年別アーカイブ: 2018

悲願のインターハイ出場!

今日、母校の水沢高校が女子団体で悲願のインターハイ出場を果たした。

初めてかと思って念のため調べたら、なんと昭和27年にも出場していて、実に66年ぶりとなった。「ぶり」と言うことすら憚られる年数だ。そんなの時効だとでも言いたいくらいだ。

私は県予選を見に行ったのは30年ぶりくらいだが、今年は勝ちそうだからというので見に行ったのだ。昨年も優勝候補だったのが3位に終わったのだが、そのときの主力2人が2年生だったので、そのまま今年まで残っているので有望だという話だったのだが、行ってからよくよく聞くと、なんとそれは決勝の相手チームも同じで、優勝するのはかなり難しいとのことだった。

1番でこちらのエースがあまり勝ったことのない相手に運よく勝ち、2番は順当に取り、3番のダブルス勝負となった。2-0でリードしている状況だが、4番と5番はまず勝てないだろうということで、実質2-2のラストをやっているようなものなのだ。そのダブルスで、ゲームカウント2-1とリードし、10-8とマッチポイントを取ったところで私はたまらず得意のスマホを構えて優勝の瞬間を動画で撮影しようとした。しかしそこから逆転され、最終ゲームとなった。

たった1点とれば66年ぶりのインターハイ出場なのに、勝つことはなんと難しいのだろう。相手もたいしたものだ。「勝ったと思って撮影などするからだ」と、関係ないはずなのにやはり思ってしまう。「勝ったと思ったから負けたのだ、OBがそういう甘い考えだから選手もそうなのだ」と。さっきまで浮かれて「祝勝会の会場予約しろや」などと言い合っていた先輩たちもシュンとなり、貧乏ゆすりが激しくなる。

最終ゲームは序盤から突き放し、10-7となったところでまたスマホで動画撮影を始めたが、今度は11-8で優勝となった。

主力の2人は、勉強をしながら卓球も頑張ったというのは事実だが、実は水沢高校のOBたちが小学校低学年から卓球を教え込んでおり、中学時代にはすでに県のトップクラスだった選手たちだ。普通に中学校から卓球を始めた選手だけでインターハイに出るなどというのは、現実的ではないのだろう。

私の時代は、ほとんどの選手が中学校から卓球を始めていたので、そんなことはなかった。その中にあって私の代は、目標が「団体戦で県ベスト8」という恐ろしく低いものだったが、それすら達成できなかった。

悔しいというか情けないというか、やっぱり今でも悔しい。ダメだなあ俺はと思う。それは後輩が優勝してもなんら解消されない。

そういう悔しさも、料理の苦みや辛さと同じく、人生のスパイスなのだろうと思う。まあ、こうやって書ける程度なのだから大した悔しさでもないのだ。

曖昧な供述

よくテレビで事件を起こした人が警察に拘束されて「曖昧な供述をしている」と報道されることがある。曖昧な供述とは「ええと、したようなしなかったような・・・」という供述だと思うが、そんなことを言っているわけがない。

容疑者が言っているのは「頭の中で電波で指令を受けてやった」などという、精神異常を疑わせる供述なのだ。ところがそれを報道すると差別につながるということで「曖昧な供述」という、それこそ曖昧な報道をしているわけだ。

急にそんなことを思ったのは、今日のニュースで「意味のわからない供述をしている」という報道を見たからだ。これは知る限り初めての表現で新鮮であった。

しかし、意味のわからない供述とはどういうことだろうか。たとえば「ペリトルがドルコイしたからとぅつとずした」などと言っているのなら意味のわからない供述だが、「宇宙人から指令を受けてやった」と言ってるのなら意味は明瞭だ。正気ではないだけだ。

本当に意味のわからないことを話す人間はそうそういないと思うのだが。

「ペン粒」の集い

ペンホルダーツブ高という特異な戦型は、トップ選手の中にはほとんどいないが、中級以下では意外に日本に広く分布している。

今回は、中目卓球ラウンジで、ペン粒3フェイズ飲み会を敢行した。

すなわち、日本最強のペン粒の呼び声高い小島さん(タクティブ)、中級代表の馬渕さん(テレビディレクター)、初級代表の高部さん(卓球王国編集部)だ。

ペン粒になった動機が色々と楽しかったのだが、非常に大きな収穫は、彼らは自分のボールが揺れたと思ったことは一度もないということを聞けたことだ。

私は長い間、ツブ高のボールが本当に揺れるのか、錯覚なのかを考えていた。というのも、かつて私は自宅に卓球台とマシンがあり、それで粒高を使って揺れるボールを出そうと、色々なボールに対して色々な打ち方をしてみたのだ。ところが、とうとう揺れるボールを出すことはできなかった。そこで、ツブ高が揺れると感じるのは、予想と軌道が違うことで一瞬視線が迷い、それで揺れると錯覚するのではないかという仮説を立てた。

