オチのない音楽

この週末、何度か町で夏祭りに出くわした。町内の人たちが仮装をして神輿を担ぎ、その後ろを女性や子供が笛や太鼓を叩いて歩いていた。これまでに何度も見てきた光景だが、あらためて意識してみると、面白いことに気が付いた。それは笛の旋律だ。西洋の音楽なら、導入部があって途中で繰り返しの盛り上がりがあり、最後にいかにも曲の終わりという感じの旋律に落ち着くというストーリーがあるのだが、この祭りの笛の旋律は、なんだか常にランダム、デタラメという感じでしかもストーリーもオチもない。だからとても落ち着かない。しかし、これは西洋音楽の影響を受ける前の日本人本来の音楽が、庶民によって伝承されて現代まで生き残っているのだろうと思い、音楽ではなくてそのことに少し感動を覚えた。

もし私に音楽理論の知識があれば、この笛のコード進行はどうだとか楽しい話ができるのだろうが、それができないのが残念だ。意外と「祭りの笛も明治維新後に西洋から入ってきたものだった」などというのが真相だとがっかりするのだが、まあそんなこともないだろう。西洋にはあんなヒョロヒョロとした根無し草のような旋律はないはずだ。それにしても落ち着かない。楽しいとも悲しいともなんの感情も喚起しないピーピーピーという笛の音だが、昔の人たちは何か感じたのだろうかと思うと不思議な気持ちになる。

オチのない音楽” への 1 件のコメント

  1. 日本の音楽は連続で聴いているとボーっとしてくるので、催眠のような効果が仕掛けられているのかもしれません。催眠にかかって日常のことを忘れれば祭りをより楽しめますからね。私の愚見ですけども^^;。

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