年別アーカイブ: 2009

科学と創造論

体長13メートルもある蛇の化石が見つかったそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090205-00000012-jij-soci
6000万年前の化石だそうだ。

もちろん、強固なキリスト教信者はこういうのは信じない。この世は7000年前に神様がいっきにお創りになったので、何万年も前の化石などは信仰心を試すための偽の証拠に違いないのだ。

以前、マイクと議論したときにマイクは面白いことを言った。「何万年前の化石とか言ってもあやしいもんだ。実際にその時間を測った人はいないんだし、いい加減な話だよ。俺たちもよくやってるじゃないか。製品の寿命を予測するのに、60℃90%で何日保存すると室温の何10年分に相当するとか、誰も見たことがないのに適当な理屈つけてるだろ。それと同じだ。」と言った。・・それとこれとは全然違うと思うんだが。

デリルとの議論

デリルと卓球をするとき、教会の話になった。
ここいらはプロテスタントの中のバプティストがもっとも多い宗派だが、カトリックの教会もドーサンに2つか3つあるという。プロテスタントは16世紀の宗教改革によってカトリックと分かれたわけだから、同じキリスト教といっても犬猿の仲のはずだ。

「カトリックの人たちとケンカしたりしない?」と聞いてみると、ケンカはしないけど、聖書の解釈が違うので、それでディベート(議論)はするといった。すると当然のように「お前の宗教は何だ?」と聞いてきた。「表向きは仏教だが、神様は信じていない」と答えると、なぜ信じられないのかという。「証拠が無いからだ」と言うと、「証拠は山ほどあるじゃないか。自分たちが存在することがその証拠だ」とお決まりのセリフだ。デリルの行っている教会にいけば、そこの牧師さんが神様の証拠を説明してくれるらしい。もちろん行かない。デリルは「神様がいないんだったら人生の目的は何だ?」と言った。私は「目的なんかない。動物と同じく生まれて死ぬだけだ。目的ではないが、希望は楽しむことだ。」と言った。

安心したのは、デリルは進化論は認めていることだ。生命の最初だけは神様がかかわったのではないかと思うが、化石や地層などの進化の膨大な証拠を含めて神様が7000年まえに創造したなどとはさすがに思っていないようだ。

翌朝会社でデビッドに会うと、デビッドは私の背中をバンバン叩きながら「ガーハッハ、どうだ?人生の意味はわかったか?」と大笑いしながら言った。

デリルと卓球

デリルという同僚がいて、昔、会社の卓球大会で優勝したことがあるという。それで、私が卓球をしていると知って、勝負しようということになった。

勝負といっても、相手は素人の親玉のような実力だろうから、いかにお互いに楽しくやるかが課題だ。

さっそく昼休みに彼の知っている教会に行ってやってみたが、こちらが仕掛けない限りはミスはほとんどなく、ホビープレーヤーとしては申し分ない実力だった。

試合では、打ちごろのボールを与えてスマッシュをさせてやったが、これが体が大きいためか威力があって、何球も打ち抜かれてしまった。しかし何球かは前陣でブロックをしてやって驚かせることができて、私としては大満足だ。

とはいえ、なめられると取り返しのつかないことになるので、競りはしたが1ゲームも与えなかった。最後のゲームは先にゲームポイントを取られたが、横回転サーブを出してジュースにして、あとは普通にやった。

私がまったく攻撃をしなかったので、デリルは私を守備型だと思ったらしく「ディフェンスが上手い」と褒められた。横回転サーブについては「あんなサーブは初めて見た」と言った。でも家に帰ってからは、私を打ち抜いたスマッシュのことばかり思い出して気持ちよくなっていたにちがいない。そういうものだ。

その後、会社で会うと「また勝負しよう」と言ってくる。もう少しで勝てると思っているようなのだ。どうしたものだろうか。

錯覚

実は私もヒゲの伸び具合くらい、日によって違うような気がすることはいくらでもある。ただ、そういう気がしてもそれを信じるわけにはいかないだけだ。自分の感覚はまったく当てにならないからだ。

高校時代、ある実験をしたことがある。ビニールチューブ入りの無果汁のジュースが当時20円くらいで売っていた。凍らせればシャーベットにもなるアレである。これには5種類くらいの色があって、緑色のやつはメロン味、赤はストロベリー味、オレンジ色はオレンジの味がついていた。と思っていた。何のきっかけだったか忘れたが、これらの色による味の違いは実は錯覚なのではないかと思い、目隠しテストをしてみたのだ。

結果は恐るべきもので、全然味の違いが分からなかったのだ。「そんなの分かるに決まってる」と自信満々の友人に試しても結果は同じだった。もしかするとちょっとぐらいは味が違うのかもしれないが、少なくとも色を見ながら飲んだときほど明確な違いはなく、色をすべて当てることのできた人はいなかった。

