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原稿書き

編集の野中さんから、「4月発売号の原稿は世界選手権の感想を条太節でお願いします」とメールが来た。これまでも卓球の話でなくても「条太節」などと何人かから言われたことがあるのだが(仕事でさえだ)、どういうことだろうか。

たぶん原稿は普通に書いてもまた「つまらない」と言われるので、気が違ったような内容を書かねばならないのだろう。まじめな感想や意見を書くのは簡単な一方、可笑しいことやハチャメチャなことはそうそう転がっているわけではなく、苦しい。しかしなんだかんだ言ってもバカ話を考えるのは楽しく、結局、自分で「ヒヒヒ」と笑って家族に気持ち悪がられながら昨日、原稿を仕上げたのだった。ひとりよがりでなければいいのだが。

ドル札が911を予言!

同僚から面白いことを教わった。アメリカのドル紙幣が、911テロを予言していたというのだ。

ドル紙幣を飛行機の形に折ると、5ドル、10ドル、20ドル、100ドルの順に、ツインタワーが徐々に煙を吐いて崩れていく様子が描かれているのだという。結局、建物の木の量の違いが煙の量の違いになっているわけだが、よくこんなことを見つける人がいるものだ(1ドル札が入ってないのはもちろん、うまくいかないからだ)。

当然、中には本気でこれを予言だと考えるイカれた人がいるだろう。そうだとすると、いったいいつから予言していたことになるのだろう。紙幣のデザインを決めたときだろうなやっぱり。それにしても、事件が起こってからわかるのだから、役に立たない予言だ。もっとも、役に立った予言など歴史上、一度もないわけだが。

マイクにこれを見せると「これは面白い、ワイフに見せなくちゃ」といって私の札をズボンのポケットにねじ込んだ。

アメリカの郷土料理

このブログでいろいろとレストランの食事を紹介してきたが、ほとんどがインチキ日本食と韓国料理ばかりで、アメリカの料理を紹介したことがない。一度だけステーキを紹介しただけだ。

アメリカの食事といっても、ハンバーガーやピザといったファーストフードは、ここ50年ぐらいに広まったものだろうから、郷土料理とはいえない。第一、日本人でも知っているのであえて写真を載せる価値がない。

そういう意味では、ときどき行く、アメリカンバッフェと呼ばれる、バイキングスタイルの店においてある料理が、たぶん昔からある料理なのではないかと考えている。ちょっとクセのある味付けなのだが、例によって私はとても美味しく食べている(私の好みで肉類が多くなっているが、野菜煮込みなどたくさんある)。

アメリカにきても、ハンバーガーやピザ、ステーキばかりではなくて、このような料理を食べれば健康的に暮らせると思う(ただし右端の写真ようにお菓子をたくさん食べるのは悪い例である)。

クシャミ

同僚のマイクと一緒に他の建物に行く用事があって外を歩いた。例のように太陽を見て私がくしゃみをすると(1/16参照)「風邪か」と言う。そこで、日本人の30%は太陽を見るとクシャミが出る人がいることを説明すると、「そんなこと聞いたこともないから日本人だけだろうな」という。

そこで、目的の会議室についてから、集っていた人たちに「この中で太陽を見るとクシャミがでる人いるか?」とマイクが聞いた。はからずも、二人が「出るよ」と言ったのだった。マイクは驚いて「そんなこと聞いたこともないぞ」と言った。誰も日常生活でそんなことをわざわざ話す人がいないということなんだろう。マイクはよほど不思議らしく、太陽とクシャミとなんの関係があるんだという。あたかも、「鼻の頭を押すと左足が上がる」ような話に聞こえるんだろう。

この分だと、耳掃除をすると咳が出る人もいるに違いない。

その後、席に戻って仕事をしていると、マイクがたまたまクシャミをした。そして「おっと、太陽が出たかな」などと独り言をいった。可愛い奴だ(歳上なんだが)。

杉浦君のニュー・アイテム

さっそく杉浦君からメールが来た。18kHzではなくて8kHzだそうだ。私の記憶違いらしい。また、人は音源の位置を推定するのに、音の位相の情報を感知しているという反論ももらった。やはりオーディオマニアである元同僚のヤスさん(彼も例のオーディオ専門店の2階に行って70万円のプリアンプを買ったりしている人だ。例の店長はヤスさんにも「JBLのスピーカーは置物です」と言い、店内においてあったJBLを指し「このモデルからスピーカーになりました」と言ったそうだ。素晴らしい。)からも「18kHzなど絶対聞こえない、エセ科学だ」とメールが来た。何の世界でもマニアの熱意はたいしたものだ。

