何でもないような夜

毎週土曜の夜、卓球の帰りに心地よい疲労感でお菓子や飲み物を買いに寄っていたセブンイレブンを見てきた。この店で買い物をしているときの悩み事といえば、どれを買ったら美味くてカロリーが少ないかぐらいのものだった。

何でもないようなことが/幸せだったと思う/何でもない夜のこと/二度とは戻れない夜

という誰かの歌をしつこくこのコンビニで聞かされていて、そのたびに「ああ、何か不幸があると後でそう思うんだろうな、今の何でもない状況を楽しもう」と思ったものだった。

今、そういう日常が非常に懐かしい。

思い出の消失

我が家より海側には思い出深いところがある。

息子たちがお世話になった幼稚園があるのだ。学校からわずか1.5キロの道を、途中のガソリンスタンドで休んだりあれこれ道草を食ってなぜか1時間半もかけて毎日通っていた幼稚園だ。妻と共稼ぎだったので、すっかり暗くなるまでお世話になった思い出深いところだ。

行ってみると、建物の形は残っていたが、水やら流木やらをもろに浴びて、もはや使い物にならない状態であった。地震から津波までは40分ほどあったので、被害にあった人はいないことを願う。

地震の跡

昨夜から自宅に移った。埋立地のためか、心なしか揺れ方が激しいような気がして夜は余震が起こるたびに不安だ。

わずか500mほど離れた住宅地の海に近い方は完全に床上浸水をしていたことが、壁についた跡でわかった。

毎週土曜に卓球をしていたコミュニティーセンターに行ってみると、そこもやはり1メートルぐらいの水かさだったようだ。ただ、玄関が閉まっていたため、内部の水深は20cmほどであり、和室には水が上がってはいなかった。

以前のようにここで卓球をできる日はいつのことだろうか。しかし全壊した釜石や石巻とは違い、時間さえかければその日は確実にやってくるのだから、幸運だったと思うしかない。

紛らわしい家

仙台の沿岸沿いの惨状は目を覆うばかりだが、津波が来なかった内陸地は、建物としての被害はまったくといっていいほど見られず、何事もなかったかのようである。

ところが、そういう地域にもときどき、津波が来たかのような家があってドキッとするのだが、津波とも地震とも関係ないいわゆる「ゴミ屋敷」や廃屋だったりして実に紛らわしい。

叔母夫婦の被災

現在私がお世話になっている妻の実家に、今回の津波で家を失った妻の叔母夫婦が石巻から昨日、避難してきた。被災して以来、ずっと近くの中学校に避難していたのだが、今後しばらくはここに住むことになった。

70代後半の叔母夫婦は、地震が来たとき、家の近くのイオンスーパーで買い物をしていたという。レジに並んで1万円札を出したときに大きな揺れがきて、店内は大騒ぎになった。すぐに「津波が来るので逃げろ」となった。レジが動かないのでおつりを出せないと言われた叔母は1万円札を返してもらい、その上、商品だけ只でもらえないか聞くが、「それどころじゃない、逃げろ」と叔父に諭され自宅に向かった。

家に着くと仙台から近くの実家に帰省していた大学生の孫が飛び込んできた。一緒に車で逃げようというのだ。大急ぎで金庫の中からお金やら書類やらを掻き出していると、孫は「一度家に戻る」と言っていなくなってしまった。そのうちに、「水が来た」という声が辺りから聞こえてきて、向かいの家の奥さんが「上がっていいですか」と避難してきた。一度、叔母夫妻の家に入ったその人は、なぜか再び水位の高い自分の家の方に戻って行き、未だに見つかっていないという。看護婦をしている人だったという。

水はどんどん流れてきて、外に逃げるのは諦めて2階に避難した。孫が勝手口から飛び込んできて、3人で2階に上がった。水は2階の床上30センチほどになって止まった。3人はベッドの上で膝をかかえてそのまま恐怖の夜を迎える。

家や自動車などさまざまな漂流物が流れてきて家にぶつかる。横に長い家だったが、大きな車がぶつかってちょうど避難していなかった側半分がむしりとられた。大量に流れてきたオイルやガソリンの臭いが立ち込め、口が開いたままのプロパンガスのボンベが水上でシューシューとガスを噴出しながらねずみ花火のように回転している。引火とガス中毒が恐ろしくて、雪の降る中、一晩中窓を閉めることもできない。水の底の方で点滅している自動車のテールランプが心底不気味に見える。

余震の津波が来ると、遠くの松林からサワサワと音が聞こえてくる。そのたびにもう終わりだと思い「3人で死のう」と堅く抱き合った。

大学生の孫は隣の家でひとり2階に避難していた奥さんに声を掛けて一晩中励ました。その奥さんは家族5人のうちひとりだけ生き残ったという。

翌朝、水が引くと1階の台所にどこかの遺体が浮いていた。水が膝ぐらいになるのを待って、避難所である中学校に移り、昨日までそのまま着替える機会もなく避難をしていた。ここに来て地震後初めてテレビを見た、乾いた服と布団が夢のようだ、他に何も要らない、と言った。