だから私は「こう見える」とか「こう聞こえる」などというのは全然信用できないのだ。

石川のこと

杉浦くんが石川を詰問した話を書いたが、実は私も似たようなことをしたことがある。どうも石川のあやふやなところに突っ込みたくなってしまうのだ。

あるとき石川が「徹夜をすると疲れてヒゲが伸びるのが早くなるんですよ」と言った。私はこういういい加減な話が嫌いなのだ。「それ、誰か測定した人がいるのか?」というと石川は「そんな、測定しなくたって明らかですもん」と言う。いよいよ腹が立ってくる。「お前ね。そりゃ常にヒゲは伸びてるけど、普通に寝た場合と徹夜を比較してどっちがヒゲが伸びたかなんて、5倍も差があるならともかく、測ってみもしないでわかるかね。徹夜で顔がやつれていることだって判断に影響が出るだろ。そういうデタラメな話は止めろ」と言った。石川は「こんな話で”データあるのか”なんて異常ですよ条太さん」と言われたが、石川の話はどうも私のセンサーにひっかかってしまうのだ。

もっとも私だって誰にでもこんなことを言うわけではない。大学で工学を学んでいる奴がそんなことを言うから腹が立ってくるのだ(しかも彼の研究室は計測工学なのだ!)。そしてこういう怪しい話を持ち込んで断言するのはいつも石川なのだ。

このヒゲの話には実は背景がある。「徹夜をすると疲れてヒゲも伸びなくなる」というまるで正反対の話を会社の上司から聞いたことがあるのだ。さすがに反論はしなかったが、こんないい加減な話をまともに聞くつもりは私にはない。

杉浦くんのこと

久しぶりに用具マニアの杉浦くんについて書いてみたい。といっても卓球の話ではない。杉浦くんという人間の特異性についての話だ。

杉浦くんは科学的な根拠のある話以外はまず信じることはない。私もその傾向があるが、杉浦くんにはとても及ばない。霊魂、宇宙人、超能力といったオカルトは論外としても、ちょっとおもしろそうな俗論でさえ門前払いだ。

あるとき、石川という後輩が杉浦くんに「兄弟構成によってある程度性格が分類されるって知ってますか」という、占いに半分足を突っ込んだような怪しい話をした。すると杉浦くんは途端に不機嫌になり、「お前、そんな話、誰から聞いた?」と詰問したという。石川が「研究室の先輩からです」と言うと「その先輩はどういう人なんだ?」とさらに聞き返したという。「どういう人って、普通の人ですけど?」というと、杉浦くんは「どこがどう普通なのかその特徴を言ってみろ」と迫ったというからエグいではないか。さすが杉浦くんだ。「いやあ、杉浦さん怒っちゃって困りましたよ」と石川は私に言った。

この話を後で杉浦くんにすると、これは石川の誤解と誇張らしい。たしかに石川はいつもあやふやなことを言う奴なので、恐らくそうなのだろう。しかし、この話はいかにも杉浦くんらしいエキセントリックな話なので、とても気に入っている。

杉浦くんは、あまり世間のことには興味がなく、すべてのことを科学的思考にもとづいた自分の理解の仕方でしか絶対に納得しない。

幼少の頃から科学少年だった杉浦くんは、飼っていた亀を冬眠させようと布でグルグル巻きにしてタンスの引き出しに一冬しまい込んで腐らせたり、アルミホイルを電極にして自動車のバッテリーをミミズに通電して「ミミズの電気分解」実験を行ったりという逸話を残している。卓球のラケットの自作もこの延長にあるのだ。

ちなみにマンガはほとんど読んだことがなく、読み方もあまり知らない。唯一、私が読ませたつげ義春の「ねじ式」を最高のギャグだと絶賛されたが複雑な気持ちだ。

こう書くと、かなりとっつきにくい人間のように思うかもしれないが、これで実は極めて温厚で誠実で人間が大好きで人づき合いもよくギャグも得意なのだから、まったくなんと形容してよいかわからない奇妙な人間なのである。

日本代表の審判まわし

3番弟子の小室から、日本代表クラスの審判回しの実力についてメールが来た(審判まわしについては1/9参照)。

昨年、仙台でビッグトーナメントがあったとき、岸川と韓陽が簡単そうに一発で成功させていたそうだ。そういえば、松下浩二も何かの試合中にやったのを見たことがある。

そんなことを練習しているはずはないから、この程度のことは勘ですぐにできるようなボール感覚を持っているということなのだろう。なお、私と小室はこれに何時間か挑戦したことがあるが、ただの一度も成功していない。んー、まあ、そういうことだ。

外山恒一

Youtubeで面白い人を発見した。すでに、ある世界では有名な人のようなので、今さら、と思う人もいるかもしれない。

東京都知事選に立候補した、外山恒一(とやまこういち)という人だ。
とにかく面白いのでその政権放送を聞いて欲しい。
http://www.youtube.com/watch?v=l2C9lv5t0yQ

都知事選の候補演説で政府転覆を訴えるというところが凄い。自分たちを少数派だと称し、「選挙なんか我々少数派にとっては何の意味もない。所詮、多数派のお祭りに過ぎない。多数決なんだから多数派が勝つに決まってる」となかなか面白いことを言う。最後に、「もし私が当選したら、奴らはビビる!・・・私もビビる」と締めくくっている。

