「私」と「あなた」

さて、妻の呼び方などよりもっと根本的な問題に移ろう。もっとも基本的な人称代名詞、自分自身の呼び方だ。私は普段、自分のことを「俺」と言う。大学時代の一時期、「僕」と言っていたような気もするが定かではない。

会社に入って上司と話すときに困ったのが、自分のことをどう言ったらよいかだ。「俺」では粗野な感じがするし、「僕」ではなんとなく幼いような、あるいは東北人の私からすると気取ったような感じが自分でする(今の50代は意外にも「僕」がポピュラーなようだ)。「私」も、学生時代までは「私」を使うのは女性だけだったので抵抗があったが、結局、無理して使うようにして今では慣れた。文章もこれで書いている。今の若者に流行っているのは「自分」だが、これもなんとなく客観的あるいは体育会系の色を持っている。

英語ではどんなときでも「I」で済むのに、日本語では何の色も感じさせない無機的な一人称が存在しないのだ。日本文化は、常に他社との関係を強く意識する中で成立してきたものだからだろうか。

さて、実はもっとこまるのが二人称、つまり「You」に相当する日本語だ。これも無機的な表現が存在しないのだ。たとえば会社の同僚と話すとしよう。「あなた」と言ったらちょっと失礼な感じがする。かといって「あなた様」ではへりくだりすぎ。もちろん「お前」はもっと失礼だ。「お宅」などと住居を引き合いに出すのも変だ。「君」も失礼、「お手前」は古い。「そちらさん」なんて言ったら気が狂ったかと思われる。「ユー」も同様。

恐るべきことに、ごく普通にYouに相当することを言えないのだ。で、多くの人は目の前の相手に向かって「宮根さんは明日どうするんですか?」などと名前を言うことになる。困るのが相手の名前を知らないときだ。なるべく主語を使わないように話しすしかないが、どうしても必要な場合には「えーと、あの、そ、そちらさんの・・」などと言うしかない。名前を聞く場合にはもちろん「お名前は・・」と主語を省いて話す。

こういう言語は他にもあるのだろうか。「日本語では普通の相手に使えるYouに相当する単語がない」と言ったら、アメリカ人は信じてくれるだろうか。「信じられない。お前ら、いったい二千年も何やってきたんだ?」とでも言われそうだ。

それにしても何故なんだろう。