杉浦君は最近、ヤフーオークションで新しいスピーカーを入手したとかで写真を付けてきた。これが困ったことに、以前から彼が持っているスピーカーとほとんど同じらしい。それにしても、マニアじゃない人からみたら、右の写真などとてもスピーカーには見えないだろう。マニアというのはそういうものだろう。私も卓球の本の版違いまで持っているし、それどころかあまりに素晴らしいので版が同じなのに複数持っている本さえある。

杉浦君、当然ながらカメラにも凝っている。20年ぐらい前、高校の同級生の小原と杉浦君と3人で北海道に旅行したのだが、ラベンダーの色を綺麗に撮るためと言って、いちいちフィルターをつけたり外したりしていたものだ。なぜだか50ミリのレンズも5個だか10個だか持っていると言っていた。

どうにもオチのない話で恐縮である。

困った教え子たち

久しぶりに卓球の練習をした。チャックとウォレンとやったのだが、練習にもっときてコーチしてくれと言われた。それは嬉しいのだが、その言い分が少しおかしい。

「お前が来ないから、俺たちは足を小まめに動かすこともしないし、膝で体を回転させるといったこともちゃんとしないんだ」と言う。コイツら、自分でどうやればいいか分かってるくせに、私が行かないからそれを実行できないと私に文句を言っているのだ。なんたる根性だろう。

「俺たちは小さい頃からまともなコーチを受けたことがほとんどないので、お前のような知識がある人からコーチされることに飢えているんだ」という。そこまで言われれば悪い気はしない。以前、アドバイスをして全然従わなかったことは忘れ、もう一度アドバイスしてみることにした。

さっそく、バックカットの足の位置を正してやった。ウォレンはバックカットで常に左足が前なので、いつもからだの内側でカットして、守備範囲がとても狭いのだ。すると、ウォレン、「そんなに足を動かしたらもつれて引っかかったりする」とさっそく反論してきた。お前、教えて欲しいんじゃなかったのかよ。「日本では中学生だってこんなことは当たり前のようにやっている」と言うと「そりゃ中学生ならできるさ。俺は40だぞ」ときた。ダメだこりゃ。

次にチャックだ。とてもいいドライブをもっているんだが、一本打つとすぐにバックのツブ高面で止める癖があるので、打てるときは打ち続けろと教えた。するとチャック、「俺は今までこのブツ高ブロックで得点してきたので、守備型だと思っている。週に1回しか練習もできないので、ドライブで攻め続ける技術を身につけることはできない。俺たちの相手はそんなに安定性がないから、この方法で十分勝てる」と言う。

私に何を求めているのだろうか。チャックの練習のとき、私のバックにボールを集めてもらってチャックのコートに散らす練習をしたのだが、チャック、何度言ってもこちらのオールコートに打ち込んでくる。さすがに何発も私が返せなくて練習効率が下がるので、「バックに打ってくれ」と言っても無言でオールコートに打ち込んでくるのだ。見ていたウォレンが「バックに集めろよ」と言うと「いいだろ、コートに入れてるんだから」と言う。

なんというか、日本ではこういう人は見たことがない。文化・教育の違いというのは本当に面白い。

オーディオの話 続き

昨日、オーディオの話を書いたら、さっそく二人の友人からメールがあった。心の琴線に触れたものと思われる。男は大なり小なりオーディオに興味があるものだなと思った。

女性でオーディオマニアというのは一度も見たことがない。車やバイクなら「買って乗る」という観点で好きな人は知っているが、「やっぱりCDはアナログレコードにかなわないね」とか「カセットデッキはナカミチじゃなきゃダメ」とか「端子が金メッキだと音がいい」などと口走る女性は一人も知らない。スピーカーを自作するなどもっての他だ。