その後、卓球に詳しい物理学者にこの仮説をぶつけたら、「あなた、目は大丈夫ですか?揺れるでしょツブ高」とバカにされ、揺れる原理を気流だのなんだので説明されたものだった(今も根に持っている)。下手に物理学を知っているとこうなる。理屈より前に、本当に揺れているかどうかの確認をすべきなのだ。

無回転のボールが左右に揺れる場合があることは、サッカーボールかバレーボールで連続写真で確認されている。だからといって卓球のツブ高でも揺れているとは限らない。そういうことは測定してみるまで信じてはいけない。

本当に揺れているのなら、自分が打ったボールを正面から見ている打球者にこそ見えなくてはならないが、ツブ高使いの彼らが生まれてこの方、相手から「今の揺れた」とは何度も言われたが、揺れたと思ったことは一度もないというのだ。

なんと素晴らしい証言だろう。

 

中学1年から卓球を始め、ツブ高が何かも知らない段階で顧問の導くままにペン粒になり、今では日本最強のペン粒とも言われる小島さん。

バタフライの『ビデオ卓球教室 異質反転型』を見て、駅から自宅まで歩きながら反転することだけを学んだという馬渕さん。ついついスマホを反転させてしまうらしい。

大学から卓球を始め、ツブ高ほど素晴らしい戦型はないと言い切る高部さん。料理のメニューまで反転。アルバイトのときは金づちをペン持ちして反転していたというどうでもよい経歴を持つ。

 

そのうち、座談会として記事にしたい。

 

卓球バー『スピン・ニューヨーク』

先月のアメリカ旅行のとき、帰り道にニューヨークに寄ってきた。

次男がタイムズスクウェアを見たいというので、仕方なく寄ることにしたのだったが、ニューヨークのホテルについてから、ニューヨークには卓球バー『スピン・ニューヨーク』があることに気がつき、急遽、行ってみた。

入り口を入ると写真のように地下に降りる階段があるのだが、それが地下鉄の入り口風になっている。

よく見ると、地下鉄のマークがSP1Nとなっていて、トレードマークの「SPiN」と読めるようになっている。

ちなみにこちらが本物の地下鉄の入り口だ。

受付には「卓球王国を知っている」という調子のよい兄ちゃんがいた。帽子を前後逆に被っているところが調子がよい印だ。

こちらが店内。なんかかっこいい。

これは音楽を調整しているらしいDJ。

カウンターで酒を飲む客もいる。30分で1台29ドル(約3000円)なのに卓球しなくていいのか。

ということで、この訪問の顛末を今月発売の卓球王国に書いた。

編集部がつけた記事のタイトルは

伊藤条太の世界で逆モーション「条太、ニューヨークへ行く。」

だそうだ。うぃーす・・・まあいいだろう。

今月は、張本智和選手のご両親の取材と通常の連載と合わせて3本書いたので、ご覧ください。

 

伊藤秀己さんからの葉書

『卓球王国』のアンケート葉書に私のことが書いてあると、編集部から毎月コピーが送られてくる。

その中に唯一、何年にもわたってほぼ毎月「前略 伊藤条太様」で始まる文章を書いてくる人がいる。花巻の伊藤秀己さんという方だ。

しかも私の連載と関係なく、ご自分の近況を小話風に書いてくるのだ。今日届いたコピーがあまりにも面白いので、ご本人の許可を得て全文を紹介する。

「前略 伊藤条太様 妥当であるという言い方はかたくるしいので、そだねーとしてはどうかという提案をしたところ上司から文書にするとそうだねぐの略、違うというニュアンスになるので却下とされました。それではチョレイではいかがですかと再提案したところ全く意味がわからないとのこと。そのやりとりの影響かはわかりませんが、異動が決まりました。草々 P.S.似て非なる話を書こうと思ったのですが、全く違いました。」

