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ロッカーの話

今日、編集部から届いた読者アンケートはがきに、12月号に書いた「奇天烈逆も~ション」についての感想が書いてあった。

世界で初めてラバーを貼った人物、E.C.グッドについての原稿で、その前振りにビートルズのことを書いた原稿だ。

そのはがきの主は熱烈なロックファンらしく「条太先生からビートルズの話が出るとは。ロッカーだったのですね!」と喜んでいたが、その後に「でも、E.C.グッドのたとえ話にビートルズを出しただけならガッカリです」と書いてあった。

そのお方がこのブログを読んでいるかどうかわからないが、ビートルズもロックも大好きだと書いておこう。そうでなくてどうして「ビートルズの無名時代にビートルズのレコードを注文した青年レイモンド・ジョーンズ」のことなど書けようか。

キング・クリムゾン仙台公演

念願のキング・クリムゾンのライブに行ってきた。何年か前に渋谷公演のときに入場券を忘れて入れなかった因縁のライブだ。

演奏は素晴らしかったのだが、またもや不愉快な思いをした。

公演が始まる前に、係員が動画や写真の撮影や録音を禁じるアナウンスをしていたのはいいが「スマートフォンの電源を切れ」としきりに言うのだ。マナーモードではなく「電源を切れ」なのだ。同時に「演奏が終わった後で撮影タイムがあるからそのときだけ撮影してもよい」とも言う。ご存知のとおり、スマートフォンは電源を入れてから写真撮影ができるようになるまでかなり時間がかかる。計ったことはないが1分ぐらいかかるイメージだ。これを一緒に言うということは、当然、その撮影タイムとやらは電源を入れて撮影できるようになるくらいの時間が確保されているとしか考えられない。

そこまで考えない「考えなし」である可能性もあるとは思ったが、あえて言うとおりにして撮影できなくて腹を立ててみるのも面白かろうと思い、係員の言う通り電源を切った。

結果がこの写真だ。撮影できたのはメンバーのほとんどが退場した後で、ステージには御大ロバート・フリップしかいなかった(泣)。

これはつまり、「電源を切れ」というのが言葉通りの意味ではなく「着信音鳴らしたり撮影したり録音したりすんなよ」ということの強調としてあくまで比喩で言っていたか、撮影タイムとのつながりが思いつかない「考えなし」のどちらかだろう。

それはわかったものの、いざやってみると腹が立つ度合いが想像以上で「面白かろう」どころではないのだった。ちなみに多くの客がすぐさま撮影していたので、明らかに電源を切っていなかった。自分だけ撮影できなくてこんなに悔しい思いをするくらいなら撮影タイムなどないほうがよかった。

これから行く人は、絶対に係員の言うことを真に受けてはならない。

ペン粒『ピンプル座談会』 音声公開

『卓球王国』2019年1月号に掲載中の「ペン粒 ピンプル座談会」の収録時の音声を公開しました。

座談会の前半、収録を忘れていて途中からの音声になります。

発言者など、雑誌の記事と違うところがありますが、そこは表現の妙ということでご了承ください。

<参加者>
小島渡(こじま わたる)
1992年埼玉県出身。中学1年から卓球を始めシングルスで全国中学校大会出場。狭山ヶ丘高校時代に関東大会ベスト4。駒沢大学時代に関東学生選手権ベスト32。全日本選手権シングルス、ダブルスともに3回戦進出。ペン粒日本最強と言われる。「タクティブ」府中店コーチ。

馬渕賀生(まぶち よしお)
1980年福井県出身。中学1年から卓球を始め、若狭高校時代にダブルスで北信越ベスト8。日本大学卓球部に入るも映像関連の勉強に専念するため即退部。卓球はクラブチームで続ける。社会人になってからは、全国ラージ一般男子Aダブルス3位、新日本スポーツ連盟大会の東京代表など微妙な成績を残す。テレビ東京『開運!なんでも鑑定団』ディレクター。

高部(卓球王国編集部)

司会:伊藤条太

2018年5月7日 『中目卓球ラウンジ』にて

卓球雨ニモ負ケズ

卓球の詩を作ってみた。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」のパロディだ。

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

決め球はなく

決して打ち抜けず

かといって安定性もなく

いつも一回戦で負けている

 

週に五日の練習で

フォア打ちと三球目攻撃と

少しのフットワーク練習をし

あらゆる動画を研究し

自分の実力を勘定に入れずに

よく見聞きしわかり

そして実行できず

 

駅から遠くの通りの裏の

小さな暇な会社にいて

東に大会があれば

行って全種目に出場し

西に卓球しすぎの仲間がいれば

行って誘って家族から迷惑がられ

南に卓球用品店がオープンすれば

行って忙しい店員と長々話し

北に初心者がいれば

行って頼まれてもいないのに教え

 

卓がつく名前を見れば

親が卓球好きと決めつけ

「宅急便」「ピンポイント」の言葉に反応し

「前人未踏」「量販店」にも腰を浮かし

年中ユニフォームとジャージで過ごし

チームを作れば団体メンバーから外され

零歳からラケットを握らせた息子は

テニス部に入り

娘はバドミントン部に入り

 

職場でグルーを塗って騒ぎを起し

忌引きで休んで大会に出て

アキレス腱を切って会社に知られ

負けた中学生からアドバイスを請われ

勝った高校生はコーチに正座させられ

ラバーを替えてもサーブは切れず

特注ラケットでも空振り治らず

コツを掴んだと思ったらイップスになり

サービスも入らず

フォア打ちも入らず

もうやめようと思っても

勝利の日の快感を忘れられず

 

五輪の夏はおろおろ歩き

全日本の冬は涙を流し

みんなに物好きと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういう卓球ドランカーが

わたしは愛しい

「卓球ドランカーの詩」

 

講演会終わる

昨日、無事に講演が終わった。

幸いにも、トチるとか忘れるということはなかったが、講演が難しいものだということがよくわかった。課題が山積みだ。うーむ。

今回の講演は、岩手県高体連卓球専門部創立70周年記念だったのだが、前回の記念は50周年で、そのときに今回と同じ会場で講師をしたのは、奇しくも私の恩人である藤井基男さんだったという。藤井さんの後を継いだ形になるとは、なんと光栄なことだろう。

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