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ロレアンヌ・モーテル

今回の旅行の最大の目的は、キング牧師が暗殺された現場である『ロレアンヌ・モーテル』だ。モーテルの外にはその日、停められていた白い車(実物ではないが)が当日のままに停められていて、キングが泊まっていた部屋の外には花輪がかけられている。

モーテルの内部は公民権運動の博物館になっていて、アメリカが行ってきた有色人種への差別とそれに対する戦いの歴史が写真や映像で展示されていた。黒人がレストランで白人たちに囲まれて頭にケチャップをかけられたりこづきまわされたりする様子やバスの中での差別の様子が映像や実物大の人形で再現されていた。また、いかに差別が正しいかを力説する当時の白人たちの映像も上映されていた。キング牧師が泊まっていた部屋もガラス張りで触れないようにはなっていたが、見ることができた。

博物館の隣には、暗殺犯が銃を撃った建物がこれまたそのまま残されていて、暗殺の全容を詳細に検証した博物館になっていた。犯人が銃を撃った風呂場と窓がそのまま残されていた。

キング牧師はここで暗殺される前日、まるで自分の死を知っていたかのような有名な演説をしている。

以下はその引用

…前途に困難な日々が待っています。
でも、もうどうでもよいのです。
私は山の頂上に登ってきたのだから。
皆さんと同じように、私も長生きがしたい。
長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。
神の意志を実現したいだけです。
神は私が山に登るのを許され、
私は頂上から約束の地を見たのです。
私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、
ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。
今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。
神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。

私が住んでいるドーサン近辺の白人は今でもキング牧師のことをよく思っていない人が多いようだ。子供が通っている学校の先生ですら「彼が黒人をたきつけたためにかえって白人と黒人の対立が増した」などというたわ言を平然と言うほどだ。黒人に選挙権もなく、学校もレストランもバスもトイレも水飲み場も分けられていた状況がよっぽど居心地がよかったのだろう。

ホテルの遊び心

どこのホテルでも、掃除の人に入ってきてほしくないときにドアのところにかけておく「Privacy」とか「Don’t disturb」とか書いたカードがおいてあるが、今回泊まったホテルのカードが遊び心に満ちていて楽しかった。女性がベッドで飛び跳ねている写真を使っているのだ。ためしに他の部屋のカードを見ると男性が逆立ちしている写真だ。そいえば日本ではこういう遊び心は見られなくて残念だなあと思ったが「そんなどうでもいいところでふざける必要がないだけです」と言われればそれまでだなと思った。

だいたい何でホテルの部屋で笑いながら逆立してるんだよこのオヤジ。

一夜明けたビール・ストリート

ビール・ストリートの一角では、黒人青年が30mほどの距離を連続バク転をして最後に宙返りをする芸を披露して、路上の客からお金をもらっていた。左の写真で、路上にある黄色い容器に通行人が金を入れて、それが貯まってくるとバク転をするのだ。

中央の写真は一夜空けた同じ場所。文字通り『祭りのあと』だ。といっても、特別な祭りがあったわけではなくて毎晩らしいのだが。

朝の10時からホテルの外がうるさいと思ったら、隣の空き地みたいなところでもう歌っている奴らがいた。確かにうるさいホテルだ。さすがに客はサクラみたいな男が二人いるのみだ。場所が場所だけに、歌っている男の前をゴミ袋を運ぶ女たちが行き交う。

恥ずかしいバッグ

かと思えば、恥ずかしくてとてもかけて歩けないギターのボディをあしらったカバンも売っていた。誰かに嫌がらせに買うのもいいかもしれない。

みやげ物屋

通りにはパブの他にさまざまなみやげ物屋があるのだが、そのほとんどがロックに関係していて楽しくなる。私はいつもなんとなくほしくなっても、何に使うんだとか、どこに置くんだとか考えて結局は何も買わないのが常だったのだが、ここではついに買った。これは文句なしに欲しい(自分のために買ったのだ)。置くところなんかなくてもいい。ときどき出して見ればいいのだ。

警官たち

左がビール・ストリートの入り口で身体検査をしている警官の様子。
右は、警官が数人ならんで悪者に目を光らせている様子だ。警官もときどき何か飲みながら店から出てきたりする。音楽に合わせて踊っている警官までもいる。こちらでは警官がパトカーでレストランに行って制服のまま食べたりするので、普通の光景だ。

メンフィスに行ってきた

車で片道6時間弱かけて、メンフィスに行ってきた。メンフィスといえばエルビス・プレスリーに代表されるロックの聖地であり、なおかつキング牧師が暗殺された地としても有名だ。

