今回は私を含めて4人が一気に帰任するので、記念に日本人家族だけでボーリング大会を行った。
誰かがドーナッツ店の帽子を持ってきたのでかぶってみると、たまたま髪を切ったこともあって「ラーメン屋の店員のようだ」と面白がられた。
自分ではわからなかったが、ホテルに帰って写真をとってみると、なるほどラーメン屋みたいだ。
私が帰国のために、会社から卓球台を引き上げると、いつも昼休みに卓球をやっていたメンバーが、こんどは机の上で紙片を指で弾き合う遊びを始めた。
「ペーパー・フットボール」といって、アメリカでは学校などあらゆるところでやられるポピュラーな遊びだという。
ルールは簡単で、紙を三角形に折った「ボール」を交替で指で弾き合い、ボールの一部が相手のテーブルの端から出た状態で止まれば「タッチダウン」で6点もらえるという。いきすぎてテーブルから落ちれば逆に相手に点が入る。点が入ると今度は相手が空中に指で作ったゴールに「キック」する権利が与えられ、成功するとさらに1点入るのだという。
なかなか面白そうだが、二人の試合を見る限りでは、どちらもタッチダウンすることはほとんどなく、お互いにボールを強く弾きすぎて台から落ちることで点のやりとりをしていた。だから、タッチダウンすることはあえて狙わず、相手が失敗して落ちることだけを待つようにすれば確実に勝てるように思われる。もっとも、それで勝っても面白くはないだろうが。
夜はスタンの家の裏庭で焚き火をした。
スタンに誘われて腰掛台に寝そべって夜空を眺めた。田舎なので町の明かりがほとんどなく、異様に綺麗に星が見える。
スタンは「この宇宙に人間だけしかいないとは考えられない」などと語った。そのうち話は創造主の話になり、人間が死んだらどうなるかという話になった。
スタンは強烈に熱心なクリスチャンで、いつも隙を見ては神様のありがたさを我々に説こうとするのだ。妻である郁美さんもその話だけはシャットアウトで全然興味がないらしいのだが、スタンは別に不機嫌にもならず、淡々と自説を述べる。
私の考えは、人間の心は複雑なコンピューターと同じで単なる電気回路であり、魂などなく死後の世界もないというものだ。人間にとって精神活動があまりに重要なため、あたかもそれが宇宙の普遍的な存在のような気がする錯覚なのだ。この世に魂が存在すると思うのは、動物や鉱物にも言葉が通じると思うようなものだ。現実は、動物どころか外国人にさえ通じないというのに。
翌日も夕方まで卓球をして、別れを惜しんだ。