月別アーカイブ: 10月 2012

ワルドナーの試合

しばらくして、やっとワルドナーの試合を見ることができた。
最初に見たのはカットマンとの試合だ。相手も前の試合を見るとかなり上手だったが、さすがにワルドナーではキツかった。ワルドナーとカットマンといえば、90年台初頭、当時世界最高のカットマンだった北朝鮮のリ・グンサンに対して、立ち上がりから連取してなんと14-0まで行って、あわやラブゲームにするところだったほどだ。しかもそのときのラリーは、一本ごとにありとあらゆる技をまるで実験をするように使ってリ・グンサンを翻弄したのだ。この日もワルドナーは、打点の高いカーブドライブやらナックルドライブを見舞っていた。意外だったのは、ワルドナーのカーブドライブを相手の人がカットで落とすことが多かったことだ。

次の相手はなんと、東京アートの大森監督が現役時代と同様のバンダナを巻いて登場。こりゃ大変なことになったと尿意をもよおしたが、我慢して見ていると、ワルドナーから点を取ることは難しいらしく0-3で敗れた。その前の試合まで大森自身が格下の選手にやっていたように、ワルドナーは普通にツッツキやらブロックやらリラックスしてやっているのだが、大森選手はリスクを犯さないと点を取れないため、勝機を見出せなかった。ワルドナーの一球一球の質がまるっきり違うのだろう。

決勝の相手は、遠藤という選手で、めちゃくちゃ強かった。なにしろあのワルドナー相手にブツ切りの下回転サービスで3、4本レシーブミスさせたのだ。ラリーでも完全に押していて、1ゲームを取り、とられたゲームも接戦で勝っても少しもおかしくない内容だった。
「コラッ、このお方がクアランプールで劉国梁を粉砕し、アテネでは38歳にして馬琳とボルの夢を打ち砕いたお方だと知っての狼藉か?ん?」と言いたい試合だった。しかし最後はバカみたいに速いバックストレートのロングサービスで一歩も動けず。97年マンチェスターでのサムソノフ戦を髣髴とさせた。もうひとつ印象に残ったのは、相手のバッククロスの回り込みフォアドライブに対するバックストレートに逆モーション気味に流すバックブロックが特別に速かった。このブロックはおそらくワルドナーが世界で最初に始めたものだが、さすがに本家本元は凄かった。

ワルドナーと話す

15年前にはただサインをしてもらって写真を撮っただけだったが、今回は話した。

「初めまして。サインしてもらっていいですか?」
「後でね」
ガクッ

二人とも椅子に座っているがまだ団体戦の最中で、他のメンバーが試合をしていたのだった。一応、そういうモラルはあるものらしい。

試合が終わったので近づいた。

「写真を撮ってもらっていいですか」
「シュア」
パシャリ

「・・・・サインしてもらっていいですか」
「シュア」
サインを3冊にしてもらう。
「・・・・」

「あー・・・・コンノを知ってますか」
「ああ、コンノ、知ってるよ。今週会うよ」
「彼は私の友達です」
「アーハン」
「・・・・」

「これは15年前のあなたと私の写真です」
と言って1997年のジャパンオープンのときの写真をデジカメで見せる。
「アー、オーケイ」
「・・・・」

「・・・・サンキュー・・・」

スゴスゴ

全国の皆さん、日本の卓球ファンの恥を代表で晒してしまったことをお許しください。

愛しのワルドナー

宇都宮あたりの新幹線に車両トラブルがあったとかで、私の乗った新幹線は白石蔵王駅で1時間半も止まってしまった。まあ、これくらい遅れたところでワルドナーとフェッツナーのいるチームが負けるわけもないと思いつつ、1時間半遅れで入間市民体育館に着いた。「ほーいほほーい」などと無闇に笑いたくなる。気分が完全にオカしい。

体育館に入ってスリッパに履き替えようとするが、買ったばかりのバカ靴の紐がきつくて脱げない。くそ。なんとか必要以上に紐を緩めてまずは全体像を見極めようと二階席に上がった。会場には「よっしゃー」「パチパチパチ」という音が満ちており、いつもの市民卓球大会とどこも変わらない。どこにも金髪の男はいない(こんなときに限って日本人の金髪がいやがる)。

「ワルドナーはどこじゃーい」

と叫びたい気持ちをこらえつつ、なんとか見つけようと目を凝らして見たがどこにも見えない。もう降参して、知り合いのいる大会進行席に行って挨拶をすると「いますよ」と指差されたすぐ先に、神様はおわした。いた。ワルドナーが(フェッツナーも)いた。

市民大会の雑然とした風景の中に二人はちょこんと座っていた。

疑問のメール

「ワルドナー来る」のブログを読んだ読書から以下のようなメールが来た。

卓球会のモーツアルトとまで言われる人が、埼玉のしかも市民大会に来るかね?
本当にワルドナーなの?
実はクルドナーとかワルドメーとかいうそっくりさんだったりして。

んなわけあるかい!ビートルースとかホフ・ディランじゃあるまいし。

ワルドナーとの思い出

実は私は15年前にワルドナーに会っているのだ。
それは1997年のジャパンオープンの会場でだ。観客があまりいなかったので、ワルドナーだのパーソンだのセイブだのがそこら中をうろうろしていて、写真だろうがサインだろうがやり放題だったので、あわててインスタントカメラを買ったのだった(当時は使い物になるデジカメなどまだ売っていなかった)。会場の近くのセブンイレブンでパーソンが買い物をしているのを見てなんだかムラムラと落ち着かない気分になったことをよく覚えている。

