カテゴリー別アーカイブ: 未分類

メキシコレストラン

最後の夜は、メキシコ側の町「ヌエボ・ラレード(新らしいラレードの意)」のレストランで飲み会を開催してもらった。メキシコ側の町に出るのは初めてだ。こういう場合は、現地会社のセキュリティー担当のメキシコ人の社員が帯同してレストランに行くことになっている。なにしろ二つのマフィアがそれぞれ別のグループの警察と癒着していて、その抗争で2,3年前までは毎日のように警官が殺されていたという町だから危険なのだ。彼らに「格闘が上手いのか」と聞くと、「いや。早く逃げられるだけだ」という。そういうセキュリティーか。

当然メキシコ料理店だったが、内装などは日本でもいくらでも真似できるわけで、特に珍しくはなかった。しかし出てくる料理はやはりもの珍しく、しかもとても美味い。もっとも私の「美味い」は誰の信用もない。だいたいのものは美味いのだから仕方がない。

どれもこれも辛いのだが、油断して写真に写っている青唐辛子を1cmばかり食べたら、その他のものの10倍ぐらい辛くて涙と鼻水が出てメガネは曇りしゃっくりが止まらなくなった。ひどい目に会った。
デビッドがその青唐辛子に塩を振りかけて私に差し出して「そこのメキシコ人に『お前が本当の男ならこれを一気に食ってみろ』と言ってみろ」という。冗談ではない。どうして私が、親しくもない、怖ろしげな顔をしたメキシコ人にそんな挑発をしなくてはならないのか。ぶん殴ってくれといっているようなものではないか。デビッドは私を騙そうと、やけに真面目ぶって勧めてくる。困ったオヤジだ。

隣の席にいた現地会社のメキシコ人に、辛味についていろいろと聞いてみた。メキシコ人は、子供でも辛い物を食べるのだろうか。彼によると、さすがのメキシコ人も子供はこんな辛いのは食べないという。だいたい12歳ぐらいから食べるようになると言う。それなら日本人のわさびと同じようなものだ。
また、我々日本人は、極端に辛いものを食べると翌朝、便所で尻が辛い目に会うわけだが、なんとメキシコ人もそれは同じだと言う。365日、毎日辛い物を食べては毎朝辛い思いをしているのだという。体が対応するわけではないらしい。
するとデビッドがまた、日本から出張してきている女性たちを指して「あのウーマンもそうなのか聞いてみろ」と言う。まったくしょうがないオヤジだ。

面白い英語を教えてもらった。shit faceというのだが、酒を飲んでベロンベロンになった顔のことをいうらしい。デビッドが、酒を飲んですっかり正気を失っている日本人を指して「あれがshit faceだ」と解説してくれた。もっとも、酒を飲んで真っ赤になった私の顔もshit faceだと言っていた。この単語、彼らはとても可笑しいらしく、私が使うとその都度大笑いしてくれる。これからも上手く使おうと思う。

ホッケー観戦

仕事が終わった後、現地の人に案内されて、アイスホッケーの試合観戦に行ってきた。本物の試合を見るのは初めてだ。荒いスポーツだと言うことは聞いていたが、本当によく乱闘になった。たった20分間の1ゲームの間に取っ組み合いの喧嘩が3回もあり、その都度そいつらは退場になっていくのだ。しまいには片方のチームが3人だけになったままでゲームを続けたりしている。

見ていると、アイスホッケーにはサッカーのようにボールが場外に行ったりすることがなく、リンク内はすべて有効なので、喧嘩でもないことには選手は滑りっぱなしである。休むためにわざと喧嘩してるのではないかと思ったほどだ。

観客も、得点が入ったときよりも喧嘩が始まると総立ちになって奇声を発する。どうもそれが楽しみで見ているように思える。ベンチにいたスーツ姿の監督もこれまた救いようのない気の短さで、ことあるごとに全身を使って怒鳴っていた(もちろんこっちが負けているのだ)。おそらく、彼も元選手で、現役時代は猛牛のように荒くれていたのに違いない。まったくもってそういうスポーツなのだ。そういう気質の奴が選ぶスポーツだから監督までそうなのだなと納得した。

中学のとき、ある二人が教室で取っ組み合いの喧嘩を始め、組み合ったまま床に寝転がった。私は、この興奮しきっている二人がどれだけ外乱に耐えられるかを試したくなった。近くから小突いてみたりしても二人はまったく私のことなど眼中にない。それで、今度は黒板消しを二人の顔の前で叩いてみた。さすがに気づいたようで、組み合いながらも顔をそむけて「止めろバカ」などと私に文句を言ってきた。私は「お前ら、喧嘩してるんだろう。俺のことなど気にしないで相手に集中しろ」などと理屈にならない理屈を言いながら、今度は机を逆さにして二人に載せてみた。

だんだん他の見物人も同調してきて、みんなで机を重ね始めた。二人の上に机が5つぐらい重ねられたのを見てなんだか怖ろしくなり、二人が正気に返る前にと、私は教室を出たのだった。