さて、私の知る限り、もっとも強烈なオーディオマニアは、卓球でも用具マニアとして紹介している杉浦くんだ。そのスピーカーの自作の数は、ラケットの比ではない。ドーサンの隣町、デルヴィルの古道具屋で、自作スピーカー用のボックスが山ほど置いてある店を見つけたが、杉浦くんが見たら狂喜するんだろうなと思った。

彼のオーディオ好きに関連しては、いろいろと逸話があるのだが、もっとも強烈なものを紹介しておく。あるとき杉浦くんが「カセットデッキが故障しているのだが、店員がなかなかそれを認めない」という。それは困ったことだと思い、どんな故障かを聞くと「18kHz以上の音域で左右の音の位相がズレるんだよ」という。・・店員が認めないのも当然だ。音の位相の違いなんて人間にはわからないはずなのだが、どうやってわかるのかと聞くと、ステレオをモノラルにして聞くと左右の音が干渉して音質が変わるので、位相がズレていることがわかるのだという。つまり、普通に聞いていたのではわからないことをわざわざ分かるようにして聞いて、しかもイコライザーで18kHz以上という音域を特定して「故障」を発見しているのだ。

こういうことがオーディオマニアの世界では当たり前なのか、それとも杉浦くんのオリジナルなのかはわからない。これを故障だとねじ込まれた無防備な店員はさぞ困ったことだろう。

私のオーディオ顛末記

男は概してメカ類が好きなものだが、私はそれほどでもなく、バイクや車に興味を持ったことはない。しかしビートルズを聞いていた関係で、オーディオだけは中学生の頃から興味を抱いてきた。

しかし高価なものを買う機会はなく、ずっとラジカセだけで音楽を聴いていたが、大学3年のときに奨学金をもらえることになったときに、ローンでオーディオセットを買うことにした。それで仙台市内のある専門店に行ったのだが、なかなか濃い経験をした。私は友人が持っているようなものが欲しくて、KENWOODのデッキだの、ダイヤトーンのスピーカーだのを買おうとして、一本7万円ぐらいのスピーカーをいろいろと聞き比べていた。

するとそれらの中に、いかにも異様な外見のスピーカーが混じっている。他のものは音が出るところに金属の網がはってあってメタリックな感じなのに、そのスピーカーだけスポンジみたいな表面でそっけない。大きさも小さく、まるで鳥の巣箱のようだ。ところが値段は他のものよりも高いのだ。不思議に思った私は店員に「これは何ですか。どうしてこんなに高いんですか」と聞いた。するとその若い店員は「聞いてみたい?」と言う。

それで鳴らしてもらって驚いた。バイオリンの曲だったのだが、音の滑らかさがまるっきり他のスピーカーと違うのだ。これと比べると、他のスピーカーの音はまるで笹笛のように割れた音にしか聞こえない。「なにコレ?」と驚くと、その店員は「ほう、耳は確かなようですねえ」と言う。客に対する応対としては失礼な発言だが、これはかなり自尊心をくすぐられる。素人ならすっかりその気になるところだ。もちろん私は素人なのですっかりその気になった。

「じゃ、他のも聞いてみる?」と言われて連れて行かれたのが二階のフロアだ。これが一階とは異なり、すべて外国製の見たこともないオーディオ機器ばかり置いてあるVIP専用フロアと言う感じで、ひとりの客もいない。化け物のような形のスピーカーも置いてある。そこで親玉の店長がうやうやしく出てきて、いろいろオーディオ論をぶった。売る前にまず私を洗脳しようというのだ。「JBLがジャズ向きだというお客さんがいますが、私はそう思わないんですよね」「何向きなんですか?」「あれは飾りですねえ」「タンノイがクラシック向きだと言う人もいますが、私はそう思わないんですよね」「何向きなんですか?」「あれも飾りですねえ」といった調子で、この人、抜群に話が面白い。

その店長のお薦めのエレクトロボイスというメーカーの『オパール』というスピーカーを試聴すると確かに怖ろしく良い。結局、カセットデッキとアンプとスピーカーだけを買いに行ったはずが、薦められるままに真空管アンプとかレコードプレーヤーとかいろいろと買ってしまったのだった。

