犬と猫

広州から帰りがけ、今野編集長から「帰国したらすぐに原稿送ってください」と言われた。世界選手権の観戦記を2ページ書くことになっているのだが、てっきり4月発売号に載せるんだとばかり思っていたら、3月発売号で、締め切りは「できるだけ早く」だという。ひぇー。今から3月15日ぐらいまでに誌面を完成させる気なのだ。

実況ブログに書いたものを適当にまとめて送ったが「つまらない」と却下。厳しい。直してやっとOKとなった。今回は連載始まって以来、初めてのカラーなので、誌面を見るのが楽しみだ。

編集の野中さんからめずらしくイラストの指示があったのだが、それが面白い。「犬が卓球を見てよだれを垂らしていて、顔だけ条太さんにしてください」とのこと。これだけ聞くと異常だが、ちゃんと理由があるので、誌面をお楽しみに。下に、ボツになった「顔が犬バージョン」を載せておく。こんなヘタな絵でいいのかと思うだろうが、私の場合はこれでいいのだ。

犬と言えば思い出すのが、イラン人の犬嫌いだ。イランに旅行したとき知ったのだが、イランでは犬は不浄の動物と考えられていて、みんなが犬を嫌いなのだ。ガイドのアリさんという人、とても優しくて面白くていい人なのだが、私がわざと犬の話をすると、とたんに別人のような意地悪な顔になって「犬・・ねえ、ケッ」というようなことを言ったのが面白かった。そんなに嫌いなのかよ犬。

犬嫌いの次は猫嫌いだ。私の義母は「ね」と聞いただけで「ぎゃっ」と飛び上がるほどの大の猫嫌いだ。彼女はかつて小学校で教諭をしていたのだが、最大の問題は、家庭訪問だったという。それで、家庭訪問の時期が近づくと教室で生徒達に「犬を買っている人、手をあげてー」などとカムフラージュしながら徐々に猫を飼っている家を突き止めて、血眼でチェック。そしてその子には、「先生は猫の毛にアレルギーがあるので、家庭訪問のときは出てこないように隠しておいてね」と一見やさしく、しかししつこく何日もかけて絶対に忘れないように念を押すのだという。そうやってほとんどの場合は、事なきを得ていたのだが、ある家に家庭訪問に行ったときに事件は起きた。押入れに猫を隠していたのを忘れて、家人が開けてしまい、喜んだ猫がものすごい勢いで飛び出してきて義母に飛びかかったという。そのときの義母の驚愕を想像すると、申し訳ないが可笑しくてたまらない。

顔を近づける人の話

以前、職場にYさんという上司がいたのだが、この人、誰が見ても異常な特徴があった。人と話すときに異常に顔を近づけるのだ。耳が遠いわけではない。ただのクセなのだ。しかも唾がビュンビュン飛ぶ。その人と歩きながら話すと、逃げる相手をYさんが追うので、二人で曲がって歩くことになる。それが廊下なら壁に追いつめられるだけで済むのだが、街の舗道を歩いているときなど、舗道の端ぎりぎりまで追い詰められて、あわや車道に落ちそうになるほどだ。さすがにこれらのことを本人がどう考えているのかは話したことがないのでわからない。

私はYさんと隣の席だったのだが、初めて彼と話したとき、顔を異様に近づけるので、てっきり内緒話をするのかと思ったが、そうではなかった。あるとき、Yさんがいないときに課員でそのことについて話し合ったことがある。彼は、距離が近ければ近いほどいいのか、それとも他人よりも短いだけで、彼なりに最適距離があるのか、という問題だ。なにしろ、誰も彼が満足するまで近づいたことがないのでわからないのだ。そこで、彼と面対称の動き、つまり間に鏡があるごとく、彼が近づいたらその分だけ近づいてみようということになった。それで実際に試してみた。彼が近づいたとき、待ってましたとばかり顔を突き出してやると、彼は極めて不快そうに顔を引いた。つまり、彼にも最適距離があったのだ。何か動物の習性をひとつ解明したような満足感を覚えたものだった。

似たような性向の奴が学生時代の後輩にも一人いた。不思議なのは、中ぐらいの人がいないことだ。異常に顔を近づける人はいるのに、ほどほどに近づける人というのがいない。もしこれが遺伝子によるものだとするなら、それが生き残ったメカニズムはどのようなものだろうか。顔をぎっちりと近づけて話し合うことによって仲間の体調が分かるメリットがあったとか、あるいは単に近眼だったのだろうか。4,5人の原始人たちがYさんのように全員で顔を近づけて話している姿を想像していると、なんだか気持ちが悪くて楽しい。

日本代表チームと記念写真

広州の世界選手権で、日本代表の女子チームと写真を撮ってもらった。

家で9歳の息子に自慢してみせると「この中で一番強いのは誰?」と聞く。私にも覚えがあるが、こいつは、いつもそういう無意味な質問をするのだ。聞いてどうするわけでもないが、聞きたいのだ。それで、一番活躍した平野早矢香選手(私の右隣)を指差した。すると、息子、「一番弱い人は?」と聞く。ちょっと判断できないので「わからない」と答えると「えー、お父さんじゃないの?」だとこのガキ。そういう意味かよ。わかってるなら聞くな。

アホたち

会社から帰って夕食を食べていると、双子の息子たちが「とっても面白いことを考えたから見て」という。そういうことはだいたい面白くないのだが、一応見てやった。

すると、手を動かさないで頭を掻く方法だと言って、二人で手を固定して頭を左右に振った。あまりのバカバカしさに大笑いし、写真に収めてやった。大丈夫なんだろうかこいつら。

訂正!

