今日、母校の水沢高校が女子団体で悲願のインターハイ出場を果たした。
初めてかと思って念のため調べたら、なんと昭和27年にも出場していて、実に66年ぶりとなった。「ぶり」と言うことすら憚られる年数だ。そんなの時効だとでも言いたいくらいだ。
私は県予選を見に行ったのは30年ぶりくらいだが、今年は勝ちそうだからというので見に行ったのだ。昨年も優勝候補だったのが3位に終わったのだが、そのときの主力2人が2年生だったので、そのまま今年まで残っているので有望だという話だったのだが、行ってからよくよく聞くと、なんとそれは決勝の相手チームも同じで、優勝するのはかなり難しいとのことだった。
1番でこちらのエースがあまり勝ったことのない相手に運よく勝ち、2番は順当に取り、3番のダブルス勝負となった。2-0でリードしている状況だが、4番と5番はまず勝てないだろうということで、実質2-2のラストをやっているようなものなのだ。そのダブルスで、ゲームカウント2-1とリードし、10-8とマッチポイントを取ったところで私はたまらず得意のスマホを構えて優勝の瞬間を動画で撮影しようとした。しかしそこから逆転され、最終ゲームとなった。
たった1点とれば66年ぶりのインターハイ出場なのに、勝つことはなんと難しいのだろう。相手もたいしたものだ。「勝ったと思って撮影などするからだ」と、関係ないはずなのにやはり思ってしまう。「勝ったと思ったから負けたのだ、OBがそういう甘い考えだから選手もそうなのだ」と。さっきまで浮かれて「祝勝会の会場予約しろや」などと言い合っていた先輩たちもシュンとなり、貧乏ゆすりが激しくなる。
最終ゲームは序盤から突き放し、10-7となったところでまたスマホで動画撮影を始めたが、今度は11-8で優勝となった。
主力の2人は、勉強をしながら卓球も頑張ったというのは事実だが、実は水沢高校のOBたちが小学校低学年から卓球を教え込んでおり、中学時代にはすでに県のトップクラスだった選手たちだ。普通に中学校から卓球を始めた選手だけでインターハイに出るなどというのは、現実的ではないのだろう。
私の時代は、ほとんどの選手が中学校から卓球を始めていたので、そんなことはなかった。その中にあって私の代は、目標が「団体戦で県ベスト8」という恐ろしく低いものだったが、それすら達成できなかった。
悔しいというか情けないというか、やっぱり今でも悔しい。ダメだなあ俺はと思う。それは後輩が優勝してもなんら解消されない。
そういう悔しさも、料理の苦みや辛さと同じく、人生のスパイスなのだろうと思う。まあ、こうやって書ける程度なのだから大した悔しさでもないのだ。