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美誠パンチの秘密

NHKスペシャルで東京五輪での活躍が期待される若手選手の技術を解析していた。

卓球からは伊藤美誠の「美誠パンチ」が取り上げられていた。こういう番組で卓球が取り上げられるようになったのだから大したものだ。

吉田和人さん(ITTFスポーツ医科学委員)の解説がやたらと知的で格調高くカッコよかった。素晴らしい。

さて、NHKが高速度カメラを使って分析して明らかとなった美誠パンチの秘密は、以下の3つだった。

1.ドライブに比べて回転量が少ない

2.台の近くで打球しているので相手に与える時間が少ない

3.インパクトでボールを見ていない

なるほど。完全に正しい。正しすぎる。さすが高速度カメラだ。

全日本も始まることだし余計なことは言うまい(笑)。

美誠パンチの威力はよいとして、私としてはそれのどこが難しいかも知りたかった。

たとえば、回転が少ないとボールは直線的に飛ぶので入る確率が小さく、美誠パンチを成功させるためにはラケットの角度のブレが許されるのが何度くらいなのかだ。当然、それはドライブよりはるかに狭い範囲となるはずだ。

他の選手より台の近くに立ち、少ない持ち時間で相手のボールに適した正確なラケットの角度を出して強く振ることができるところが伊藤の凄いところなのだから。

なお、番組では「美誠パンチの少ない回転量が独特の軌道を生むため相手が反応しずらくなる」としていたが、そうではなくて単にボールが速いから反応しずらいのだ。

あの程度のゆるい回転量のボールは、練習でもっとも多く使われる普通のボールであって「独特の軌道」とは程遠い。少ない回転量に威力があるとしても、それはラケットに当たった後の反射角度に影響を与える点あり、間違っても軌道ではない。

卓球選手にとって軌道の変化は対応できるのでさほど問題ではないのだが、テレビはなぜかいつも回転の威力を軌道に結び付けたがる。他の競技よりもボールがぐにゃぐにゃ曲がるのでそこに目を奪われることと、画面で表現しやすいためだろう。

結果、「水谷のナックルドライブは軌道が跳ね上がるために相手がネットミスする」などというものの見事にわけのわからない解説となる(2010/9/27参照)。

やっぱり余計なことを言ってしまった(笑)。

それにしても、毎日のように卓球がテレビで取り上げられるので、ネタに困らない。なんと楽しいことだろうか。

どちらが卓球エリートなのか

早田ひなの人気が凄い。

特に、卓球をあまり知らない一般の方からの評判が良く、立て続けに3回ぐらいお褒めをいただいた(卓球選手が褒められると自分のことのように嬉しいのでこういう表現になる)。

行きつけの居酒屋のマスターなど、とうに60を過ぎているにもかかわらず女子高生に対して「彼女はいいねえ、女優でも十分やっていける」などと何の眼力があってか断言していたほどだ。

早田と言えば、同学年の伊藤美誠と平野美宇と比べられることが多いが、早田にはこの二人と大きく違う点がある。両親が卓球経験者ではないことだ。伊藤、平野は小さい頃から特に母親から熱心に卓球を教えられて強くなったが、早田はそういう環境ではなかった。

ある方にこのようなことを言うと「卓球エリートばかりが活躍していてはつまらない、早田のような異色の選手にも活躍してほしい」と言われた。

実際には早田も両親こそ卓球人ではないが、4歳から名門石田卓球に通っているのだから、似たようなものではある。

しかし、この意見には考えさせられた。仮に早田が伊藤や平野と違い、小学5年生から卓球を始めて今の実力になったとしよう。あり得ないことだが仮にの話だ。

すると、早田は明らかに少ない練習量でトップレベルになったということになり、とんでもない天才だということになる。

逆に、伊藤、平野こそ、天才どころか努力の人であって、本来、日本人はそういう人こそ好ましいと思うはずなのだ。

そういう文化的下地があるにもかかわらず、うっかりすると後者の方が、雑草魂というか逆境を努力で跳ね返した人のような印象を持ってしまうことが、我ながら不思議だ。

その錯覚の原因を考えると、幼少時から卓球漬けという環境が、財産や家柄、能力や形態の遺伝といった「生まれながらのアドバンテージ」と重なってしまうためだと思われる。

実際には、スポーツは生まれながらのエリートはあり得ず(素質があっても最初からトップレベルではない)、誰でも必ずゼロからのスタートなので、幼少からやっている者こそ努力の人なのだ。

酔った頭でそんなどうでもよいことをぐるぐると考えさせられた(勝手に)ほどの早田の人気ぶりである。

雀鬼の指導

あるスポーツ番組で、平野早矢香が雀鬼すなわち麻雀の鬼と言われる桜井章一に教えを受けたエピソードが語られた。

それはいいのだが、私が着目したのはその再現映像だ。

当然、平野も桜井も役者が演じたのだが、まずいことに桜井が平野に素振りを命じたのだ。

卓球を指導している身としては、素振りを見れば、それが役者だろうが素人だろうがかまわず、その良し悪しを考えないではいられない。これは職業病のようなもので、どうにもならない。

