今朝、寝ていると、長男の部屋から楽しそうな話し声が聞こえた。起きてトイレに行った後、その部屋に寄って「さっき何話してたの?」と聞くと「○○(次男)が鼻ちょうちんできたって見せに来た」と言った。さぞかし見事な鼻ちょうちんだったのだろう。
男子中学生らしい可愛い息子たちである。
今朝、寝ていると、長男の部屋から楽しそうな話し声が聞こえた。起きてトイレに行った後、その部屋に寄って「さっき何話してたの?」と聞くと「○○(次男)が鼻ちょうちんできたって見せに来た」と言った。さぞかし見事な鼻ちょうちんだったのだろう。
男子中学生らしい可愛い息子たちである。
遅くなりましたが、みなさん、明けましておめでとうございます。
以前から不満に感じているのが、正月のテレビ番組が面白くないことだ。年末はそれなりに面白いのだが、正月となるとなんだか面白くないと感じることが多い。
正月でもまったく普段と同じ番組をやればいいのになあ、と小さい頃から思っていたものだ。これは正月以外でも同じで、普段と違うことをされるのが嫌なのだ。たとえばドラえもんなどのアニメーションが、2時間のスペシャル版になるとやけに壮大になって恐竜の国を旅したりするのがとても嫌だった。普段の30分ものを4本やった方がずっといいのにと思ったものだ。普段のペースを守りたくなってしまうのだ。
そもそも私は昔から、急にことあらたまって普段と別のことをするのが嫌だった。その点では保守的なのかもしれない。たとえば、小学校の修学旅行のとき、修学旅行だからといっていかにも旅行らしくリュックサックを使うのが嫌で、わざと一人だけランドセルで行き、荷物が入らず苦労した。高校に入学したときは、いかにも高校生らしくするのが嫌で、わざと中学校で使っていた中学校名入りのナップザックを背負って通ったことがあるくらいだ。当然、いかにも大人になったようにタバコを吸ったり酒を飲んだりといったことも嫌だった。
話がかなりそれたが、とにかく正月だからといってテレビでまで着物を着てゆったり話をしていたりしていないで、いつものやつをやってくれよ、と思うのだった。まさか、正月らしい番組にすることが民放連で決められているわけでもあるまい。
といっているわりには、今書いている卓球王国今月号の原稿は、正月らしく新春対談である。これはネタづくりがしやすいからだが、してみると、テレビ局もネタがなくて正月には正月版にするのかもしれない。そういうことなら仕方がない。
年末年始と、卓球技術についてあれこれ考えていたので、指導ビデオとか過去の卓球雑誌を見ていて、10年ほど前に卓球王国に1年間連載されていた、吉田和人さんの『なるほど卓球サイエンス』が目についた。
吉田さんは、以前から卓球技術を科学的に研究している方で、私は2001年大阪大会のスポーツ科学会議のパーティーで一度お話をさせていただいたことがある間柄である(つまり、たいした間柄ではない)。
あらためてこの連載を見ると、科学的に正確なことをわかりやすく表現し、従来の卓球試論の迷信をやんわりと指摘するなど、秀逸なものであった。下の写真は、切るツッツキと切らないツッツキをトップ選手にやってもらったところ、本人はフォームは同じでボールを当てる位置を変えてラバーとの接触時間を変えて切ったり切らなかったりしていると思っているのに、実際にはラケットの動きがはっきり違ったという測定結果だ(中央の図)。また、ボールとラバーとの接触時間は千分の1秒ほどなので、ラバーの上をボールを長く転がすのは無理だと説明している。
また「遠心力を使ってボールを打て」とよく言われるが、遠心力は常にスイング方向の垂直方向に働くものなので、これを使ってボールを打つことは不可能であり、正しくは「遠心力を感じられるような振りで打て」ということだろうとしている。
私としたことが、この秀逸な連載のことをすっかり忘れていたのは不覚であった。苦労して書いた本人は忘れるわけもないが、読む方は忘れるものだ。
吉田さんは現在、静岡大学に教授として勤務するかたわら(http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~ehkyosi/)、「NPO法人卓球交流会」の顧問として、卓球普及に尽力されている。
http://homepage3.nifty.com/takkyu-information/
古本屋で超能力の本を買って読んだ。私は以前は超能力の実在を信じている、いわゆるビリーバーであったが、その後、いろいろな本を読んで、今ではその存在に極めて懐疑的である。しかし、もともとはオカルトは大好きなので、存在して欲しいのはやまやまだが、入ってくる情報から判断すると、残念ながら現時点ではあるとは言い難いと思っている。
この本は、超能力懐疑派である皆神龍太郎氏と、超心理学研究者の石川幹人氏による対談形式の本である。懐疑派と研究者の対談であるが、この両者は超能力の実在について推測が反対であるが、いずれにしても科学的に真実を突き止めたいという目標は同じなので、別に喧嘩をしているわけではない。ただ、懐疑派の皆神氏が、研究者の石川氏に素朴な疑問を投げかけ、石川氏はそれに答えながら超心理学の歴史や現状について説明をしている。
石川氏によると、日本で科学的に超能力を研究している研究者は今のところ3人で、世界中あわせても100人ちょっとだという(もちろんまともではない研究者なら山のようにいるだろう)。
気になるのは、これまでの「まとも」な研究者が確認した超能力現象はあるのかないのか、という疑問だが、石川氏によればそれは「ある」が、その効果は、透視や予知といった、情報知覚のテストでごくわずかに見られる程度で、念力は「ない」という。
情報知覚のテストでは、偶然なら25%的中するテストで、33%に的中率が上がる、といったごくごく地味な効果が膨大なテストで見られるというものであり、それですら再現性には議論があり、まして何かに利用できるようなレベルのものは確認されていないという。
対談で皆神氏が言っていたことでなるほどと思ったのは、100年以上もの超能力の科学的研究がされてきて、いまだに上のようなごく地味なものしか確認されていないわけだから、仮にそれが実在するとしても、その威力はこのレベルが上限であって、よくインチキ超能力者がやるようにスプーンを曲げたり、行方不明の人を捜し当てたりといった超能力はまずないだろうということだ。ただし石川氏は、多人数の能力を合わせることでその地味な能力を実用化することも視野に入れて研究を続けている。
地味とはいえ、石川氏の実験で興味をそそったのは、被験者がヘビとかクモなどの不愉快な画像を見せられる3秒くらい前に体に変化が起こり「悪い予感」を感知しているとか、911のテロ事件のあった日だけ、コンピューターの乱数がある自己相関を示したという例だ。もちろんそのメカニズムはまったくわかっていないから現時点ではまるで雲をつかむような話である。
超能力の研究というものが、どれほど気の遠くなるような地味なものであるか(それほど多くのテストを繰り返さないと偶然以上の効果が観測されない)、著者のウエブサイトを覗いてみるのもよいだろう。
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/