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人形俳句写真『犬帝』『蟹の唄』

昨日の弁当、夕食、今日の弁当、すべてインドのレトルトカレーだ。いつまで続くのだろうか。8種類買ったので、まだ半分も来てないはずだが・・。でも、結構美味い。今、ダイエットしているのにカロリーが高いのが問題だが、ちょっと腹の調子が悪くなっているのでちょうどいいだろ。

人形俳句写真は、いよいよわけのわからないものを載せてみた。雰囲気を味わってくれればいいです。それにしても義姉、淳子さん、よくもこんなにたくさん創ったもんだ。

人形俳句写真『三十黄金虫』『苔の上』

昨夜の会話

妻「この前買ったインド製のレトルトカレー、全部試してみたけど、どれもこれも変な薬草のような味がしてダメだ」
私「へー、じゃ、全部捨てたのか」
妻「いや、明日から弁当に入れるから」
私「ググッ(言葉にならない音)」

宮根さんから、人形俳句写真に惹きつけられる、とお褒めをいただいたので更にアップする。説明はしない。

きゅうりとトマト

裏庭の野菜が育った。繁殖著しいのはキュウリだ。まるで雑草のように藪の方にまで侵食している。精力旺盛のツルが雑草を縛り上げているのがなんか可笑しい。

収穫したキュウリをさっそく切って食卓に並べた。食べてみると、なんとほんのりとメロンのように甘みがあって感激した。

ここで、かねてからの大きな疑問が沸いてきた。よくグルメマンガなどで、高品質の食材を食べたときの表現として「甘みがある」というのがある。甘みがあればいいのなら、砂糖を使えばいいだけのことだ。また、甘みがあるということが、さも「高品質であること」のように表現されているが、なぜ甘いことが高品質なのか。甘いと言うのはたまたま人間の特に子供が好きな味だというだけのことであって、それ以外に特別な価値はないはずだ。また、甘くては困るメニューだってあるはずなのに、なぜ素材が「甘い」と言って喜ぶのか。

などというしょうもないことを考えながらきゅうりを食べたのだった。

一方、トマトも「屋内で苗を育ててから屋外に植えろ」という指示を守らずに適当に裏庭に蒔いたにもかかわらず、小さな実をつけるまでになった。

どちらも、あんなに手荒く育てたのに、よくこんなに良い子に育ったものだ(誰かのようだ)。

人形俳句写真『正月』『酔いしれる』

好評につき、義姉の人形俳句写真を載せる。

飲み屋街で酔いしれている人形を見ていると、なんだかこれが人形であることを忘れ、「気持ち分かるよ」と言いたくなる。そうなると、この写真がそもそも人形で撮影する必然性がないようにも思うのだが、はやりそうではなく、これが人形だからこそ特別な何かを感じるのだろう。

それにしてもいそうだよなあ、こういう頭の男。義姉はいったい何を見てこんな人形を作るんだろうか。

インド食材屋『リトル・インディア』

『リトル・インディア』というインド食材屋にも行ってきた。

まず『ヒキ蛙の卵のドリンク』である。とういのはウソで、「バジルの種」と書いてある。妻が気持ち悪がるので子供たちが喜んでこれを買ったのだ。

飲もうとしてフタの部分のアルミのタブを引っ張ると、すぐに根元から千切れてしまった。ずいぶんと上の方の目立たないところにおいてあったので、いつからあるのかわからない。ホテルに着いてなんとか空けてもらって飲んだが、さすがの我が子も不味くて飲めず捨てた。バナナの腐ったような香りがした。これが、バジルの種の味なのか、インド人の味付けのせいなのか、はたまた長期保存のために腐った結果なのか、考える元気もなくなった。

さらに、レトルトのカレーのようなものをたっぷりと買った。今までの経験からすると非常に危険な賭けだが、本格的インド料理というのはだいたい口に合うので、食えないと言うことはないだろう。ひとつづつ食べるのが楽しみだ。

ニッシンのカップヌードルもあったので買った。マサラ味とスパイシーベジタブル味だ。さすがインド。こちらはまず安全だろう。楽しみだ。

タラハッシーの雑貨屋

土日に、車で2時間ぐらいのところにある、タラハッシーという町に行ってきた。そこに『ニュー・ソウル・オリエンタル』という韓国雑貨屋があり、なかなかに趣き深い商品を見つけた。

まず、なんだかわからないが妙な日本語が書いてある干し果物だ。もとの日本語のどこをどう間違えてこうなったのか推測すると楽しい。

次に、商品名『ハロハロ』という、なんだか気持ちの悪いデザートのようなものだ。ハロハロだけが日本語で書いてあり、いったいどこで売るための商品なのか、意図が不明だ。もしかして日本語に対する憧れだろうか。

さらに、牛頭牌というインパクトの強いものがあった。なにやら凄そうな旨そうな商品名で、バーベキューソースらしいが、牛の頭蓋骨か角の成分でも入っているのだろうか。事情が許せば、すべて買って食べてみたいがそうもいかないのが残念である。