そして、これがその映像だ。

これほどまでにラケットの角度を激しく変えては、入るものも入るまい。桜井章一は平野にフリーハンドを意識するようアドバイスをしたそうだが、私なら問答無用で「帰れっ!」と言うところだ(笑)。

経験上、単なる初心者はこうは振らない。これは単なる初心者ではなく、演技のプロが、卓球選手らしさを出そうとしてデフォルメをした結果なのだ。

すなわちこれは、一般の方々の目に卓球がどのように映っているかが誇張された姿の映像化なのだ。

そのようなことを考えさせられた非常に興味深い映像であった。

消えた天才

正月のテレビで「消えた天才」という番組をやっていた。

成功したアスリートたちには、かつて、どうしても勝てなかったライバルがいたが、なぜかその選手たちは突然表舞台から姿を消してしまった。

その原因が何なのかと、今その人たちはどうしているのかをドラマチックに追ったバラエティー番組だ。

陸上の桐生、水泳の岩崎恭子らとともに、卓球からは、福原愛が高3のときにインターハイ決勝で福原を破った宇土弘恵と、水谷がジュニアのころ勝てなかったとされる坂本竜介が取り上げられた。

こうして卓球が一般のバラエティー番組に取り上げられるようになるとはまさに夢のようである。

エンターテイメントとしてとても面白かったが、こと卓球に関してはかなり演出が入っていたので、こっそり(でもないが)訂正しておく。

福原に勝った宇土を「無名選手」と表現していたが、宇土は高校2年ですでに全日本選手権で32に入っている、卓球界では無名どころか超有名選手である。

宇土が、福原に勝った後「世界選手権やオリンピックの代表にならず福原にも勝てなかった」ことをもって「表舞台から消えた」と表現されていたが、宇土は大学時代に関西学生で単複優勝、全日本学生でもダブルスで優勝している。一般のマスコミが知らなかっただけで、全然消えてなどいない。

一般のマスコミが知らないことをもって「消えた」と言うなら、宇土はもともと知られていないのだから「消えた」のではなく「いなかった」のだ。

坂本についても同様だ。福原と組んだダブルスで全日本で2回優勝した後「表舞台から消えた」と、あたかも失踪でもしたかのように紹介されたが、実際には消えたどころか、引退試合となった2012年度の全日本選手権でも、男子ダブルスで準優勝している。ド強である。たしかに坂本はイップスに悩まされ、期待されたほどの戦績は残せなかったかもしれないが、卓球界では全然「消えて」などいない。

一般のマスコミに対しては、福原との混合ダブルスで優勝したときでさえ、ニュースでのカメラは福原ばかりアップで追って、相手はおろかパートナーの坂本さえほとんど画面に映らなかった。文字通り「手も足も出なかった」のだ。つまり、そのときですら坂本は「消されていた」のだ。今さら「なぜ消えたのか」もない。

宇土も坂本もインタビューに「なぜ消えたか」を淡々と答えていたが、こんな失礼な構成にされることを承知の上で答えているのだろうから、卓球界にとってありがたいことだ。

なお、宇土の卓球の凄さを表現するのに「相手のラケットを弾き飛ばす破壊力」と表現されていたが、弾き飛ばされているのはラケットではなくボールで、ラケットの縁に当たっただけである。ぼんやり聞いているとなんだかすごく見えるから不思議だ。素晴らしい演出の妙、さすがプロだ。

さらに、宇土の凄さを表現するのに「爆発音が鳴り響いた」と言っていたが、単に踏み込んで足を鳴らすという、卓球界では大昔からよくある光景だった。

卓球の試合会場はいたるところ「爆発音」だらけである。

天才に錬金術はない

荻村が書いた正反対の文章も当然載せておかなくてはならないだろう。

『私のスタンディングオベーション』(日本卓球株式会社刊)の冒頭にそれはある。

引用しよう。

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天才に錬金術はない。

ダイヤモンドの原石を持った人だけが、その才能を磨いて、磨いて、磨き抜いて、輝かしい光を競いあうことを許される。その場が世界選手権大会なのだ。

「一たび球界にゲーテいずれば、いかに多くの選手たちが無名の詩を綴らねばならぬことか。」と竹内孟は彼の小説に詠った。高校生の私は、その言葉に慄然としたことを覚えている。

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さあ、誰でも努力すれば世界チャンピオンになれるというのと、才能がある人しか世界チャンピオンにはなれないというののどちらが真実だろうか。おそらく後者なのだろう。しかし、肝心の才能が何を指すのか誰にもわからないのだから(わかると思い込んでいる人はともかく)、その有り無しも当然わかるわけがなく、まあ、意味のない議論ということになろう。

卓球に必要な素質

荻村伊智朗がその著書『笑いを忘れた日』(卓球王国刊)で、卓球に必要な素質について語っている。

荻村は高校1年で卓球を始め、わずかその5年後に世界チャンピオンになった。その荻村は、卓球を始めて間もないころ、友人の勧めで早稲田大学卓球部の副キャプテンをやっているという人に素質の判定をしてもらった。

