日本の練習

ジャックにとって日本の卓球は特別な存在だ。

彼の卓球を変えたのは、1956年の世界選手権東京大会を見に行ったことだと言う。当時彼は22歳だが、代表選手ではなかった。

そこでどういう経緯かはわからないが、東京で誰かにどこかのクラブを紹介されて練習に加わったのだと言う。日本代表がいるわけでもない普通のクラブだったらしい。学校だったかもしれないが、それは覚えてないという。

そこには台が6台ほど並べてあって、強い順に選手が台についていたという。ジャックは最初、一番強い人の台で打たされ、しばらくするとコーチらしき人がやってきて「ミスター・ハワード、隣の台に移ってみてください」と言ったという。さらに隣の台に移され、15分後には一番下の台に移され、13歳の女の子と打たされという。ところが試合をするとその女の子にすらまったく歯が立たない。

レベルの違いに驚いたジャックは、そこで卓球を教えてもらうことを決心した。するとその選手たちは、スクワットみたいなことを始めた(うさぎとびだったかもしれない)。当時のアメリカ人には卓球のために体を鍛えるという発想はなかったので「私は体操じゃなくて卓球を教えて欲しいんです」と言った。すると選手たちは「ええ、わかってます。これが卓球の練習なのです」と言い、1時間もそれを続けたという。

トレーニングの後は、ワンコースで正確に続ける練習で、これもジャックには初めてのことだった。

このようにして日本の練習を学んだジャックはアメリカに帰り、さっそくそれを実行した。最初、ワンコースの練習を始めるとみんなが「何だそれ、一体、何やってるんだ」と笑ったという。当時のアメリカ人は、練習はすべて試合練習であり、特定の打法を練習するということがなかったのだ。しかしジャックはこの練習を始めてどんどん強くなり、ついにはアメリカチャンピオンになった。

「私は日本の練習をアメリカに持ち込んだ最初の選手だよ」と彼は言った。

私は当時の日本の練習の、その後の中国と比較した欠点を知りつつも、かつて世界をリードした我が先人たちの偉大さを外から聞かされ、誇らずにはいられなかった。