メンフィスでもっとも有名な通りである『ビール・ストリート』のすぐ近くにホテルをとり、さっそく夜に繰り出してみたが、予想以上に楽しかった。音楽の町ということではニューオリンズと比較したくなるが、ニューオリンズがジャズの町なのに対してこちらはロックの町だ。当然、私にはこちらの方がしっくりくる。観光客の年齢もファッションも若い。

ホテルのフロントには「このホテルは周りがうるさいので、静かなホテルが好きな人は別のホテルに行ってください」と注意書きがあるくらい周りが音楽でうるさい。なにしろ隣は野外ステージになっているし、あちこちの店から内部で演奏している音楽が漏れ聞こえているし、それらとは別に勝手に路上でアンプを使ってがなっているやつらがいて、それらがめちゃくちゃに混じってまさに音の洪水状態である。野外ステージから聞こえてくるズンズンという重低音がそれらの音の洪水全体の拍子をとっているかのようだ。

事前の噂では犯罪が多いと聞いていたが、異様な警官の多さにそれを実感した。ビール・ストリートの入り口に警官がいて、全員が身体検査されるのだ(女性はカバンを開けられる)。ストリートのど真ん中にパトカーがデンと停めてあるし、警官も10人近く並んで立っているしで、ものものしい活気に満ちている。

これまでアメリカで旅行したうちで、もっとも面白いところだと思った。

トイレでの振る舞い

日本の小中学校では、学校のトイレで大便をすることほど恥ずかしいことはないとされているが、同僚に聞くとそれはアメリカでも同じで、やっぱりひやかされたりするのだそうだ。

思い出すのは高校に入学したときのことだ。先輩方はヒゲなんか生やしたりして随分と大人に見えたものだったが、その中でも驚いたのがトイレでの振る舞いだ。当時は1年生が3年生のトイレの掃除をすることになっていたのだが、その3年生がこれみよがしに平気で大便をするのだ。「クソしたあとの弁当はうまい」なんて言いながら、我々が掃除をしているのもかまわず平気で個室に入ってどんどん出していく。それどころか、出しながら外の連中と会話を続けたりしている。

私はその迫力に圧倒され、なるほど、これが大人というものか、大便ごときでガタガタ言うのは子供のすることなのだ、と尊敬の念を抱いたものだった。

しかし今考えると、アレはちょっとやりすぎだったように思う。というのも、その後私はとっくに大人になったが、彼らのような連中はついに見ることはなかったからだ。私は騙されたのに違いない。

トイレでブー

アメリカに来て感じることは、「普通はこうだ」という考えがあまりなく、自分と違う他人の振る舞いに対して比較的大らかだということだ。私はいつもアメリカ人の常識というのを気にかけて「日本ではこうだけどアメリカではどうか」と聞くのだが、大抵はあまりはっきりした答えはなくて「人それぞれだ」などといわれることが多い。異民族の集まりなのでそれぞれに常識が違いすぎるため、「普通」なんていうのが無意味なのだろう。

だから日本人の私が多少奇妙なことをしても「変な奴だ」ではなくて「日本ではそうなんだろう」と思われるだけで、特に良いとも悪いとも思われないだろうと思っている。

それで最近はトレイで小便をしながら思いっきり屁をすることにしている。日本でもアメリカでもトイレで大音量で屁をする人はいないので心理的抵抗があるのだが、アメリカ人の前でなら「文化の違い」と許容してくれるだろうとの読みで、これ幸いにと努めて屁をするようにしている。「日本人は普段、和を重んじて、ニコニコしているくせに便所では屁かよ!」とアメリカ人に誤解させるのも愉快ではないか。

そもそもトイレで屁をしないのはおかしいと私は常々思っていた。屁よりもはるかに臭い大便すら許容されている場所でなぜ屁を忌避しなくてはならないのか。それを恥ずかしいとするような幼稚な考えは止めようと思っていた。とはいえ、日本にいたとき、職場の同僚が小便をしながら「ベベベベ」と汚い音の屁をし「おっ」と声を発したのを目の当たりにしたときは、なんとも不愉快な気持ちがしたものだった(だいたい自分でびっくりするというのがおかしい)。その後、彼の行為は正しいというのが私が出した結論であったが、なかなか実践の機会はなかった。今こそ心を鬼にしてそれを実践するときなのだ。実践しすぎて本物が出ないように気をつけたい。