「そうだねぐ」というのは、東北弁で「そうじゃなく」の意味だ。「だ」が「じゃ」と同じ用法になるのだ。したがって「そだねー」はアクセントによっては「そうじゃねえ」と正反対の意味に言えてしまうのだ。

この調子で、時には落ちがあるのかないのかわからない奇妙な奇妙な文章を毎月書いてくれる方なのだ。

 

雑誌『通販生活』

2月に座談会をした雑誌『通販生活』が発行の運びとなり、送られてきた。

卓球が盛り上がりを見せている昨今、卓球に詳しい各分野の3人、つまり平野早矢香さん、福澤朗さん、私で裏話を語るという「なるほど」という企画であった。

座談会の内容は雑誌をご覧いただくとして、面白かったのは、福澤さんの卓球狂いの程度だ。

座談会は、新宿にある雑誌販売元であるカタログハウス本社で行われたのだが、なんと福澤さん、そこまで上下とも卓球のジャージ姿で現れたのだ。

卓球をテーマにした座談会だからではない。福澤さんはカタログハウスに着いたとたんに控室に行き、スーツに着替えたのだ。

逆だろう普通。

しかもスーツの襟のところをよく見ると、ちゃんとバタフライのピンがついていた。

この人は本当に卓球が好きなのだ。私も卓球は好きだが、福澤さんほど好きだろうかと言われると自信がない。もっとも福澤さんは対談のとき私のことを「同じ年だとわかったから言いますが、この人は変態です」と言っていた。

誌面ではカットされていたが(笑)。

まあそんあもんだ。

 

お通夜のようなお花見

昨日は、フリーライターの特権を活かし、平日の昼にもかかわらず、花見に行ってきた。

夜の宴会のために午前中から場所取りをしている学生たちがいる中で、ひときわ大きなブルーシートを敷いて場所を確保しているところが目についた。

弁当がきちんと並べられ、上座と思われるところには、うやうやしく座布団なんか敷いてある。

これは・・・サラリーマンだ。それも、飛びきり硬い感じのサラリーマンだ。私が働いていた職場でも、夜の宴会のために若手社員が前夜から徹夜で場所取りをするということがあったが、この整然とした弁当の並べ方と上座の迫力はどうだ。

並々ならぬ硬さである。

 

しばらくしてから見ると、案の定、ブルーシートは紺のスーツ姿で正座をする男女で埋め尽くされた。

それで、次々と交代で上座の人物に酒を注ぎに行ったりなんかしている。それをいちいち横からカメラで撮影している者もいる。

談笑する者はひとりもおらず、まるでお通夜のような粛々としたお花見であった。

学生の読者にはわからないかもしれないが、会社員にとって、お花見は仕事なのだ。弁当がまずかったりしようものなら「事前に試食して選べ!」と罵倒されるのだ。そこで「まずいのも話のネタになって面白いでしょ」などと開き直るなどもっての他、出世レースからの脱落は約束されたようなものだ。

そんな光景を見ながら私は「トルネード」とかいう、ジャガイモをらせん状にして揚げたものを背中を丸めて座りながら食べたのだった。カレー味だった。ああ旨い。

 

 

「ニッカ」創業者のラケット

このブログの読者の方から、貴重な写真をいただいた。

ニッカ創業者である竹鶴政孝のラケットの写真だ。北海道余市のニッカ工場に展示されているという。

調べてみると、この工場が作られたのは昭和9年であり、日本にラバーが入ってきた昭和13年より前だ。だからラケットにラバーが貼られていないことと矛盾しない。仕事の合間に従業員たちと卓球を楽しんだのに違いない。

「それがどうした?」と言われると辛いところだが・・・。

「金に糸目をつけない」とは

次男が「金に糸目をつけない」という表現の由来は何かという問題を出してきた。何やら発見したと思っている様子で得意気だ。

「よく知らないが、縫い糸か何かが元だろう」と答えると、次男の解釈では、糸のように目を細めた状態が「糸目」であり、すなわち、お金を使うときに渋い表情をすることなく使うから「糸目をつけない」と言うのに違いないという。

目を細めた状態を糸目と言うなど初耳だが、次男によれば、ネットなどでは頻繁に使われているという。そんな新しい若者用語が昔からある言い回しの由来であるはずはないが、その解釈はなかなか気が利いていて面白かった。

私も「糸目」をつけずにクリクリと目を見開いたままの状態でお金を使えるようになりたいものだ。

それにしても次男のこの常識ぐあいで、今週から始めた会社員生活は務まるのだろうか。営業らしいが・・・。