中国リポートを書いている方から指摘があった。トイレの戸の内側に書いてある「来也匆匆、去也冲冲」は、「またのご利用をおまちしています」ではなくて「慌てて入るとも(来也匆匆)、出る時はしっかり流せ(去也冲冲)」ということだそうです。お恥ずかしいです。ここに訂正いたします。失礼しました。

広州空港にて

たった今、広州の世界選手権から帰ってきた。この1週間、卓球に偏った書き込みばかりで、一般の人はあまり面白くなかったと思うが、また日常のバカ話を書きたいと思う。しかし世界選手権の威力は大きく、これをきっかけにこちらを読んでくれる人もいたらしく、500件を超えるアクセスがあり、この勢いを維持したいと思う。

広州の空港で見つけた面白い写真をアップしておく。左が「小心地滑」で、滑らないように気をつけてということらしいが、なんか、小心者が地滑りをするようで可笑しい。すべる様子のマークがあるところも可笑しい。しかもここは床が絨毯なので、誰も滑りそうにない。

右の写真は、トイレの個室の戸の内側。字から意味を想像すると、「またのお越しをお待ちしています」ではないだろうか。あちこちに書いてあるならわかるが、あたりには書いておらず、ここだけだ。よりによって男子トイレの戸の内側であるから、これは「また大便をしに来て欲しい」という意味だろう。なんだかあまり来たくはない。わざわざこう書くということは、本当は嫌なのに違いない。

世界選手権特設ブログ

来週からの世界選手権に向けて、特設ブログができたようなので、これから2週間ぐらいはそちらに書き込みし、こちらはしばらくお休みします。みなさん、こちらhttp://www.world-tt.com/をご覧ください。中央右側のピンクの『条太のぶるるん広州日記』というところをクリックしてください。

なお、「koがついたら100%女性」と書いたところ、さっそくゲストブックで「~彦」という男性が沢山いるという指摘を受けました。すっかり見落としていましたのでここに訂正させていただきます。

日本人の名前

アメリカ人と仕事をしていて、メールなどで知らない名前に出くわすと、それが男性か女性か見当がつかないのだが、アメリカ人に聞くと確信を持って応えてくれて大変心強いとともに「なるほど、わかるもんだね」と感心している。逆に、アメリカ人から日本人の性別を聞かれることもよくあり、私は自信を持って教えてやれて気分がよい。「ミナコ」といえば絶対に女性に決まっているわけだから、仕事の中で自信をもって言える数少ない事がらだ。

たびたび聞かれるので、日本人の名前から性別を推測するコツを教えてやって、ありがたがられた。

それは以下のような傾向だ。

1.母音が4つ以上の場合、女性である確率2%
2.母音が3つの場合、女性である確率70%
3.母音が2つの場合、女性である確率90%
4.母音が1つの場合、女性である確率30%
5.最後がkoの場合、女性である確率100%

確率はだいたいの目安だが、実際には仕事相手の女性の半数の最後がkoなので、大いに重宝されている。マイクは母親がアメリカ生れの日本人なのだが、「たしかに自分の母親もその姉妹もみんなkoがついている。知らなかった」と驚いていた。良いことを教えてやったと嬉しくなった。

インフルエンザ

床屋に行ったのが原因というわけではなかろうが、月曜の夕方から熱が上がり始め、夜には39度2分になった。結局、木曜まで38度の熱が下がらず、やっと今朝から平熱に戻り出社することができている。他の人にうつさないようにと、会社では個室に閉じこもって仕事をしているが、隣の席だったマイクは今朝から熱を出して休んでいるという。そういえば月曜の夕方に話した相手がマイクだった。悪いことをした。

ブログを始めて以来、5日も書かなかったのは初めてだが、逆にアクセスが増加したのは興味深かった。考えてみれば当然で、毎日書いていれば読む方は1日1回しかアクセスしないが、更新していなければ、まだかまだかと何回もアクセスするので、実は書かないほうがアクセス数は増加するのだ。あまりに書かないとそのうち減るんだろうが、今回ぐらいのブランクだといつもの10%増ぐらいのアクセスだった。

それにしても高熱はきつかった。特に最初の夜がひどく、頭と体が痛くて寝られなかった。幸い消化器系は大丈夫だったので吐き気はなかったのだが、それでも辛かった。いつもわたしはこういう場合、もっと酷い思いをしたであろう人たちのことを想像して我慢することにしている。いつも考えるのは太平洋戦争で飢えとマラリアで死んで行った日本軍兵士たちのことだ。薬どころか食料も家もなく、高熱を発しながら雨に打たれて死んで行った人たちだ。こんなに温かい布団に入って食料もあってどう長くたって1週間も我慢すれば死ぬことはないという環境なのだから、彼らが経験した苦痛と恐怖に比べればこんなものは冗談にもならない程度のものだ、と言い聞かせるのだ。
消化器系が良好なため、熱にうなされながらも夜中に「バフォーッ」と大きな屁をした。すると、同じく風邪のため私と同じ部屋に寝かされていた12歳の次男が「ん?なに?」と言った。熱にうなされながら私の屁に返事をしたのだ。

そこで一句。

『 父の屁に 応えしわが子 虫の息 』    季語:屁(夏)