年別アーカイブ: 2009

停電

一昨日、ひさしぶりに停電だった。
こちらに来て3回目くらいだ。

私が小学生の頃は実家でときどき停電があったものだが、現代の日本ではめずらしいだろう。こちらではときどき起こるのだ。

夕方から11時ころまで停電だったので、蝋燭を買ってきて灯したが、子供たちが異様に興奮して、「ずっとこうならいいのに」なんて浅はかなことを言っていたのがまた楽しかった。

妻はススで壁が汚れるのを心配していた。無粋だ。

Big Otaku

同僚のボブの机に小さなロボットの人形が置いてあったので、もしやと思い話してみると、なんと日本のアニメオタクだという。ボブいわく、「I’m big Otaku」だそうだ。オタクを誇っているのだ。

すかさず携帯だかデジカメだかの画像を見せられた。特に好きなのがドラゴンボールEというので、日本語で「シニガミ」だの「カメ」だのとキーワードを口走った。作者の鳥山明の名も知っていたくらいだ。他にデスノートとかブリーチとか言っていた。

先月新しく日本から赴任してきたジュンくんが、これまたガンダムオタクなので、さぞ話が合うことだろう。私はアニメはさっぱりなので、少し寂しい。

とはいえ、ボブはアニメは好きだが、いわゆるマンガは全然知らないそうだ。そこで、日本のマンガ文化を知らしめるため、相原コージと竹熊健太郎の『サルでも描けるまんが教室』という歴史的大傑作の英語版(こんなこともあろうかと買っておいたのだ)を読ませることにした。果たして通じるだろうか。

何年か前、吉田戦車の『伝染るんです。』を英訳して「これが高度に進化した現代日本のマンガだ」とジョンに読ませたが、何本読ませても、ついにただのひとつも面白いと思わせることはできなかった。

たぶん今回も無理だとは思うのだが。

夢の話

明け方、あまりにリアルで奇妙な夢を見た。

なぜか私が田崎選手のベンチコーチをしているのだ。相手はなんと高島選手。田崎選手はすでに3ゲームを取られて後がない。私は田崎選手に、「レシーブをストップとかフリックとか無理しないで相手に先にドライブをさせるつもりで長く安全にツッツけ」とアドバイスをした。ところが相手の高島選手はカットマンなものだから、全然先に攻撃をしてくれない。トンチンカンなアドバイスをしたことに気がついて愕然とする。

0-8と離された田崎選手はどうしようもなくなり、サービスのときになにやら奇妙なフォームで、なんとご飯を盛った茶碗をサービスとしてテーブルに出したのだ(ダ洒落ではない)。その茶碗はゲームセンターのエアホッケーゲームのようにきれいにゆっくりと卓球台の上を滑ってネットも無視して高島さんのところに行ったが、高島さんはこれを丁寧に押し返した。高島さんはこの田崎選手の行動を見て、「田崎はしばらく休んだ方がいい」と言い、自分も現役時代、試合が来るのが怖くて時計をペンキで真っ黒に塗った話をした。それを聞いて感動する私。

テーブルを何往復かするうち、この茶碗はいつのまにか讃岐うどんになる。それでも押し返す高島さんを見て「高島さんはうどんは嫌いだったのか」と思い、それを食べる私。美味い。

すると高島さん、突然「232号室の安さんが今、亡くなりましたね」と予言。確かめに行った人が「生きてますよ」と言い、気まずくなる。
と、何もかもいかにも夢らしい辻褄の合わない話だが、ついさっきまで見ていたので、とにかくリアルだった。なお、私は田崎選手と面識はないし、サービスにご飯を出す話も時計を黒く塗る話もない。

doとdoes

先日、飲み会でビートルズの「涙の乗車券」を歌ったときに、ふと気がついたことがある。歌詞の最後にshe don’t careというフレーズがあるのだ。sheなのにどうしてdoesn’tではなくてdon’tなのだろうか。ボブに聞いてみると「別に意味はない。don’tの方が言いやすいからだ」と言った。アメリカ人にとっても、ときとしてdoとdoesの使い分けは面倒なことなのだという。

これは朗報だ。私は普段の会話で、いちいちdoとdoesの使い分けを気にして、間違うと言い直したりしていたが、わざわざ言い直すほどのことではなかったのだ。

また、ときどき気になるのが、なんでもかんでもmeということだ。Iというべき場合でもmeという人がいるような気がするので、私はつとめてIの方がふさわしいと思えるときにはIと言っている。それで、たまたま別の目的でhypercorrectionという単語を辞書で引く機会があったのだが、なんとそこには

hypercorrection
名U[言]過剰修正《意識過剰からくる発音や語法の誤り:between you and meをbetween you and Iとするなど;cf.than前用例》.

とあるではないか。あわわ、俺じゃないかこれは!

メリー・クリスマス!

最近、マークという同僚が(初めて書くマークだ。マークという人は社内にいくらでもいるのだ)、私に対してなにかとトンチンカンな挨拶をする。一度、私が彼と午後に会ったときに間違ってグッド・モーニングと言ったのがきっかけだ。それ以来、マークは私に会うと、わざとトンチンカンな挨拶をするようになったのだ。最初は、午後にグッド・モーニングと言ったり、朝にグッド・イーブニングと言ったりだったが、だんだんとエスカレートしてきて、ついに今日、打ち合わせが終わって別れ際に「メリー・クリスマス!」と言われた。こちらもそれに対抗して、「ハッピー・ニュー・イヤー」と言ってやった。

なんだか、『天才バカボン』を思い出して、十分に可笑しい。

顔を近づける人

以前、顔を近づけて話す人のことを書いたが(2008/03/07)、ネットで似たようなギャグの映像を見つけた。テレビ放送だと思われるが、さすがプロ、面白い。

私の知人の顔を近づける人は、さすがにこの映像のように接触するほどは近づかないが、道で会って話し始めた途端にいきなり20cmぐらいの距離になるので、その点ではこの映像よりもずっと過激だ。事実はフィクションより奇なりというところか。

人形づくりの講師ではないそうだ

義姉が講師を頼まれたのは、人形作りではなくて、撮影の裏話などを紹介しながら人形写真を紹介するものらしい。

昨日アップした写真を撮ったのは、元バイト仲間の若いフリーターの青年で、写真に凝っている人らしいのだが、義姉の撮影をしている間ずっと「イメージが沸かない」とブツブツ言っていたらしい。

この被写体でイメージも何も・・と思うのだが。

義姉が講師に!

個展の成果だかなんだか知らないが、義姉が市民に対する人形づくり教室の講師をやることになったそうだ。素人がそんなことをしてよいのかと思うが、私も素人なのに卓球を教えたり、雑誌に記事を書いたりしているので、それと同じようなもんだろう。

それで、参加者への自己紹介のため、撮影風景の写真を撮ったらしい。これでは行き倒れの人と間違われるのもむべなるかなだ。

顔の変遷

今月発売の卓球王国が届いた。

めずらしく読者の投稿コーナーに、『奇天烈逆も~ション』のことが載っていて嬉しかった。ただ、それにつけた編集部のコメントが、私が載せた自分の写真について「条太さん若い!」というものだったが、まだまだ甘い。

あの写真は7年前のものだが、そのときすでに、大阪の世界選手権のスポーツ科学会議で一番弟子の戸田の隣に座ったら「どちらさまですか」と聞かれたほどの変貌ぶりだったのだ。

下の写真を見てとくと確認されたい。

左から順に28歳、38歳(雑誌に載せた写真)、そして43歳(つまり2年前)だ。何があったのだろうか。