別の映像をいろいろと見ると、普段の外山はこの演説とは違って極めて温厚でユーモアのわかる人だ。そしてこの演説を持ちネタにしており、街頭で一字一句違わない演説をしてみせて客を喜ばせたり不安がらせたりしている。このパフォーマンスは、途中で興奮して声が裏返るところまで演出で、何度も練習したのだという。

さて、ここまで書くと、この人は悪ふざけのすぎるコメディアンなのかと思うだろうが、さらに凄いのは、実はこの人、主張そのものは完全に本気のようなのだ。ここが恐ろしいところだ。面白い人だと思ってうっかり投票しようものなら、どうなるかわからない人なのだ。

外山恒一、この名前を覚えていても損はないだろう。

神様の話

ニックネームのことで思い出した。大学時代、所属していた卓球同好会に(卓球部と両方入っていた)、『神様』というあだ名の先輩がいた。もう日常的にトランプや麻雀や卓球をやりながら『神様見なかった?』などと普通に言っているのだ。ときどきふっと我に返りながら「それにしても異常なあだ名だな」と思ったものだ。

なぜ『神様』なのかというと、あろうことか留年の神様なのだ。私の大学では、卒業までに4回まで留年が許されるのだが、その先輩はすでにその制限を一杯まで使っていて、大学院に進んだわけでもないのにもう7年だか8年大学にいる人だったのだ。それでいつしか後輩たちから(同輩たちはとっくに卒業している)留年の神様と呼ばれるようになり、それで『神様』になったのだ。

まさか就職したときに会社で「神様って呼んでください」とは言っていないと思うが。

ニックネーム

今週からテイラーという新入社員と働いている。ニッサンの工場で4年間働いた後、今月、私のいる会社に入社してきたのだ。彼は自己紹介のときに「テイと呼んでくれ」と言った。Taylor(テイラー)だからTaye(テイ)がニックネームだという。

こういう話は他にもある。アメリカではロバート(Robert)のあだ名はボブ(Bob)だし、ウイリアム(William)のあだ名はビル(Bill)というように決まっている。もちろんニックネームをつけない人もいるし、本名がボブやビルの人もいる。

これらに比べればテイラーがテイとは簡単だ。またひとつ覚えたと思って、この話をティム:本名ティモシーにしてみると、そんなニックネームは聞いたことがないという。「さてはあいつ、勝手に自分で考えたんだな」と私が喜んでいると、ティムは急に真顔になって「それは本人に言わない方がいい。それは異文化を揶揄することになり、彼らは差別に敏感だから」という。テイは黒人なのだ。

それはさておき、ティムは得意の長話でアメリカ人のニックネームについて語ってくれた。一般に女性はニックネームを持たない傾向があり、もっぱら男性がニックネームを使うという(そういえば日本人と同様、女性の名前は短い)。ニックネームで名乗るのは、大人の男になったような誇らしい気持ちがあるという。ティムは小さい頃は本名のティモシーと呼ばれていたが、成長期に「俺は男だ」という感じで「ティム」と名乗り始めたという。だが両親には未だにティモシーと呼ばれて「子ども扱い」されていて、それはボブもビルもそうだろうとのことだ。会社には大人でもロバートと名乗っている人がいるが、彼はボブと名乗るきっかけがなかったか、知人にボブという人がすでにいて、自分の独自性を出すためにあえてロバートのままにしたか、そんな理由だろうとティムは語った。

彼らにとって短縮形のニックネームは親しみの象徴ではなくて、大人の男の象徴なのだ。これは日本人の感覚だと逆のような感じがする。ただし免許証や賞状などでは当然、正式名が書かれる。

もうひとつ日本人と大きな違いがある。それは、日本人は普通、ニックネームを自分では決められない、仮に決めても相手がそう呼んでくれる保証がないということだ。もちろん中にはハッシーだのアッシーだのと自分で名乗って成功している人も私の周りにいるが、それは少数派であり、たいていはカジヤンとかズンズとか、必ずしも呼ばれたくもないあだ名で呼ばれるのが一般的だろう。

これをティムに言うと、それはアメリカ人にはありえないという。もし自分が誰かにティモシーと呼ばれたら「ノー、俺はティムだ」と必ず訂正するし、それでもティモシーと呼ばれるようならその人とは話をしないという。日本人がこれをやったら「ちょっと我が強い人」という印象になるだろう。こんなところにも個を優先するアメリカ人の考え方が出ていて面白かった。

ところでテイのことだが、後でアキラくんに話すと、なんのことはない、テイはニッサンにいたときに日本人からテイとニックネームをつけられ、それが気に入ってそのまま名乗っているだけなのだという。黒人文化とは何の関係もなかったのだ。ちなみにテイも私の会社のアメリカ人がそうだったように電子メールに自分の名前をTaye-sanと書いてきた。アメリカ人が自分の名前にMrやMsをつける習慣からくる誤解だ。日本語では自分の名前に「さん」はつけないということを、ニッサンで4年間いても教えられなかったものらしい。すぐに教えてやった。

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