私は常々、気の使いすぎはかえって他人の迷惑になることが多いなあと思っている。エレベーターに乗るとなぜかエレベーターガールになってしまう女性がそれだ。全員が降りる間に扉が閉まってしまうほど大人数が乗ったのならともかく、2,3人しか乗っていないのになぜかボタンの前に陣取って「開」のボタンを押して「どうぞ」などと言って他の人を降ろしてから自分が降りようとする。
一見、気が利いているようだが話はまったく逆だ。こんなことをされるとこちらが「あ、どうも」などと、本来まったく不必要な「感謝の気持ち」を礼儀として表現しなくてはらならなくなる。黙って扉の前で開くのを待ち、開いたらまっすぐ正面に歩いて降りればよいだけのなんとも安堵に満ちた気楽な瞬間が、無意味な親切の押し売りのおかげで不愉快極まりないものとなる。
そもそも一体何の親切のつもりなのだろうか。そんなエレベーターガールの真似事などしなくていいから、乗ったら足を止めずに速やかに一番奥まで歩いて行き、降りるときは普通に順番を守って真っ直ぐに歩いて降りる。このようにして欲しいものだ。
要らぬ親切という話なら、私も先日遭遇しました。
その日は雨でしたが、歩行者の私が左折、対抗してくる乗用車が右折してくるときに、私は立ち止まって乗用車が右折するのを待ちました。
私が先に行ったとしても、乗用車は私と同じ進行方向に来るのだから
追い抜かれることになり、その際に水たまりの水をひっかけられるリスクがあるからです。
そのために私が道を譲っているのに、乗用車の低能ドライバーは
いかにも日本的な親切のお返しでもするかのように、私に先に行かせようとするのです。「ああ、これがバカか。」と思いましたね。
なるほどそれも要らぬ親切ですね。
他人に親切にするには、気持ちだけではなくて能力が要求されるということですかね。
条太さんのエレベーターガールの件もそうですが、人に親切にするときに重要な能力は、一つは自分と相手を俯瞰で見て、当事者になり過ぎない事と、物事を局所的にドラマチックにしないことだと思いますね。これはテレビの弊害だと思ってます。ドラマなんかで恋人同士が感動の再開を人ごみで果たし、通行人の邪魔になっているシーンがしばしばありますが、あれを「周りに迷惑だよなあ」と思えなくなったらやばいですよね。