月別アーカイブ: 2月 2012

マイラケット、マイシューズ

今回、つれてきてもらった吉村さんには「シューズをもってきた方がいいですよ」と言われたので持って行ったのだが、吉村さんご自身はシューズを店に置いているというつわものであった。

マイラケットを置いている人も何人もいる。これがマイラケットやシューズの置き場だ。

卓球バーの内部

内部に入ってみて感激したのは、それが卓球台の置いてあるバーというよりは、酒を出す練習場といった雰囲気だったことだ。本格的な卓球台と床とセンスのよいライティング、そしてその周りでくつろいでいるお客さんたち。なんとも落ち着いた楽しい店だった。お客さんの9割は卓球経験者ではないが、それでもこの雰囲気が好きでやってくる人が絶えないのだそうだ。実際、何人かが打つことがあったが卓球経験者は我々以外にはいないようだった。

いよいよ卓球バーへ

食事が終わり、関野さんといっしょにいよいよ卓球バーへ向かったのだが、まったく看板がないのに驚いた。住所を調べてここまで来ても諦めるだろう。この自販機の横の暗いところの奥に卓球バーはあるのだ。

そしてそのドアの前まで来ても、はやりどこにも「中目卓球ラウンジ」という表示はない。正確に言えば、あることはあるのだが、それは余りにも小さく、常識的に言えば「ない」のに等しい。

中目卓球ラウンジ

トップ12の後は、かねてから行ってみたいと思っていた中目黒にある『中目卓球ラウンジ』という卓球バーに、そこの常連だという吉村さんと川嶋さんと行ってきた。

卓球バーに行く前に、同じオーナーがやっている近くのレストランで夕食をとった。そのオーナーは関野さんといって、なんとこのブログを開始当時から読んでくれているという偉い方だった。当然、意気投合して卓球談義に花が咲いた。関野さんは私より半世代ほど上なので、71年名古屋大会の話などをされ、羨ましい思いをした。

檻の中の田丸さん?

当然といえば当然だが、田丸さんがここにもいらした。今大会では三脚での撮影が禁止されているのでこの1台だけと不満そうだった。

別の角度から撮ると、なんとなく檻に入っているように見えるから不思議だ。動物園の檻なのか刑務所の檻なのかはわからないが、ともかく暗示的だ。

カメラ位置が・・・

第一試合が始まろうとしている。

藤井寛子と平野美宇の試合にはテレビ局や取材のカメラが何台も群がっている。
そのテレビ局の映像のモニターがなんと私のすぐ隣の席にある。
それを見ると、カメラ位置がとてつもなく高い。せっかく狭い会場なので下から映してくれるかと期待していたが、わざわざやぐらを組んでカメラを設置していた。そして床のカメラでは選手をドアップで追いまくって見難い画面を作っている(どうも平野美宇だけを前後両方のカメラで追っているようだ)。

なんともガッカリである。先日もある知人と話したが、テレビ局の人にカメラ位置を低くした方がよいと進言しても、「素人が何を」という感じで相手にされないのだそうだ。私が演出なら、競技領域の周りを暗くして床から撮影する。これだけで見違えるように面白い画面になる。

大林カップ・ジャパントップ12

睡眠時無呼吸から話はとんで、今日はジャパントップ12を見に来ている。
ついでに、出場選手たちのレーティング登録作業を手伝うことになった。

トップ12を見に来たのは初めてだが、会場の大きさが適度に小さくて何か新鮮な感じがする。選手がひとりづつ紹介され、観客席にボールを投げ入れるサービスをしていた。トップ12ならではの演出だ。

睡眠時無呼吸の検査

人間ドックのオプションで睡眠時無呼吸の検査を行った。

妻の話だと、私は寝ているときに息が止まることがあったりいびきをかいたりしているとのことだ。そういえば起きたときにあまりすっきりしないような気もするし、昼も眠い。自分が寝ているときの行状とは、何か未知の世界を知るような楽しみもあるので、やってみることにした。

人間ドックのオプションとはいえ、病院で寝るわけではない。測定器が自宅に宅急便で送られてきて、それを一晩つけて寝て、また宅急便で送り返すと後で診断結果が送られてくるという寸法だ。指先や鼻先に器具をつけて寝るのだ。ああ面白い。

さて、どうなることやら。

怒らせるのは簡単

会社の昼休みに卓球王国の原稿を書きながら声を出して笑っていたら、隣の席のモガミ君が「どうしたんですか」と聞いてきた。恥ずかしながら私は、自分の原稿が可笑しくて笑いながら書いているのだ。自分では可笑しくても他人は可笑しくないことはよくあるが、その逆はない。自分が笑えることは最低条件なのだ。

それを説明すると、モガミくんは「そうですよね。人を笑わせるってことは大変なことですよね。怒らせるのは簡単ですけどね」と言った。よりによって怒らせることと比較をするとは。卓球王国の原稿で人を怒らせることを想像すると、それはそれで面白いことが書けそうだと想像してそれこそ可笑しくなった。

「悪い例」

人間ドックを受けてきた。その問診表で自分に当てはまるところをマークシートみたいにして書くのだが、例によってその説明の「悪い例」が可笑しい。

縦に線を引けと書いてあるのに、こうもきっちりときれいに横線を引くというのは、悪い例というよりは、明確に反抗しているか、はたまた何かの病気だということだろう。こんな例がいったい何の説明になっているのだろうか。

卓球の指導書でも、グリップや構えの悪い例が載っていて、それが余りにも非現実的かつご丁寧に悪い例なので、よく笑ったものだ。

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