もっとチキンを食べて

先日と似たようなブラックユーモアの話だ。

木曜に市内の祭りに行くと、そこに『チック・フィルA』というファーストフードの店が出店していて、面白い看板があった。

「もっとチキンを食べて」「牛肉はありません」と書いた看板を牛たちが持っている看板だ。この店の売りは鶏肉なので、それを強調しようという看板なのだが、なんだか酷いようなジョークである。リアルな牛の写真、書かれた字のおどろおどろしさ、とうてい食欲がわくものではないが、アメリカ人にはこれでいいのだろう。

ここらにはハンバーガーのファーストフードの店は結構たくさんある。マクドナルド、バーガーキング、チェッカーズ、ソニック、デイリークイーン、ウエンディズ、アービスなどとある。その中で面白かったのだが、ハーディーズという店だ。この店、とにかく客が少ない。いつだったかの土曜の午後、客が二人しかいなくて早く食べられそうだったので入ると、ハンバーガーが出てくるまでにずいぶんと待たされた。ファーストフードにあるまじき長さだったと思う。それで、店内を見渡すと、「シリアス・イーターのためのシリアス・バーガー」などと書いてある。つまり、味にうるさい人のための本物のハンバーガーだとでもいうのだろう。

なるほど、旨いとは思ったが私はどれも旨いのであんまり他の店との差がわからない。それよりも、シリアス・イーターという英語の表現の方が面白かった。卓球仲間のウォレンが、「俺はシリアス・プレーヤーだ」と言っていたので、このシリアスとは、本格的とでもいうニュアンスなのだろう。

握りっ屁

昼食のときにマイクが、「面白い映像があるので見ろ」と送ってくれた。

話しているのが英語ではないので、どこかヨーロッパの映像だと思うが、彼らも握りっ屁をやるのを知り、楽しくなった。

握りっ屁で一番に思い出すのは、高校の同級生で、三年間隣の席だった小原だ(クラス替えどころか席替えすらなかったので、卓球部以外の友達は、この男と斜め後ろの男しかいない)。小原はときどき握りっ屁をやっていたが、あるとき、前の席に座っていた男の背中に尻を当てて屁をした。その卓越したアイディアに感心したものだったが、かけられた男が被害妄想ぎみで「背中に屁をかけられた」とたかが屁に異常な騒ぎ方をしていたのが可笑しかった。

ペンサコーラ

先週の土日、ペンサコーラというところに泊まってきた。車で2時間半ぐらいのところで、目的は戦闘機による航空ショーと海水浴だ。

アメリカでは、ホテル代は1部屋いくらなので、家族5人でベッド二つに寝るつもりなら、日本とは比較にならなくらい安い。それもあって、大体の日本人赴任者の娯楽は旅行ということになる。

ペンサコーラは行楽地なので、ホテルはどこも高くてしかもすでに満室のところばかりだったのだが、その中に、インド料理にプール、インターネット付きで一泊80ドルという安いホテルが空いていたので、そこを予約して泊まってきた。

泊まってみると、さすがに安いだけあった。とにかく建物が古くて、フロントでいきなり雨漏りである。それで、案内された203号室に行くと、なんとタオルが床に置き捨てられていて、どうみても掃除をしていない。妻がすごい勢いでフロントに「部屋かえてちょうだい」と電話をした。

次に案内された249号室に行くと、さすがに掃除はされていたが、ワイヤレスのインターネットが通じない。パソコンを持ったまま廊下に出てフロントの方に歩いていくと、途中から電波が届くようになった。そんなのありかよ。それで、またフロントに行って事情を話すと、106号室に行って電波届くか自分で確かめてくれと言われた。それで、電波がくることが分かり、めでたく106号室に移ったのだが、夕方になるとまた電波が届かない。フロントに聞くと「雨が強くなっているからだ。30分待ってくれ」といわれたが、ついに翌朝まで直ることはなく、フロント近くのソファーで電波をとったのだった。他にも何人かがパソコンを持ってソファーにいたのには苦笑するしかなかった。

航空ショーは恐ろしかった。なんたって戦闘機だ。観客たちは「ヒョー」などと歓声を上げていたが、私は戦闘機の本来の目的が人を殺すことであることと、こんなものを作ってしまった人類の科学と、命掛けのパイロットの志を思い、恐ろしいような感動したような泣きたい気持ちになってしまった。しかし一番衝撃を受けたのは、実はバリバリという物凄い爆音だったような気がする。

『停電の夜に』

義姉の人形俳句写真(今回のは俳句じゃないが、キャッチコピーとしてこう呼びたい)の第二弾。

ジュンパ・ラヒリという人の小説『停電の夜に』をモチーフとしたという。停電になった夜に、夫婦が互いのささやかな秘密を打ち明け合ううちに、次第に何かのバランスが崩れてしまうという、想像するだに恐ろしい話である。

私は小説をほとんど読まないので(正確には読もうとしたが、村上春樹を断念し、三島由紀夫や夏目漱石からトライしているところだ)、ジュンパラも恋パラもないわけだが、こういう話なら読めそうだ。