絵画指導2

指導と言っても、手取り足とり描き方を教えたのではない。考え方を示しただけだ。

私の考えでは、絵が苦手な人というのは、何かを見ながら描いたときに対象物の形を上手く再現できないことに失望し、自分で嫌になって途中から対象物を写し取ることを諦めて簡単な直線や曲線を引いてお茶を濁すか、途中で止めてしまう傾向があるのだ。

これは彼らが、絵を描く目的が対象物を再現することだけにあると思い込んでいるからだ。似顔絵描きや商用ポスターならともかく、絵の魅力は対象物の再現ではない。そもそも絵を見る人は対象物の実物を知らない場合も多いのだから、似てるとか本物みたいだとかいうのは実はどうでもいいことなのだ。対象物は単なるきっかけに過ぎない。もちろん対象物に何らかの思い入れがあればなお結構だが、その程度のものなのだ。

プロや芸術家を除けば、ある程度味のある絵を描くことは実は簡単である。それは、どんなに対象物に似なくても気にせずに対象物をよく見ながら諦めずに最後まで描き込むことだ。注意しなくてはならないのは、絶対に簡単な線や類型化した図形に逃げないことだ。たとえ何を描いているか分からないほど形が崩れても、その線が類型ではなく独自の線であれば、それは情報量の多さを示し、見るに耐えうる絵となる。人物画ならシワとかシミをしつこく描き込めばもうバッチリである。決してマンガのような類型化したパーツを描いてはいけない。

もちろん、このようにして描いた絵にも魅力的なものとそうではないものがあるだろうが、それは仕方がない。私が言っているのは、それよりずっと手前の「田村のアルマジロ」のような絵しか描けない人に対するアドバイスなのだ。

以上のようなことを講釈すると、田村も杉浦くんも「そういう考え方は初めて聞いた」と語った。私も聞いたことはないのだから当然だ。

このようなアドバイスをしてから田村に「俺の顔をよく見ながら描いてみろ」と言った。田村は10分ほど集中して絵を描き上げ「これまでの人生でこれほど真剣に絵を描いたことはない」と語った。それが下の写真だ。頭のいびつさと唇のゆがみ具合がなんともいえず味わい深く見事である。素晴らしいと言ってよい。絵が下手な人の絵には見えない。こういう絵でいいんだと本人が思えれば、絵はどんどん楽しくなるのになあと思う。

もっとも私自身は、対象物を再現する写実画が得意であり、その余裕が、歪んだ絵を面白がることにつながっているという面は否定できない。しかし、写実画を描けない人の不可避的に歪んだ絵が、たまたまではあるにせよ、魅力を発することもないとは言えないと思うのだ。

田村も杉浦くんも田村の描いた私の顔を「ただの下手な絵にしか見えない」と語ったが、この絵を面白いと思えないところこそが「絵心がない」ということの正体なのではないかと思うがどうだろうか。