年別アーカイブ: 2009

歯医者の卓球狂

ここに赴任して間もない頃のことだ。

私が卓球が好きだと言ったところ、同僚のグレッグが、自分も卓球が好きで、小さい頃に近くに卓球を大好きな歯医者がいて、その人に兄と一緒に教えてもらったと言った。

ここで私はピンときた。2000年の10月、ここに出張に来たときにインターネットでLower Alabama Table Tennis Club(南アラバマ卓球クラブ)というのを見つけて卓球をしに行ったことがある。期待して泊りがけで行くと、クラブというのは名ばかりで、そこは単なるロナルド・ピータースというじいさんの家で、大変な目に会ったことがあった(卓球王国2006年1月号の逆も~ション第1回でそのときのことを書いた)。

このじいさんが歯医者だったのだ。州の選手権にたったの36人しか参加する人がいないこのアラバマ州に、歯医者の卓球狂が二人もいるわけがない。

そう思いながら私はグレッグの話をなにくわぬ顔で聞いていて、しばらくしてから「ところでお前の出身はブリュートンだろ?」と聞いてやった。グレッグは目を丸くして驚いて「何で知ってるんだ?!」と言った。ブリュートンはここドーサンから車で2,3時間はかかる田舎の小さい町だから、アメリカ人でも知らない人がいるし、ましてや日本人の私が知っているはずのない町なのだ。

しばらくグレッグを驚かせた後、タネ明かしをしてやった。世の中は、いや、卓球界は狭い。

ブックオフで『ワルドナー伝説』

私は趣味で卓球の単行本を集めていて、古本屋をよくまわっているので、おいてある卓球本はだいたいわかっている。新しい卓球本は意外とおいていなくて、ちょっと古めの伊藤繁雄著『攻撃卓球』あたりをよく見かける。

先日、ブックオフに行ったとき、卓球王国から出されている『ワルドナー伝説』が置いてあって驚いた。この本が古本屋においてある光景を初めてみた。こんな面白い本を売りに出す奴の気が知れないが、古本屋においてあったということで、なんだか売れた本の仲間入りをしたように思えて嬉しかった。

早く売れてほしいような、ずっと残っていてほしいような複雑な気持ちになった。

いつか私も本を出したいが、そのときにはブックオフに出回るくらい売れたいものだ。そりゃ無理か。

ねじれる電話機

よく電話機のコードが、やたらとねじれているのを見たことはないだろうか。

数年前のことだが、私の隣の席の電話のコードが、下の写真など比較にならないくらいメチャクチャによじれていて、螺旋の形があちこち崩れるほどになっていた。

その電話を使っていた後輩は「俺の電話のコードはおかしいんですよ、すぐにねじれるんです」と文句を言いながらときどき受話器を何回転もさせながらねじれをほどいていた。

そこでもしやと思い、そいつが電話を使う様子を観察してみた。案の定、彼は受話器を本体に戻すとき、受話器をとったときと同じ方向に反転させて置いていたのだ。一回話すごとに自分でコードを一回ねじっているのだから、何日もすれば途方もなくねじれるのは当たり前だ。「お前が自分でねじってるんだよ!」と教えてやった。

そういう人はある確率でいるらしく、今の職場でも、まったくねじれていない人がほとんどの中で、30台に2台ほどが写真左のようにねじれていた。しかし、かつての後輩ほどねじっているものはひとつもみつからなかった。やはり彼は特別だったようだ。

街角で卓球談義

しばらく前に日本に行ったとき、卓球仲間で酒を飲んだ。2番弟子の田村、3番弟子の小室、そして用具マニアの杉浦くんの楽しい面々だ。

店内で、対ドライブのブロックのやり方について議論が白熱し、店を出てまで議論が続いた。

議論の内容は、現代卓球の強烈なドライブをブロックするためには、弱いドライブをブロックするときと比較して、ラケットの角度をかぶせるだけではなくて、上から下に振らなくてはならないということだ。こうすることで空振りのリスクを減らすのが、現代の上手な人たちの常識になっているという話。ラケットを上から下に振っても、極端な下方でないかぎりカット性ブロックにはならないので、安定性も落ちることはない。