その結果は「君は素質がない。悪いことは言わないから卓球だけは止めなさい」というものだった。

もちろん荻村は卓球を止める気はなかったが、そのとき、よりどころにしたのが、アメリカプロ野球年鑑の「素質とは何か」についての記事だった。

そこには、ベーブルース、タイカップ、ゲーリックなど、野球史上に残る優れた選手になるために必要な三つの条件が、総力をあげた調査結果として報告されていた。

その三つとは

・ナイフやフォークを使って食事ができること

・ふつうに歩行ができること

・ふつうに会話ができること

だった。

ナイフやフォークを使えることは、一定の器用さ、巧緻性がある証拠であり、歩き回ることができることは、基礎的な体力を示している。そして相手の話を理解し、自分が考えることを言葉で伝えることができることは、一定以上の知能があることを保証している。

ここからは、『笑いを忘れた日』から引用する。

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「本当にそれだけでいいのか?」と思うだろう。本当にそれだけでいいのだ。生まれてから備えている資質というか、天から授かった才能と言えばそれだけの条件が備わっていればいいのだ。と、アメリカの学者たちは最終結論を出したものである。そして、後は適切な刺激が反復して与えられさえすれば、そして本人が継続的に誠実な努力を続けさえすれば、必ずゲーリック、タイカップ、ベーブルースなどと同じ水準に達するのだ、と言う。(中略)

スポーツ生活を仮に十年やるとすれば、十年後の体格は完全に自分が作り出したものである。人の細胞は十年たつとまったく一新する。(中略)

十年後のための計画を今からやる決心がついて、実行力のある人であれば、必ず私やあるいは、その他の世界チャンピオン級の選手たちと同じような水準に達することは誰にでもできるはずである。

必要なのは稀に見る素質ではない。

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このようなことを書いていた荻村が、後年、正反対のことも書いているのが皮肉ではあるが、どちらも感動的だ。

それにしても、荻村が引用したアメリカプロ野球年鑑の記事をどうにかして読む方法はないものだろうか。

卓球をやる資格

封筒に同封されていたQ&Aが素晴らしい。

「できます。」

なんと力強い断言だろうか。自宅でたったひとりでできるらしいが、キーツールである「ストッパー」を相手コートに置くところからすると、卓球台は必要なようである。卓球台があるなら誰かと練習した方がよいような気がするが・・・。

そのような当然の不安に、次のようにたたみかける。

「何にも心配いりません」だ。

「何(なに)も」ではなく「何(なん)にも」だ。このわずかな振り仮名の違いが、読むものを優しく包み込み、安堵させる。

「おもいっきりラケットをふる」少年少女たちの眩しい姿が目に浮かぶ素晴らしい文章だ。

Q&Aは「心配ない」から、さらに踏み込む。

「ラクラク両立できます」ときた。

学習塾に通いながら卓球の日本代表になった人は歴史上ひとりもいないと思うが、その奇跡を可能にするのがこの通信講座なのだ。

さらにQ&Aは、根本的な問いを投げかける。

「卓球をやる資格」だ。誰もが一度は考える、あるいは考えなくてはならない根本的な問いだ。

「卓球を始めるのに何の資格もいりません。人にはそれぞれ、生まれながらにもっている体質や体型がありますが、そんな差はたいした障害にはなりません。卓球をやりたい、そんなキミの今の気持ちを本講座にぶつけてください。」

ここで私は不覚にも本気で感動した。こういうのには弱い。

これは・・・荻村伊智朗だ。

荻村伊智朗の精神は、この通信講座にまで生き続けているのだ。

恐るべき通信教育

ひょんなことから恐るべき通信教育があることがわかった。

なんと卓球の通信教育だ。

中学生の頃、空手や柔道の通信教育があったことを思い出し、もしやと思ってネット検索してみたらあったのだ。

卓球関連の情報物はすべて収集している私としては当然、手に入れなくてはならないので、さっそく資料の請求を行った。

これが実に恐るべき内容であった。

なにしろ、自宅で1日15分秘密のトレーニングをするだけで世界選手権やオリンピックに出られるらしいのだ。

資料では卓球の基本的な情報が詳しく紹介されているが、書かれていることはすべて正確無比であった。 

世界の名選手がワルドナー、ガシアンだというのだから間違いであるはずもない(ワイドナーとはなんだかプレー領域が広そうだがもちろんワルドナーの間違いだろう)。荻村伊智朗が入っていないのが不思議なほどだ。

そうした基本を踏まえながらも、オリジナルな技術も豊富らしいことが、イラストからうかがい知れる(特にグリップな)。

そして上達の秘密はどうやら最新技術を詰め込んだビデオテープにあるらしい。わずか30分に現代卓球の粋を集めているらしいが、再生機器が手に入らないのがネックだ。

入会する度胸は今のところない。

「会社を辞めて卓球関連の執筆に注力するとはこんなことを書くということか」と言われそうだが、好きなのだから仕方がない。もっと書くよーん。

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