その後どうなったかは覚えていない。

ラレードの国境にて

朝晩と、国境を越えて会社に行ってきた。行きは8人乗りのバンだったが、帰りは徒歩で国境の橋を渡った。銃を持った警官がいて、パスポートを出して国境を越える。赴任者たちは毎日これを繰り返して会社に通っているわけだ。

夕方になると日本から4人の出張者がきて合流し、夜はメキシカンレストランで夕食を食べた。そのうちの一人は同期入社の女性で、なんか感じが変わったと思ったら、メガネをしていない。聞いてみると、コンタクトレンズにしたのだという。実はそもそもがコンタクトレンズであり、その方が良く見えるのだが、今の対外的な仕事の都合上、若く見られると舐められるので、ふけて見えるようにわざとメガネにしていたのだという。最近は歳をとってきたのでその必要がなくなり、めでたく、コンタクトに戻したのだという。なんとも見上げたプロ根性である。

とは言いながら、それを聞きながら隣の秋本君と「捨ててるよね」とささやき合ったのだった。

テキサスで御難

今日から金曜まで、上司のデビッドと一緒にテキサス州のラレードという町にある関連会社に出張に来ている。ラレードとは、アメリカとメキシコの国境の町だ。実は関連会社はメキシコ側にあるのだが、日本人赴任者はアメリカ側に住んでおり、毎日国境を越えて会社に通勤している。メキシコ側は危険なので、日本人は会社から外に出ることは禁じられているという、なんとも奇妙なところである。

ドーサンから飛行機を2本乗り、サンアントニオ空港からレンタカーで2時間走って、さきほどこのラレードについたところだ。年寄りのデビッドを疲れさせまいと私が運転したのだが、なんとスピード違反でつかまってしまった。罰金は145ドルだ。さすがに会社の出張費用に請求もできずなんとも情けない話だ。

警察が行った後でデビッドは、自分は違反をしてもつかまらないスキルがあるという。ぜひ教えて欲しいというと、なぜ自分が違反してしまったかを紳士的に説明すれば良いのだという。「フットボールの試合を見に来て道に迷い、つい標識を見落とした」「カーナビの情報が古くてまどわされた」など、とにかく相手につけいる隙を与えないように、話し続けることがポイントだという。そうすると警察は「わかったからもう行け」と言うのだという。・・なるほど、確かに仕事でもデビッドと話しているとそう言いたくなることが多いが、わざとだったとは恐れ入った。

あるときなど、「この車は80年製で古くて79馬力しかない。それに家族4人と家具が積んであり、総重量は○○ポンドだ。坂道を登るためにはフルアクセルで登るしかない。それで頂点を過ぎて下りになったところでついスピードオーバーしてしまった。君ならこの車で上手く運転できるかやってみるかね」といってキーを差し出したら「わかった、もう行け」と言われたという。本当にそんなこと言ったのかこのオヤジ。

「条太の奥さんもスピード違反でつかまったことがあるか」と聞くから「ある」と答えた。「そういうとき、家ではシット(チクショー)とか汚い言葉で腹を立てるだろう」と聞くので「その通りだ」と答えた。
デビッドの奥さんは、自分が捕まることも悔しいが、デビッドだけがいつも見逃されることがもっと悔しくて腹に据えかねているという。「今からその証拠を聞かせてやる」といって、デビッドは携帯電話をスピーカーホンにして奥さんに電話をかけた。「今、ラレードに向かってる」などと前ふりをした後で「警察に止められたが上手く言い訳をしたらまた見逃してくれたよ」と言うと、奥さんは一瞬沈黙して、別人のような低い声で「shit!」とつぶやいた。デビッドは携帯を指差しながら「聞いたか?聞いたか?」とジェスチャーをして喜んだ。悪いオヤジだ。

神様の話

先日宣教師のデイブに聞いた「教会に通っているアメリカ人のうち、本当にイエスを神様だと信じているのは30%ぐらいだ」という話を職場の同僚に確かめてみた。

デビッドいわく「30%かどうかは知らないがだいたいそんなもんだろう」とのこと。神様の存在自体は信じているにしても、処女マリアから生れたイエスが神様の子だとか、聖書に書いてあることをそのまま信じている人は半分はいないだろうとのことだ。

進化論については事実だと思うとのこと。しかし、進化の過程のどこか、つまり一番最初とか、進化のメカニズムなどで神様が関与したのではないかとのことだった。これは証拠などないのだから、つまりそう思いたいということだろう。