ワルドナーにはご覧の通り写真を撮ってもらったが、なんとも微妙な距離感が可笑しい。一方、パーソンには高い肩に手を回すずうずうしさだ。

さらにこの会場ではもうひとり重要な方とお会いしたのだが、あえて国名もお名前も伏せておく。

ワワワワ、ワルドナーが来るっ!

明日10月8日、埼玉県入間市市民体育館で行われる『iruiruオープン卓球大会』に、なんとあの伝説の名選手、ワルドナーとダブルスの世界チャンピオンのフェッツナーが参加するという情報を入手した。試合形式は3単2複の団体戦で、この二人のチームは予選リーグなしで午後からのトーナメントからの参加だという。

ワルドナーといえば、卓球界のキング、卓球界のモーツァルト、500年に一人の天才(卓球の歴史は100年ちょっとだけどな)、神の子、とまで称され、5世代の中国選手と戦った、現代卓球を作り上げた天才選手だ。国際大会には出ていないが今もどっかの国でプレーはしているはずだ。

もとはといえば、ドニックの宣伝活動のための来日なのだが、ついでにドニックジャパンの本拠地が入間市にある関係で、出ることになったという。当然、相手はローカルな選手たちだが、一般的にはかなり強い人もいるらしく、それらの選手がワルドナーとやると一体何が起こるかをしかと見届けに、見に行こうと思う。普通、あんまり強い選手が出ると、他の参加者たちが勝てなくなるわけだから「ずるい」とかあんまり歓迎されないことがあるが、ワルドナーとなれば話は別だろう。一度で良いからワルドナーのグンニャリ曲がる打点の高いカーブドライブをカウンターでストレートにブチ抜いてみたい(3倍返しされそうだが)。

荻村伊智朗の『私のスタンディングオベーション』と卓球王国の写真集を持って行ってサインしてもらおうっと。

もう1回行って来い

一番弟子の戸田からメールが来た。

戸田も「訴状が届いたことを確認してからもう1回コメントをとりに行って来い」と何年か前に新聞社にメールをしたそうだ。もちろん無視だ。さすがに一番弟子だ。

届いてから報道したらどうか

ある作家が、愛犬の遺骨を砕かれたとして外交官の男に慰謝料を請求して訴えを起こしたというニュースが載っていた。
これに対して「訴状が届いていないのでコメントできない」と男のコメントが載っていた。

「訴状が届いてから報道しろや」と思うのは私だけだろうか。

偉いぞ愛ちゃん

一昨日、『おしゃれイズム』というテレビ番組に愛ちゃんが出ていた。
そこで、寝ピクで逆モーションをしてしまった話をしていた。ちゃんと逆モーションのことを解説していてので偉いと思った。卓球界で普通に使われているこの言葉は、実は卓球界でしか通用しない言葉だ。いや、正しく言えば、まったく別の意味で使われている(それも5種類くらいある)。

フェイントの意味で「逆モーション」を使う競技は卓球だけである。ところが地上波では意味がわかりにくいという理由でテレビの解説では使わせてもらえないのだ。なんとなく意味がわかってなおかつ卓球らしい言葉なのでぜひとも使えるようになって欲しいものだ。しかも私の連載のタイトルでもあるので、愛ちゃんが「逆モーション」と言ったとき、恥ずかしながらドキッとしてしまったことを告白しておく。

もう一つ偉かったのは、愛ちゃんが卓球について「50メートル走をしながらチェスをするようなスポーツなんです」と言ったことだ。まわりのゲストたちは初めて聞くその表現に感心して面白がっていた。

愛ちゃんが知っているかどうかわからないが、この表現の原典はもちろん我らが荻村伊智朗である。

1988年ソウル五輪のとき、荻村はイギリスのアン王女に「卓球とは100メートル競走をしながらブリッジをするみたいなものです。大変なアスレチック能力と、そして同時進行形で、最高の知的能力を要求されるスポーツですよ」と解説をしたのだそうだ。するとアン王女は「それでは、わたくしの卓球のレベルは、50メートル競走をしながらポーカーをするようなものですね」と言ったという(『スポーツが世界をつなぐ』荻村伊智朗著、1993年岩波ジュニア新書)。荻村はこのアン王女の答を「なかなかユーモアがあります」と評している。この、どこからどこまでが自慢話で、どこに感心したらよいのかとらえどころのない話が、この表現の原典なのである。なお、荻村の文中にあるブリッジとはトランプの『コントラクト・ブリッジ』のことで、ものすごく高度な駆け引きが必要なゲームである。

もちろん愛ちゃんがこんなウンチクを知っている必要はないが、こういう背景を知っている私はことの他楽しかったのである。

偉大なり荻村伊智朗。

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