これを田村は最近気がついたらしく、「こんなに長い間卓球をやっているのに、まだ新しい発見がある。卓球は面白い」と言っていた。私はかなり前から気づいていたが、言葉にはしていなかった。卓球は面白い。

またまたインドのジュース

先日飲んでひどいめにあったインド食料店のジュースだが、同じシリーズのグアバ味はカレーの匂いがせず美味しく飲めた。どうして同じシリーズでこうも違うのだろう。

裏を見ると、膨らんだ製品は買うなと書いてあった。いや、「買うな」じゃなくて、そんなの売るなよ。

ライオンの気持ち

小林秀雄で思い出した。そういえば、高校時代、現代国語の教科書に小林秀雄の文章が載っていたのだった。それはたしか、動物園の批判で、たとえ飢えても野生で暮らした方が動物は幸せだ、動物園などというものは止めろというような話だった。

これを読んで感想文を書く宿題があったのだが、私が親しくしていた友人が、なかなか面白いことを書いた。他の人が小林の文章に共感する感想文を書いた中、この友人は徹底的に小林秀雄をこきおろしたのだ。檻に入れられるより飢えた方がましだなどとどうして小林は言えるのか。ライオンやトラの気持ちが分かるのか。彼らに聞いてみたのか?という意見だった(ライオンの気持ちというところが可笑しい)。

先生がそれを朗読してみんなに紹介したとき、教室に笑いが起こったが、先生は「これは面白い」と高く評価した。高校時代の私は、まさか授業でこんな感想文を書いてよいものとは思っていなかったから、とても衝撃的で、その友人を見直したものだった。

ただし、その友人は高校を卒業してほどなく精神を病んでしまったが・・・。

何が「少ない」のか

先の文章の最後の方に「少なくとも現代においては」と書いたが、この場合の「少なくとも」とは、いったい何が「少ない」のかお分かりだろうか。ちなみに英語でも”at least”と、同じ言葉を使うので、もともとは英語の直訳だと思われる。

これは私が考えた問題で、学生時代、2番弟子の田村をこれでいじめたことを思い出した。

Roman Holidayの続き

その後、Roman Holidayについて何人かのアメリカ人に聞いてみたが、熟語の意味を知っている人は、ただのひとりもいなかった。南部だからかと思ってネットで調べてみると、ある人がそういう質問をしているのを見つけた。「Roman Holidayにはそういう意味があることを知ったが、この楽しい映画の題名にどうしてそんな悪趣味なダブルミーニングをしたのか」という質問だ。それに対して別の人が「こんな50年も前のマイナーな映画で、監督のウイリアム・ワイラーがその熟語を知っていたかどうか、ダブルミーニングのつもりだったか、今となっては確かめるすべがない、これはただの娯楽映画なんだからそんな意味のないことを考えるのはよせ」という回答をしていた。

どうも、辞書には載っているけどほとんどの現代のアメリカ人はこの熟語を知らないようだ。となると、私が読んだコラムに書いてあった、『ローマの休日』は誤訳だという主張は、少なくとも現代においては全然違うということになる。

確かめてみないと分からないものだ。それにしても『ローマの休日』をマイナーな映画とは、何者だコイツ?かなり信用できないような気がする・・。

天丼とカツ丼

先週、近隣(といっても車で2時間だが)のコロンバスという町の日本食レストランに行ってきた。

入ってみると、寿司だけではなくてなんと「TENDON(天丼)」「KATSUDON(カツ丼)」と書いてある。喜んで注文をして絶句。来たのは下の写真のような無残なものだった。丼ではないしご飯はチャーハンだしとてつもない量だし天ぷらには何もかかっていない。

思わずウエイトレスに「これ、本当に天丼なんですか?」と聞くと、日本人からはいつも「違う」と言われるけど、アメリカ人用にアレンジした結果だと申し訳なさそうに説明された。

ところがこのチャーハンが意外にもとてもおいしく、アメリカに来て食べたチャーハンで1,2を争う美味さだった。これが天丼だということさえ忘れれば何の問題もなかったのだ。

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