『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるの自伝「ねぼけ人生」を読んだ。
面白かったのが、美術学校へ行くために中卒(今の高卒)の学歴を得ようと園芸学校を受験したときの話だ。50人募集しているところに志願者が51人で、水木ただ一人が落ちたのだという。以下に転載する。
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学科試験は、我ながらよくできて、百点はまちがいないとほくそえんでいたほどだった。午後、面接試験があった。控室で待っている間、僕は、五十一人のこの受験生のうち、たった一人落ちるのは誰だろうと、じろじろ顔をながめまわしていた。口からよだれをたらしたのや、眼の光のよどんだのが二、三人いたので、必ず、こいつが不幸な一人になるのだと思ったが、まさか、自分がその一人になろうとは思ってもみなかった。
面接の口頭試問は、「この学校を卒業したら、どうするか」というもので、僕は、「美術学校へ行く」と答えた。
これがどうやら校長にはひっかかったらしい。校長は、じーっと書類をながめながら、
「君、園芸というと花作りなんかで楽しいと思っとるか知らんが、百姓仕事は、時には、くさったクソをなめなきゃならんこともあるんだよ」
と言う。校長は、おどかしたつもりだったろうが、僕は、かえってふるいたった。
「僕は、クソは平気です。赤ん坊の時には、手についたクソをなめたことがありますし、小学校では教室でよく屁もしました」
と答えた。その上、さらに勢いづいて、ここぞとばかり、
「猫のクソを菓子とまちがえて食べたこともあるんですよ」
と力説した。
すると、校長は、自分がクソの話を切り出したくせに、急に不機嫌そうな顔になった。
どうも、このあたりがまずかったようだ。
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他にも、戦争の理不尽さ(戦闘で命からがら部隊に帰ったら「みんなが死んだのにお前はなぜ逃げて来たんだ、お前も死んだらどうだ」「まもなく死に場所を与えてやるからその時はまっ先に死んでくれ」と中隊長に怒られた)、貸本時代の貧乏の凄まじさ(毎回、原稿料をもらう前の一週間はほとんど絶食状態で、餓死した知人もいた)、売れっ子になった後の過酷な労働ぶり(締め切りに追われて頭がおかしくなって原稿を催促する編集者をバットで殴りそうになった)など、ものすごい話を淡々とときにユーモアさえ交えて書いている。特に貧困時代の話は強烈で、マンガでどんなに苦しんでも、貧困にくらべればマシだという。所得申告があまりに少ないために税務署から怪しまれ「生きている以上は食べてるでしょう。これは食べていける所得じゃありませんが」と言われて「我々の生活がキサマらにわかるかい!」と怒鳴って追い返したこともあったという。
この人たちの経験にくらべれば、現代の普通の人の苦労など冗談にしかならないだろうと感じられる。
失礼ながら、マンガより面白かった。