ラケット論

今月発売の号の原稿にラケットのことを書く。私の言いたいことは、ラケットの性能は弾みと重さだけで決まるので、その情報をすっきりと宣伝してくれればいいというものだ。もちろん弾みは重さにも影響を受けるので、材質だけではなくて、実際に人間がラバーを貼ったラケットを手に持って打球をした場合の賞味の弾みを「弾み」と定義しての話だ。

ラケットの弾みがどれくらいが適正かは人によって違うので、適当なのを選べばよいが、その適正な弾みを与えるラケットのうち、もっとも軽いラケットが偉いというのが私の考えだ。言うまでもなく、ラケットは軽いほど素早いラケット操作ができるからだ。ラケットが軽すぎると相手のボールに押されるという話も聞くが、それは弾まないということだから「適正な弾み」という前提から外れているだけのことだ。軽くて押されないラケットを選べばよい。相手のボールの威力によって弾みの序列も変わるというなら、そういうデータこそ欲しいところだ。

そこで、業界のリーディングカンパニーであるバラフライのホームページで公開されているラケットの弾みと重さをグラフにしてみた。弾みは「スピード」としてグラフに表示されているプロットから読み取って私が数値化した。重さは各ラケットの詳細データで平均値として載っていた数字を採用した。

重いほど弾みがよい結果になるかと思ったが、結果はご覧のように、極めて弱い相関しかない結果となった。新素材は重さのわりに弾みがよいことが分かる。また、単板も合板よりは弾みが良いことがわかる。「朱世赫」や「ディフェンスプロ」「デイフェンス2」といった守備用ラケットは、ブレードの面積が大きいために重めになっていることを付け加えておく。

私の考えは、ラケットは軽いほど有利というものだから、好みの弾みに応じて80グラム以下の製品、つまり「アイオライトNE」「イシュリオン」「メイスパフォーマンス」「ビスカリアライト」あたりから選べばよいということになる。

遠心力をスイングに使えると思って、遠心力を増すために重いラケットを使う人がいそうだが、本末転倒だ。遠心力はスイングによって生じるものであり、それをスイングには使えない。自動車レースで、パワーのあるエンジンほど重い傾向にあることから「エンジンは重いほど力が出る」と誤解をしてエンジンに重りをつけるようなものだ。

正月早々、こんなことを考えたのは、ラケットを選ぶときにわけのわからない情報が多すぎて選ぶのに苦労したからだ。その選ぶ作業が楽しい人にとっては今回のような単純化はよけいなお世話ということになろう。こんなことをするとまた側近の者から「ヒマですねえ」なんて言われそうだが、ヒマどころかこの作業で忙しかったのだ。

骨盤ほぐし

夕飯を食べにイオンに行ったのだが、その一角に『骨盤ほぐし』のコーナーがあった。マッサージの類らしいのだが、まるで柔道かプロレスの極め技のように恐ろしい名前である。どう考えても命の保証はなさそうだ。

どんなものかと思って写真を見ると、骨盤をほぐしているような写真はなかった。しかもモデルは白人。どういうことなのだろうか。

高級手帳

年末に手帳を買った。

2008年の7月にダイエットをしたときから胸ポケットに入るようなメモ張を携帯していて、それに飲食物のカロリー、体重とともに、原稿やらブログのネタやら雑多なメモをし始めたのだ。

白状するのはちょっと恥ずかしいが、これは『刑事コロンボ』でコロンボがメモをするのがカッコいいと思ったのと、荻村伊智朗関係のパーティーで同席したノンフィクションライターの城島充さんが、会話のあいだ中、メモ用紙にメモしっぱなしだったのを見て「うわ、作家ってこうなんだ、カッコいい」と思ったからだ。

それで、ときどき私も人前でこれみよがしにポケットからメモ張を取り出してメモをすることにしたのだ(ね、恥ずかしいでしょ?)。メモ張はアメリカのスーパーで買ったもので、1ドルくらいのものだ。2冊目を使い終わったので3冊目を買おうと思ったのだが、2冊目があまりにも粗悪品(週刊誌のような紙質なのだ)でボロボロになったので「いい物」を買いたくなった。

それでデパートのそれらしい売り場にいくと、意外にも欲しいものが売っていない。私が欲しいのは、何年か先までのカレンダーがあって、あとは罫線だけのものだ。ところが売り場においてあるのは、マンスリーだのウイークリーだの毎日の日記だのの印刷がしてあってメモ欄は全体の半分もなく、どいつもこいつも表紙に2012年と印刷してあるものばかりだ。考えてみると、こうしないと毎年売ることが出来ないから当然なのだろう。一方で、カレンダーがついていないただのメモ張ならいくらでもある。しかし、カレンダーのついたメモ張というものはないのだ。

