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ナイキシューズマニア

以前紹介したガンダムマニアのジュン君だが、彼は同時にナイキのシューズマニアでもある。

なんでもエアマックスだかなんだかというものを20足以上も持っているそうで、履かないどころか、買ってから一度も足を入れていないシューズが大半だという。それならどんなサイズでもよさそうなものだが、一応、「いつ履くことになってもいいように」と、自分の足のサイズのものだけを買っているという。「子供が将来履くかもしれないじゃないですか」とも言っていたが、たぶん履かないだろう。

彼はそのシューズで別に運動をするわけではない。ただの日常生活を送るのに愛用しているのだ。「階段を下りるときなんか全然違うんです」というので借りて試してみたが、違いは分からなかった。

会社には毎日色違いで、真っ青なのやら真っ赤なのを履いてくるのだが、青いのを見ると、どうしても便所掃除のプラスチックの靴を思い出してしまう。「そんなことを言うのは条太さんだけです」と言われたが、他の人は遠慮しているのに違いない。

さらに靴の形が西洋人に合っているため、足の幅に対して縦が長いのだと言う。だから幅が合うサイズを選ぶとつま先がガッポリ余るらしい。それで、見た目に異常にデカ足になっているのだ。そんな状態で本当に「いくら歩いても疲れない」のだろうか。

まあ、世の中のいろいろな趣味の中では金がかからないだけマシと言えるだろう。

変わり者

あまりに異常なのでこれは名前を伏せて書くが、学生時代の後半、私は親しくしていた卓球部の後輩に毎日のように電話をかけていた。自分としてはそんなに長話をした覚えはないのだが、後で聞くと、「最低2時間は話された」とのことだ。話の内容はだいたい、卓球のことで、アペルグレンだの陳龍燦だの、スピードグルーの効果だの卓球部員の悪口だのだ。

その後輩は、ときどき私との電話の最中に尿意をもよおすことがあったという。彼の部屋にはトイレはあるのだが、先輩である私の話をさえぎることができず、そいうときは仕方がないので電話をしたままコンビニのビニール袋に小便をし、置き場所がないので窓の外にぶら下げたという。

この話を私はだいぶ後になって聞いて驚いたものだった。いくら先輩からの電話だからといってトイレにも行けないなんてことがあるはずがない。本当は私の話が面白すぎてトイレに行けなかったんだと思う。

それにしても、ハンズフリーでもない黒電話で、片手で電話をしながらいったいどうやってビニール袋などという形が定まらないものに小便を収めることができたというのだろうか。もし穴が開いていたらとか、形が崩れて漏れたらとか考えなかったのだろうか。大家さんも、まさか窓からたびたび小便をぶら下げている住人がいるとは思わなかっただろう。

そのうちこの後輩はだんだんとずうずうしくなり、最後には電話線を抜いて対抗するようになったのだった。これも後で聞いた話で、当時は、電話に出ないので留守かと思っても、行ってみるといるのでおかしいとは思っていたが、まさかそんなことをしているとは全然気がつかなかった。

お互いに結婚してからは、さすがに線を抜かなくなったが、私が話している最中に「わかった。それじゃ。」と言って突然切るようになった。もっとひどいときは何も言わずにブツッと切るときもある。機嫌よく話していた私が言葉の途中で急に黙って受話器を置いて本を読み始めたりするものだから、妻が驚いたものだった。そのうち事情が分かり「可愛そうに。また切られたの」と言うようになった。

変わった後輩を持つと苦労する。

インスタントコーヒー

近所のスーパー、ウォルマートでイスタントコーヒーを買った。売り場に並んでいたネッスルの昔ながらのデザインのコーヒーを見て、田村を思い出した。

学生時代のあるとき、田村の部屋に友人が来たときのことだ。田村がコーヒーを出そうとして「インスタントしかないけどいい?」と聞くと、友人は「ああ、いいいよそんなの何でも」と言ったそうだ。それで田村がそのとき持っていたネッスルのオリジナルの瓶を取り出すと、その友人は「あっ、それだけは勘弁してくれないか」と言ったというのだ。