信仰心と科学的良心の折り合いをつけることはなかなか難しいようである。

この話をしている間、普段くだらないジョークを絶やさないグレッグが、いやに深刻な顔つきになって聞いていたのが気になる。なんだか怖い。

グレッグのジャンケン

アメリカでもジャンケンはあるようである。Rock, paper, scissors(石と紙とハサミ)と少々長ったらしいが、知っているようだ。

あるとき、仕事の役割をめぐってグレッグとマイクがジャンケンを始めた。そこでジョーク好きのグレッグが、写真のように、5本の指を揃えた奇妙な拳を出して「俺の勝ちだ」という。何だと思ったら、「これは爆弾を積んだロケットなので、石も紙もハサミも全部吹き飛ばす」という。

なんとも対応に困る低劣なギャグだが、可笑しかった。爆弾というだけでは可笑しくもなんともないのだが、それを似ても似つかない惨めな指の形にしたところが大変可笑しかった。あまりのバカバカしさに笑ってしまった。

ガレージセール

休日に市内を車で走っていると、「ガレージセール」とか「ヤードセール」という手製の立て札を見かけない日はない。一般の人が、自分の家のガレージ(車庫)で処分したいものを売るのだ。日本のフリーマーケットを自宅でやるようなものである。立て札の矢印の方にいくと要所に立て札が立っていて、民家に行き着くというわけだ。
良い物はたいてい、すぐに売れてしまうので、前日から立て札に目をつけておいて朝一番に行かないといけないのだが、開催日などのガイドラインがあるわけではなく、まったく各自が勝手にやるので、なかなかそういうわけにもいかない。

先日、ダメもとで昼食後に見つけたヤードセールに初めて行って見た。案の定、ほしいものは何もなかったが、子供たちが欲しがったガラクタを3つで1ドルくらいで買ってきた。

車に吊るすと意外にも、店の駐車場などで自分の車を見分けるのに役に立つことがわかった。今度こそは前もって見つけて朝一番に行って良いものを買いたいと思う。

キング牧師

6月にアトランタに行ったとき、キング牧師の記念館に行ってきた。キング牧師とは、黒人の公民権運動に尽力して、最後は反対派に暗殺された人だ。

当然のように、記念館には黒人が多かった。7割ぐらいは黒人だったと思う。そこでポスターなど買ってきて家に飾っている。I have a dream..で始まる有名な演説のポスターだ。

妻が子供たちの学校の先生と話したとき、キング牧師の話をすると、露骨に嫌な顔をされたという。その先生は白人の女性であり、キング牧師のことを嫌いなのだという。その理由は、キング牧師のおかげで黒人が自分達の権利を過剰に主張するようになり、かえって黒人と白人の溝が深まったので、彼は悪い人だと小さい頃から教えられてきたからだという。

学校の先生という知的職業であるにもかかわらず、このようなことを言うことに驚いた。内心、差別心があったとしても建前でそれを隠しそうなものだが、なんと率直なのだろうか。そう表明してもよいだけの土壌がこの辺りには定着しているということなのだろう。

サービスルールの提案

かねてから考えていた、新しいサービスのルールについて国際卓球連盟のシャララ会長にメールを出した。

今のルールは、インパクトを相手に見せるように、トス後のフリーハンドの位置などを規定するものだが、選手達は一様に不自然な格好でサービスを出している上に、それでも直前までインパクトが肩などで隠れぎみであり、依然としてインパクトが相手にはっきりと見えているとは言いがたい。

私は、これはプレーヤーがわざと隠そうとしているのではなくて、彼らのクローズドスタンスが原因だと考えている。なぜなら、クローズドスタンスは、80年代前半にまさにボディハイドサービスの目的で定着したものだからだ。それ以前は選手はみんなオープンスタンスで十分な回転量のサービスを出していたのである(もちろん中国を含めた一流選手たちの話だ)。

そこで私の提案する新ルールは、現在のルールに加えて、明白なオープンスタンスの提案である。具体的には、トスをしてから打球するまでの間、右足が左足より右側にあり、左右の足裏の位置が左右方向で重なってはならないというものだ(足裏が空中にあろうがどこにあろうがだ)。これは、ほとんど構えたときに決まるので、静止した状態で容易に審判が判断できるうえ、不自然な格好でフリーハンドをよける必要がないし、インパクトが良く見える。

今の選手はクローズドスタンスに慣れているので、急にオープンスタンスにすると難しく感じて、あたかもクローズドスタンスは自然なスタンスだと思うだろうが、それは違う。単なる慣れなのだ。実際、私は80年代後半にボディハイドサービスをマスターするためにオープンスタンスからクローズドスタンスに変えたが、「なんとやりにくいんだろう」と思ったものである(ほどなく慣れた)。

オープンスタンスをルールにしてしまえば、意識しなくてもインパクトは隠れないようになるのだ。

我が家のイルミネーション

我が家ではイルミネーションなどやらないだろうと思っていたら、なんと昨夜帰宅すると、庭が光り輝いていていて驚いた。

妻が知人からもらったのだという。一見綺麗だが、よく見ると何の意味もなく庭木にデタラメにかけているだけだ。子供たちが私に「どうして家のはこんなに雑なの?」なんて聞いてくるが、そういう質問には私は答えないことになっている。