幸い、息子夫婦も孫も親族はすべて無事であり、生き延びた嬉しさに、涙はまったくなかったが「こんな経験は1回で十分、1回も要らない」と語った。

愚劣な言い換え

被災者がインタビューをされると、ときどき「部落」という言葉が出てくる。部落とは「地区」をあらわす行政用語であり、方言ではない。ところがテレビではこれに「集落」という字幕があてられる。「部落差別」に対する配慮からだ。

部落差別は悪いに決まっている。これほど愚劣なものはない。しかし部落という言葉を避ける理由はどこにもない。

「部落」という言葉を「集落」という言葉に変換して字幕を打ち込むとき、ほんの少しも疑問に思わないのだろうか。

このような話を以前、職場の昼礼でも話したが、微妙な雰囲気であった。だいたいいつも浮き気味である。

復興の音

昨日は、あまりに頭がかゆいので、仙台駅前で見つけた個室ビデオ鑑賞店でシャワーを浴びた。仙台都市ガスはまだ復旧していないのだが、ところどころプロパンガスのために湯が出るところがあるのだ。個室ビデオ鑑賞店は初めて利用したが、インターネットカフェと同じようなもので、60分で1500円、DVDは6枚まで借り放題だった。シャワーはひとつしかなくて順番待ちだったので1時間半後を予約し、そのため、12時間2500円のコースを利用するしかなかった。これなら宿泊にも使えるので便利だ。これからも利用したい。それにしても、60分でどうやってDVDを6本も見るというのだろう(と、とぼけてみる)。

一昨日は開いていなかった、レストランやコンビニも開き始め、街は急速に日常を取り戻しつつある。相変わらずおにぎり売りが近づいてい来ると思ったら、どうも私の外見がいかにも腹を空かしているように見えるようだ。単に会社に行っていないのでヒゲを剃っていないだけなのだが。

「腹、空いてないぞー」と、この場でうったえておく。

被災レポート

一昨日、今野編集長からメールが来て、来月発売の卓球王国は災害への応援特集にするとのことで、私は通常の連載とは別に被災者としてレポートも書くことになった。

テレビや新聞では伝わらない私らしい内容をとのことだ。シリアスすぎるのは得意ではないしかといってユーモアを書けるはずもない。このブログのように淡々と書くしかないだろう。

メールをもらったあと電話で今野さんとゆっくり話したが、東京の方では仙台全体がテレビのニュースのように車がひっくりかえっていると思っているそうだ。外国となるともっと極端で、もう日本中で家屋が倒壊して死の灰が降っていると思われているそうで、今野さんには日本脱出のオファーが何人もから来たと言う。今野さんの家族分の飛行機のチケットを確保したという人さえいたらしい(そのわりに1枚足りなかったそうだが)。

昨日、仙台の街中に行って見たが、水と電気はすでに通っていて、開いている本屋はあるしタクシーも走っていた。街頭でおにぎりなどを売っている人たちがいたが、誰も見向きもしないで歩いていて、牛タン弁当とかおいしそうなものにだけは行列ができていた。この後におよんでグルメなのであり、街中では誰も飢えている様子はない。声を枯らして売れないおにぎりを売っている人たちの方がむしろ哀れな感じがした。

買う必要のない人が買う必要のない量を買っているために店に物がなくなっているのは、東京も仙台も同じだ。義姉の情報によると、呆れたことに広島でも無用な買い占めが起こっているという。事態が収まれば今度は家庭にも店にも在庫が大量に膨れて廃棄処分にせざるを得ないものが出てくるだろう。まったくバカバカしい。

「避難所に笑顔が戻った」か

震災からちょうど一週間。テレビでは「避難所には子供たちの笑顔が戻りつつあります」とやっていた。

他のところは知らないが、私の妻子が地震のあった日に一夜を明かした小学校に限ってはウソである。子供たちは初日から修学旅行気分の大騒ぎで大笑いをしている。他の場所で大勢が亡くなったこと、自分たちの先行きへの不安、こういったものを想像する力のない大多数の子供たちは不謹慎にも最初っから笑い、親に怒られていたのだ。

地震から一夜空けると朝の6時から体育館でバスケットボールをし、「おばあちゃんのところに行く」と言われた女の子は自分だけ遊べなくなるのが嫌で泣き、テレビカメラが来ると面白がってカメラの前に飛び出し、編集でカットされる。

テレビ局は、自分たちが語りやすいストーリーを作って放送しているのだ。今回に限っては、それが視聴者の同情を呼び、寄付や節電をしてくれることにつながるからいいのだが。

自然とテクノロジー

今回の災害について、必ずどこかのバカが「天罰だ」とか「人間のおごりに対する自然の戒めだ」とか言い始めるだろう。

理不尽な災厄に対して、どうにかして説明をつけて安心したいのだ。しかし世の中には説明のつかないこともある。これはただの自然現象であり、何者かの意思もなければ何かの報復でもない。地球は誕生以来、地層が90度も傾くような地殻変動を何度も経験してきたのだ。

人間がこれらに立ち向かうためにはテクノロジーしかない。科学しか有効なものはない。

神様や聖書を持ち出して納得したところでクソの役にも立ちはしない。そういう行為は亡くなった人たちに対する最大の冒涜である。私はそういう発言だけは絶対に許さない。まだ誰もそんなこと言ってないけど(石原知事は撤回したし)。

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