この話を聞いて以来、私はネッスルのオリジナルの製品を見ると必ずこの話を思い出して可笑しくなる。その友人にとってそれは一体どれほど不味いのだろうか。

余談だが、田村の部屋はとても汚く、文字通り床が見えないほどいろんな物が置いてあった。訪ねてきた菊池という卓球部の後輩が、洟をかんだ後のティッシュペーパーを、そのまま床に投げ捨てて田村が激怒したことがあった。田村がわざと部屋中をゴミ箱にしていると思い込んだ菊池の浅はかさと、それほど汚くしていたクセに怒る田村の性根が可笑しい。こういうのをどっちもどっちというのだ。

田村はその他にも変わり者で、戸田が卒業するときに布団をくれるまでずっと寝袋に寝ていた。アパートの自分の部屋で3年間も寝袋に寝ていたのだ。また、暖房器具もないので、私が遊びに行くと、台所の料理用のガスを点火して、上空を扇いで部屋を暖めていた。

もしかするとあれは長居をする私への嫌がらせだったのかもしれない。私からの電話が嫌で電話線を抜いていたくらいだからな。

勘違いでした

「アトランタオリンピックで金澤珠が失格になった」と書いたところ、ゲストブックに二人の方から「それは95年天津大会です」とご指摘をいただいた。

調べてみたらその通りでした。ずっとアトランタ五輪だと勘違いしていました。失格になった金澤珠のかわりに勝ち進んだ王涛が、アトランタ五輪で劉国梁と決勝をやった王涛とダブったために、ある時期からずっと勘違いをしていました。

それにしても、このブログの読者は生き字引のような方々です。ありがとうございました。

アトランタといえば

アメリカでは11月の第4木曜日はサンクスギビングといって、日本の正月のような祝日になっている。昔、ヨーロッパから来た白人たちが、インディアンにいろいろとお世話になったお礼に収穫物をあげたのが起源だという。だからこれは、アメリカとカナダ特有の祭日だ(ちなみに、この話は白人が自分たちがインディアンを虐殺したことの罪悪感を打ち消すために作った話で、そんな友好関係があったという証拠はないというのが事実のようである)。

それで会社も休みなので、昨日からアトランタに一泊で来ている。

アトランタといえば、アメリカに来る前に知っていたのは1996年のオリンピックだけだ。男子シングルスで、金澤珠が王涛に勝ったのに、直後のラバー検査で有機溶剤が検出されて失格になった試合だ。結局、決勝は劉国梁と王涛の試合になって劉国梁が優勝した。卓球ファンとしては、その由緒ある体育館に行くべきなのだろうが、さすがにただの体育館に行く気にもなれず、まだ行ってはいない。

料理王国

アトランタには、日本の本屋が2件だけある。2件といっても、どちらもブックス・ジャパンという姉妹店だ。輸送費がかかっているので、文庫本でも$8ぐらいして、だいたい日本で買うより2倍くらい高いが、それでもときどき買っている。

店舗は日本の小さい本屋程度で、置いてある本にも限りがある。そこで、あるわけはないと思いながらもつい『卓球王国』を探す癖がついているのだが、いつも紛らわしいのが『料理王国』だ。それどころか『料理王国』からは最近、『スイーツ王国』というのまで出たらしい。

紛らわしいという点ではもっと上をいく雑誌が日本にはある。『管球王国』だ。なんと卓球王国と1字違いだ。王国編集部の人たちも本屋でドキッとしているに違いない。ちなみに管球とは真空管のことで、これは真空管アンプのオーディオ機器を愛する人たちの超マニアックな雑誌なのだ。今どき真空管アンプを使って音楽を聴いている人が世の中に何人いるのだろう。

さて、卓球王国とどっちがマニアックだろうか。

ちなみに、料理王国も管球王国も卓球王国より2,3年創刊が早い。他にファミコンマンガ王国というのもあるようだが、よくわからん。

小さい本屋なのに、どちらにも池田大作のコーナーがあるので、もしやと思って聞いてみると、やはりオーナーが創価学会だという。いつもながら創価学会のパワーには感心させられる。

