「俺たちは変わってるよな!」

日本人は自分を変わってると思いたがらないと書いたが、一方で、その反対のこともよく経験する。

クラスやクラブ、あるいは会社の同期など、なんでもいいがそういうある集団で、自分たちがいかに変わった特別な面々であるかを内輪で得意になって話すのをよく聞くのだ。最初に私がそれを感じたのは、小学校のときのクラスだ。先生が「このクラスはユニークだ」などとと言うと私はもともとそういうのが嬉しい性質だから喜ぶのは当然にしても、他の人たちもそれが嬉しいらしく、自らそういうことを言うようになったのだ。これは中学のクラスも同じ、高校、大学、社会人になっても同じだった。「うちには変わり者が多い」と。自分は普通だけど他のメンバーが変わってるんだ」「一番変わってるのがお前だろ」とお互いに言い合う儀式のようなやりとりまでそっくりである。私は普段から変わり者であることにこだわっているので、こういう茶番劇のような視野が狭いエセ変わり者発言を聞くと、なんとも恥ずかしいようないたたまれない気持ちになる。なぜなら、こういうことを内輪で言い合う姿こそが、いやになるくらいに平凡そのものだからだ。

こうしてみると、日本人も結構変わり者願望があるのではないだろうか。ただそれが、先に書いた「他人の目を気にする」のとどう両立しているのかがよくわからない。何かの本で読んだが、ある日本人が外国人に日本人の独特な点を聞いたところ「そうやって自分たちの特別なところを外国人に聞きたがるところが特徴だ」と言われたそうだ。そういえばそんな気もする。変わり者に見られたくないのに、少しだけ変わり者に見られたいのだ。ううむ。よくわからん。

どこかに「俺たちは本当に普通だよな。これぐらい普通のやつしかいない集団ってのも珍しいよな」「ああそうだ普通だ」などと、ひねくれたことを言う頼もしい奴らが出てこないものだろうか。