年別アーカイブ: 2010

卓球正月

元旦のアクセスは201件だった。昨年の元旦は171件、その前は139件だったので、すこーしづつではあるが増えているようで嬉しい。元旦といえばあまり仕事をしている人はいないだろうから、自宅で見てくれているということだろう。今年も書きたいことと読者が読みたいことの共通項を書いていきたいと思う。

アメリカでは正月は日本でほど特別な日ではないので(さすがに休日ではあるが)、特に行事もなく、ただひたすらゆっくりと過ごしている。そういうときはやはり卓球のDVDを見ることだ。昨年の横浜大会のDVDや、ワルドナーのプレー集、そして昨年買った、95年天津大会やら97年マンチェスター大会の映像を堪能している。といって、ドラマのようにずっと面白いわけでもなく、どちらかというと見ておかなくてはならないという義務的な見方ではあるが、それでも全体的には楽しい。

昨日、床屋で丸坊主にしてきたので寒くて仕方がなく、家でも帽子をかぶっている。パジャマのままこれにヘッドフォンをつけて一日中いるので、家族に変だと言われたので、得意になって写真を撮ってもらった。「ゴダールはどこ行った?」という感じだ。

写真のパソコン画面に映っているのは横浜大会男子シングルスの水谷対陳杞

宮澤賢治

何ヶ月か前、吉田司という人の『宮澤賢治殺人事件』という本を読んだ。たまたまアトランタの本屋で目について買ったのだった。殺人事件といっても推理小説ではなくて、現実の宮澤賢治を殺して聖者に祭り上げた人たちへの批判本であった。それでも著者は宮澤賢治のファンなのだろうと思って読んでいたが、最後の最後まで著者は賢治を「現実性のない役にも立たない思想を唱えていただけの役立たず」ということを本気で主張していて、全然評価しておらず新鮮であった。私は自分と反対意見の本をあえて読んで自分の論理が対抗できるかをチェックするのが好きなので、全然問題なく楽しく読めた。

宮澤賢治といえば、何年か前に生誕何年とかでやけに盛り上がったことがあった。そのときテレビで、賢治の写真から骨格を推定して、コンピューターで合成して肉声を再現するという試みがあった。その合成した声で「雨にも負けず」を朗読して、賢治を知る存命の教え子たちに聞いてもらうという企画だった。

なかなか気が利いている企画だったが、可笑しいのがその合成の声で、合成の雛形に使った声がプロのアナウンサーによる標準語であるために、発音が極めて明朗でアクセントが完全に標準語なのだ。岩手の100歳近い人たちにそんな話し声を聞かせて「賢治に似てますか」と聞くのは無謀というものだ。案の定、彼らの感想は似てるかどうか以前に「もっと普通に語ったったもな」というものだった。私にはこの「普通」の意味が、すぐにわかってなんとも可笑しかったが、テレビ局の人たちはこの老婆たちの感想の意味が分かったのだろうか。

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