うつ病の話

夜中の恐怖心のところでうつ病について書いたら、うつ病の経験がある知人からメールが来た。

うつ病はむしろ死にたくなるので、死への恐怖はないそうだ。それどころか、永遠に誰も死なない世界の方がとてつもなく怖ろしく感じるという。そういえばそうかもしれない。

卓球社長

私は島本和彦のマンガが大好きだ。

とにかく大げさで古い絵だが、出てくる台詞の屁理屈がなんともおかしい。うっかりすると本気の台詞にも読めるのだが、分かる人にはギャグだとわかるように微妙にひっかかる台詞になっているのだ。

その島本和彦が、ビックコミック増刊号に6話だけ描いたのが傑作『卓球社長』だ。青年誌に「オギムライチロー」という単語が出てくるのだから、そんなもん、問答無用で買うに決まっている!

話は、卓球が大好きな社長がいて、何かというと卓球で勝負を決めようというバカバカしい話だ。島本は卓球はろくに知らないと見えるが、そのわりによく描けていると思う。あまり有名でもないと思うので、一応、貴重なコレクションだ。

夜中の恐怖心

いつの頃からか、眠りがけとか夜中に目が覚めたとき、強烈な恐怖心に襲われるようになった。それは、自分はいつか必ず死ぬという事実についての恐怖だ。初めてこれを思ったのは二十歳ぐらいのときだったろうか。以来、夜中に目を覚ますと、ときどきこういう心理状態になる。

そのときに考えることは、「人間は必ず死ぬ、自分がなくなる、こんな怖ろしいことにどうして今まで気づかず平気で暮らしていられたんだろうか、みんなもどうして平気なのだろうか、俺たちは全員いなくなるのに」というものだ。

しかしこの恐怖は、ひとたび目を開けて起き上がったりするとたちどころに消えてしまうし、もちろん日中にこのような考えになることはない。日中に死について考えても「寝るのと同じことだ。それなら毎日やってるじゃないか。そのときに後悔しないように楽しいことをやればいい。人類も動物も延々と死に続けてきたじゃないか。自分だけ特別に考える必要はない。」と思う。前向きだ。しかし夜中にはこう考えてもそうは思えない。だから「大丈夫、こう思うのは今だけだ。明日になれば恐怖はなくなる」と自分に言い聞かせるしかない。そしてそのうち寝てしまう。眠れなくなることはなく、必ずすぐに寝てしまうのだ。

だからこれは夜中の半分ねぼけた脳が作り出す特別な心理なのだと思う。

ただ重要なのは、夜中にこの恐怖に襲われるときでも、なんら事実誤認はないということだ。いもしない化け物が襲ってくるとか、確率が低い大地震を心配するとかではない。100%確実な死についての恐怖なのだ。ただ人によってそれが遅いか早いかだけの違いだ。なるほどこう考えると、むしろ平気で暮らしている人の方がおかしいといっても良いくらいだ。理屈で考えればこうなってしまうのだ。

だから何かの拍子に、こちらの考えの方が日常になったらそれこそ怖ろしいことになる。そうなったらもはやまとに生活はできないだろう。それほどの恐怖なのだ。もしかしてそういうのが続くのがうつ病なのだろうか。大変なものである。

また夢の話(石川佳純版)

今度はなんと石川佳純のベンチコーチに入った夢を見た。普段卓球のことをそれほど考えているわけでもないのに(普通の人よりは考えてるけど)、どうして夢となるとこういう夢なのだろうか。

ともかく、石川佳純だ。相手はよく覚えていないが、たしか羽佳さんあたりだったような気がする。どうしてよく覚えていないかというと、私はろくにアドバイスをせず、なぜか石川に出身県を聞いたのだ。しかもあろうことか「石川だから石川県かな?」と聞くという体たらくだ。しかしこれはギャグでもなんでもない。論理の破綻した夢の中で私が保ったギリギリの論理性がこれだったのだ。

石川は違うと言い、実は広島出身だという(私の義姉が広島にいるからに違いない)。そこで私が思ったことは、広島はかなり暑いはずだから、石川が色白なのはおかしい、本当は赤ら顔で、それを化粧で隠しているのではないかということだった。

「ええい、それがどしたーっ!」と言いたくなるような夢であった。