それであきらめて家に帰ったのだが、ネットで調べると完璧なものが見つかり、それを売っている店に行って買った。バインダー式になっているので、別売りの用紙で好きなように構成できるのだ。ダビンチというブランドで、メモ張としては異常に高い物だが、本当に欲しいものが手に入った嬉しさでいっぱいである。品質が良いことも偉いが、こういう細かな客のニーズに応えるところも高級品だということなのに違いない。牛革の匂いもなんともかぐわしい。革が手になじんで手垢が染み込み、ボロボロになるまで使い込もうと思う。

私はブランド指向ではないが、今回ばかりは「なるほど、ブランド品っていいもんだな」と思った。ただし、手帳ぐらいで止めておこうとは思う。靴だのカバンだの時計だのに興味を持ち始めたら大変だ。いわんや車をや。

元旦のネットカフェ

昼はやることもないので近くのネットカフェに一人で行ってきた。元旦のネットカフェにはカラオケの客は次々と入ってきたが、マンガ喫茶コーナーにはほとんど人がいなくて、気温も結構低くすっかり寒くなってしまった。

『カバチタレ!』を読みに行ったのだが、途中でかわぐちかいじの『僕はビートルズ』が目に入り、最新巻の第7巻までを完読した。ビートルズのコピーバンドをしている若者4人が、偶然、ビートルズがデビューする直前の時代にタイムトリップする話だ。4人は本物のビートルズよりも先にビートルズの曲を次々と発表する。それを聞いたデビュー前のビートルズがさらにすごい曲を書いてくれるに違いないと思ったからだ。ところがジョン・レノンはあまりに完璧な4人の曲(本当は彼らが将来書くはずの曲なのだが)を聴いてショックを受け、デビュー前にビートルズを解散してしまう。4人は世界からビートルズを奪ってしまった責任を感じ、自分たちがビートルズの曲を世界に残す決意をするが、あまりに簡単に完璧な曲を作る彼らの素性に疑問を持ち始める人が現われ・・という話だ。作者のかわぐちかいじは、ビートルズの音楽の素晴らしさを間接的に描きたかったという。まさにその通りの内容で、読んでいて何度も鳥肌が立った。

その後、『ガラスの仮面』のいいところを飛ばし読みし、『カバチタレ!』を4冊読んだら7時間も経っていた。

途中、天婦羅ソバ+塩カルビ丼セットを注文して食べたが、大変に美味しくなかった。私はだいたいこういうメニューで美味しくないということはないのだが、なにしろソバの汁がお湯のように薄いのだ。ソバのタレの濃度をケチっていったい経費がいくら浮くというのだろうか。「糖尿病のためには塩分を控えた方が良いのでこれでよかったじゃないか」と思うことにした。つづいて手をつけた塩カルビ丼は、ご飯は水分が多すぎてカルビは脂身が50%以上の面積を占めるもので、こちらも「カロリーを抑えるためにはちょうどよかったじゃないか」と思うことにして半分だけ食べて残した。

まあまあ印象深い元旦となったのであった。

初夢

元旦の朝、とても不愉快な夢を見た。

会社の前社長となぜか私が卓球の試合をすることになったのだ。前社長とは話したこともないし卓球経験者でもないのだが、なぜだか卓球の試合なのだ。ところがいざ試合をしようとすると、その前にプレゼンだの打ち合わせだのがあって、なかなか試合ができない。結局、試合どころか卓球台もラケットも出てこないうちに夢は終わった。まったく不愉快である。ちなみに、その前社長がペン裏ソフトであることだけは確定しているのであった。年配者であるがゆえのことだろうか。

黙祷

リビングの壁に貼っている息子たちの小さい頃の写真を見るたびに「もし震災で誰かが死んでいたら」と思うと胸が締め付けられる。一生、写真を見て泣いていたことだろう。クリスマスや正月といった印象深い思い出がある日には特にそうだろう。

あの日、しばらくは一人の行方がわからず、妻は一時、あきらめたのだ。

家族が死なずに済んだ幸運を噛みしめるとともに、家族を亡くした人、亡くなった人に申し訳ないような気持ちになる。

県道のアビイ・ロード

ビートルズになりたかった高校時代、家の前の県道で撮った写真とアビイ・ロードを合成した。ロンドンの町並みに忽然とビニールハウスが現われている。

どうだ、まいったか。

卓球談義

飲み会の後は杉浦君と田村の家に行って、自分たちの練習風景のビデオを見ながら卓球談義となった。

田村は、グルッパのドライブがどうのこうのと立ち上がって吼えていた。

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