さすがにレコードプレーヤーが24万円もしたのは後悔して、翌日返しに行った。ところが、アームやらカートリッジやら別売りの部品をすでに組み立てたので返品はできないという。そうこうしているうちに、前日の私と同じように二階におびき寄せられた学生風の男が、やはり私と同じように店長の演説を聞きはじめた。「彼にも同じプレーヤーを薦めるので、彼が買うことになったらそっちに回すからいいよ」と店員が私に耳打ちをした。30分ぐらいすると、その学生は見事に私と同じプレーヤーを買うことになり、私は無事、返品をしてもっとずっと安い中古品を買うことができた。後で会社に入ると、その店から『オパール』を買った人に何人も出会ったのには驚いた。店ぐるみの底知れない接客術である。

この『オパール』というスピーカー、確かにバイオリンとか静かで美しい曲には息を呑むほどいい音を出すのだが、私がよく聴く、ビートルズやハードロック、パンクにはまったく合わないことが買ってからわかった。しばらく失敗を認めたくなくて、そのスピーカーに合うCD(シャーデー、ジョージャクソン、スティングなど)を買うということまでしたが、これこそ本末転倒だ。

ビートルズやパンクといった音楽は、私の場合、ラジカセやカーステレオの方が良かったのだ。最近では、そもそも音質自体、重要ではないと思ってきている。妻はもっとも好きなのはジミ・ヘンドリックスで、ニョロニョロになったテープのラジカセでも全然気にならないと昔から言っていて私はバカにしていたのだが、今になって同じ考えになってしまったのが少し悔しい。

それで、アメリカに来るときにヤフーオークションでオーディオ機器をすべて売った。先の恐るべき接客術のオーディオ専門店で買ったSMEのアームだのトーレンスのなんとかやスーパーウーファーが高く売れて、レコードやギターなど合わせると全部で26万円にもなった(下の写真が売る前の最後の記念写真だ)。私には高級オーディオが必要ないことがわかるのに20年かかったわけだ。

アメリカの家

休日に子供たちと建築中の家を見に行く趣味は今も続いている。趣味と言うほどでもないが、他に散歩をするところもないので、次々と建てられる新しい家にターゲットを移しながら見て回っている(我々が毎週のように内部を散策していた家が、そのうち中に入れなくなって、売れて誰かが住むようになるのを見るのは感慨深い)。そういえば、日本に7年住んでいた宣教師のデイブも、日本にいたときには近所の建築中の家を見に行っていたという。やることは同じなんだな。

建築中の家を見て気づいたのだが、太い柱というものがない。全部、同じくらいの太さの平べったい板ばかりだ。さらによく見ると、なんと、どの板も70cmぐらいの長さのものが接続されてできていて、一体ものの板は20本に1本もない。鉛直な板と板の接続は右の写真のように、金具もなくてただ差し込んでせいぜい接着剤を入れただけのようだ。さすがに水平な板には薄い金属片がついているが、これもかなり心もとない。

この辺りでは地震がまったくないので、揺れに対する強度が必要ないのだろう(トルネードがきたらどっちみち吹き飛ばされる。なにしろ地面に生えている木さえ引き抜かれるってんだから)。日本の頑固な大工さんが見たら「こんなのは絶対ダメだ。家じゃねえ」などと言いそうだなと思いながら見ていた。

他にも構造的な違いが沢山あるんだろうが、私が気づいたのはそれぐらいだった。

あと、ここいらの家で気づいたことといえば、どの家にも雨樋というものがないことだ。雨は結構降るのだが、軒下でダーッと滝のように流れても別段、気にしないようだ。雨樋は、売っていないわけではないので付ければ付けられるが、多くの家は付けていない。ところ変われば考えも変わるのだ。

さすが卓球王国、中国

ウエブ検索をしていたら、あるサイトで素晴らしい写真を見つけた。その方もウエブでたまたま見つけたらしく、この写真の由来はわからない。もしかするとCGとか特撮の可能性もあるし、何かのCMとか映画の1シーンかもしれない。とにかくまったく情報がないのだが、それにしても素晴らしい写真だ。貧しさを思い起こさせる白黒の画面、工作心をくすぐるミニチュアの卓球台、子供の躍動感。

なんと楽しい気分にさせられる写真だろう(ただしこの子供、どういう経緯でこんな姿勢になっているのかが分からない。多分、入らないだろうこれじゃ)。