生贄(いけにえ)

ジャックが日本の卓球の練習の素晴らしさについて語ったとき、私は誇らしく思いながらも、中国には劣っていたことを話した。ジャックはそれもわかっていて、日本の練習が続ける練習が多いのに比べ、中国は3球目攻撃の練習ばかりでまったく続かない練習をしていた、しかし練習と試合の差がほとんどないのでより実戦的だったと語った。それでも日本選手のファンだったのは、出会ったタイミングと文化の影響があるのだろう。

当時の日本の練習の欠点は最近まで日本に残っていて、水谷と岸川がドイツで育つ前ぐらいまでは日本は低迷していたと言うと「弱いと言っても世界で10位なら強いじゃないか。アメリカは何位だと思う?」と言った。モスクワでは46位だったという。しかもそのメンバーの中で、純粋にアメリカで育った選手の最高位は200番以下だと現状を嘆いた。

「どう思うかね」と聞くので「それはひどいですね(terrible)」と言った。するとジャック、「”ひどい”とはずいぶんと丁寧な言い方だね」と言った。「じゃ、あなたはどう表現するのですか」と聞くと「・・生贄だね(victim)」と言った。

その後、この現状をどうやって打破するかの持論を聞かされた。ジャックは「ビデオなどを使って中国選手のプレーのすべてを詳細に分析してコピーすればいいと卓球協会に再三助言しているが聞き入れてもらえない」と語った。当然だろう。そのような方法に効果はないと私も思う。

卓球はあまりに複雑多様であるため、個々の選手にとって最適な動きはひとりひとりがまったく異なる。それを理論や模倣で探し当てることは、神ならぬ人間には無理である。人間がやれることは、打球と対応の要求水準を示し、それが必要となる練習を考えることであり、その要求を実現する動きの習得は選手自身の身体の自然習得能力に期待するしかないと思う。