に生きているように見えるのと同じことだ。

科学者が血液型を否定するのに「科学的根拠がない」とか「どうして性格がたかが4種に分けられるのか」と言っても全然反論になっていないし信者を納得させることはできない。

そうではなくて「調査をしてもそのようなデータが得られたことがない、そういう事実がないのだ」とだけ言えばいいのだ。これ以外に何も必要ないではないか。