人々が話す言葉でいつも気になるのが「次元」だ。「世界選手権ともなると次元が違う卓球だ」などという使われ方をする。まるで「次元」がレベルとか世界と同じような意味だと思っている使われ方なのだ。
もちろん次元にそんな意味はない。スポーツやゲームで言えば、一直線上を走る100メートル走は1次元のスポーツと言えるし、平面上で勝敗を競う囲碁や将棋は2次元のゲームと言える。空間を使う球技のほとんどは3次元のスポーツだ。これに時間も加えればそれぞれ1次元増しになる。次元とは要素の数を表す数学用語なのだ。だから「世界選手権ともなると次元が違う」という使い方は比喩にもなっていない単なる誤用である。もちろん「卓球が強いということと年収がどれくらいかということは別次元の話だ」というのも誤用だ。単に「別の話だ」と言えばよい。
もっとも、ある新興宗教のパンフレットに書いてあった次元の話は素晴らしかった。この世は20次元だかからできているそうで、「次元の意味を分かりやすく説明すると18次元が高校生だとすれば19次元は大学生だということです」などと気が狂ったようなことが書いてあった。ここまでデタラメだと巧まざるユーモアとなって爆笑を誘うのでこれはこれで素晴らしい。
これほど可笑しい場合は良いが、可笑しくもない単なる誤用は勘弁してもらいたい。