民族の品格

テレビでは津波の惨状しか放送しないので、遠くにいる人はあたかも仙台全体があのような状況だと思っているようで、いろいろと心配をしていただいた。

実際には、地震自体による倒壊などの被害はほとんどなく(そういう家は一軒も見ていない)、津波の被害に合った沿岸以外の人たちは、ガスと水道が止まっている以外は自宅で不自由なく生活をしている。水とガスがないのは不自由だが、亡くなった方々や何もかも失って避難所で寒い思いをしている方々に比べたら何でもないことだ。風呂も入っていないが、ホームレスの人たちや探検隊など何ヶ月も入らないのだから騒ぐほどのことではない。これは前から思っていたのだが、思い込んだように毎日風呂に入るなんてのは単なる趣味のようなもので、なければないで何でもないのだ。

地震から3日めの夜までは電気が止まっていて携帯電話を充電できなかったのだが、近所のある家の人がソーラーの電気を道行く人に分けてくれていて、充電をさせてもらった。「ご自由にお使いください」と貼り紙がしてあり、イスまで置いてあった。

我々日本人は、こういう助け合うことが自然にできる民族なのだなと思った。

ヤフーのニュースで、災害時にも秩序だって冷静に行動している日本人に対して驚きの声が上がっているという。こういう日本人の民族性は、良し悪しではなくて単なる価値観の違いだと相対的に考えていたのだが、他国の人たち、中でも普段日本バッシングが激しい中国人や韓国人までもがちゃんとこれを「学ばなくてはならない」と感嘆の念を隠さないことにむしろ感動した。

なかでも
「英紙インディペンデントは13日付1面全体を日章旗を象徴する白と赤で満たし、英語と日本語で「がんばれ日本、がんばれ東北」と激励のメッセージを入れた。」
という一文に涙が滲んだ。

もうひとつ日本人自慢をさせてもらえば、どの海外メディアも見落としていることだが、我々のこの尊厳ある行動は、なんら宗教的なバックグラウンドに基づいていないことだ。神の法や死後の裁きの恐怖からの行動ではなく、狂信でもなく、あくまで人間が本来持っている良心と知性に基づいてこれだけの秩序を保っているのだ。

以前、アメリカ南部の敬虔なクリスチャンとどうして神が必要なのかを議論したことがある。ジョージア工科大学を卒業して知性あるその彼は「神がいなかったら、目の前で死にそうにしている人がいても助ける理由がない」と言った。私は「我々日本人は知性と良心だけによって助ける。人間に神は要らない。」と言って彼を怒らせたものだった。

また、息子たちの学校の女性教師は「地球温暖化も災害もすべて神の教えを守っていない人間への罰」と語っていた。今回の災害でもお悔やみをもらったが、心の底では「日本人はイエス様を信じていないからだ」と思っているに違いない。そのバカさ加減が悔しい。