月別アーカイブ: 10月 2007

ビートルズ8

いよいよビートルズネタも最後に近いづいてきた。

今回のは日本発売のシングル盤ジャケットである。初めてビートルズごっこをしてそれなりに自信を得た私は、多少の準備をして真似できそうな写真の真似をした。とはいえ、小物には限界があるので、ポールのチョッキは家にあった父親の『胆沢町消防団』のユニフォームだし、メガネと鼻は前回と同じである。スーツ類はすべて父親のものを勝手に出して袖を折ったりして使っている。

人物の間隔が本物と全然違うことに気づかずに撮影してしまい、残念至極である。

このシングル盤は、楽曲も写真もまったく好きではなく、単に「真似できそうな写真」というだけのことだった。

写真とは関係ない話。私がビートルズファンになったのは77年で、すでに解散から7年が経っていたので現役時代は体験していない。ロック評論家の渋谷陽一やビートルズに影響を受けてミュージシャンになった人たちの証言を聞くと、ビートルズは現役時代、日本では人気がなかったという。ファンなどクラスに1,2人しかいなく、ファンはいつも白い目で見られていたそうなのだ。だから、日本にはいわゆる『ビートルズ世代』というものは存在しないという。いるとすれば、それはビートルズが解散してもっと過激なロックが出てきてビートルズの毒が相対的に薄められて安全なものになる70年代だろうとのこと。しかし私がファンになった77年でもやはりレコードを買ってまでビートルズを聴いている人はクラスにはほとんどいなかった。まさか80年代以降にビートルズ世代があるとも思えない。となると、日本にはどの世代にも『ビートルズ世代』というのはなく、薄くいろんな世代に広がっているのだろう。また、CDが売れるのは単に有名だからなのだろう。

酒に強い人と弱い人

酒の話で、お気に入りのウンチクを披露したい。
以前、テレビで見た話なので正確性についてはご容赦願いたい。

酒の強さを考えるときに、2つのパラメーターがあるという。それは、アルコール脱水素酵素とアセトアルデヒド脱水素酵素である。人間はアルコールを飲むと、それが胃や腸から吸収され、脳にまわることで「酔い」の状態になる。判断力が鈍ったり気が大きくなるという状態だ。その体内のアルコールは、肝臓でアルコール脱水素酵素の働きでアセトアルデヒドというものに変わる。アセトアルデヒドは、体にとって有害物質で、具合が悪くなって吐いたり頭痛を引き起こす物質だ。二日酔いの原因物資である。アセトアルデヒドはさらに肝臓でアセトアルデヒド脱水素酵素によって分解されて最終的に体外へと排出される。

流れを整理すると

アルコールを飲む

脳にまわって酩酊状態となる(酔っている状態)

アルコールがアセトアルデヒドに分解される(アルコール脱水素酵素の働きによる)

吐き気、頭痛に襲われる

アセトアルデヒドが分解されて体外に排出される(アセトアルデヒド脱水素酵素の働きによる)

人間の酒に対する酔い方は、このアルコール脱水素酵素とアセトアルデヒド脱水素酵素の強さの組み合わせによって以下のように分類されるというのだ。

1.アルコール脱水素酵素が強く、アセトアルデヒド脱水素酵素も強い場合
飲んでも飲んでも酔わないし具合も悪くならない。いわゆる酒に強い人

2.アルコール脱水素酵素が強く、アセトアルデヒド脱水素酵素が弱い場合
酒を飲んでも、すぐに酩酊状態からは脱するが、気分が悪くなって吐いたりする。→私はこれだ!

3.アルコール脱水素酵素が弱く、アセトアルデヒド脱水素酵素が強い場合
少量の酒ですぐにべろんべろんになり、長時間そのまんま。しかし具合が悪くなったり二日酔いになることはない。一見、強いんだか弱いんだかわからなく見える。→○晃さん?

4.アルコール脱水素酵素が弱く、アセトアルデヒド脱水素酵素も弱い場合
すぐにべろんべろんになる上、後から具合が悪くなって二日酔いになったりする。

私は、常々、記憶をなくすほど酒を飲んでみたいと思っているのだが、このような酵素の働きを考えると、おそらく死ぬ思いの嘔吐を覚悟しないと無理なのだと思う。大学入学時の初めての飲み会で自分の酒の弱さを知らずに日本酒をコップで何倍も飲み、さすがにそのあたりの記憶は朦朧としているが、30分ぐらいするととてつもなく気分が悪くなって嘔吐と下痢が始まり、それは翌々日まで続いたのだった。アセトアルデヒド脱水素酵素の強い人が本当に羨ましい。

嫌なこと

私はアルコール類を飲むことが嫌いではない。味は好きではないが、甘い味を入れてカクテルにすれば美味しい。酔うこともなんとなく楽しい。

しかし宴会で嫌で嫌で仕方がないものがある。それは、酒を注いだり注がれたりすることである。何が嫌かと言うと、必然性のないこの茶番ともいえる動作をすることが嫌なのだ。理由があれば何の問題もない。高価な酒をご馳走されているので自分で注ぐわけには行かない場合とか、知らない人と話すきっかけを作るために注ぎにいったり注がれたりなら私もやる。しかし、知っている同士の飲み会では必要ないだろう。隣の人のコップの空きぐあいを気にしながら注ぐタイミングを考えたり、注がれるときにはいちいちコップを持って、ありがたいと思っていないのに礼を言わなくてはならない、そういうのががとても苦しいのだ。ウソはつけない。

酒を注がれるぐらいなら放っておけばよいが、大学や会社での歓迎会などでは「飲む」ことを強要されるから最悪である。なぜ飲料を「飲め」と強要されなくてはならないのか。中には「この場を収めるために頼むから飲んでほしい」と耳打ちをする「優しい」先輩もいたりする。私にとって酒を飲むことは、しょっぱくて飲めないラーメンの汁を飲むことと同程度のことである。同じ考えの人はいるはずだ。もしそういう人が歓迎会でそういう目にあったら、「わかりました。私は酒を飲みますから、あなた、そこの醤油を飲んでください」と言ってみるのがよいだろう(袋叩きにされること間違いなし)。

ところがこちらではこの「酒の注ぎ合い」が一切ないのだ。アメリカ人にそういう習慣がないのは当然だが、赴任している日本人どうしの飲み会でも「郷に入れば郷に従え」とばかり、誰もやらないことになっているのである。それがなんとも心地よい。こうしてみると、日本で注ぎ合いをやっている人たちも本当は「面倒だなあ」と思っているのではないだろうか。だから、やらなくてよい理由ができると、もう俄然やらないのだ。

ちなみに私は、酒を飲みすぎて記憶をなくすという人が羨ましくてしかたがない。私は酒に弱すぎて、飲みすぎるとすぐに具合が悪くなって吐いたりしてしまい、そういう状態には絶対にならないのである。理性と記憶をなくした自分がいったい何を語ってどんなことをするのか、ビデオにでも撮ったら面白いだろうと思う。いつかそういう薬の力でも借りてやってみたい。

意外な日焼け

こちらに来て、頭も日焼けすることを初めて知った。考えてみれば何も不思議はことはない。皮膚である以上、日焼けしてなんの不思議があろうか。ただ、普通は髪の毛があるから日が当たらないだけのことだったのだ。

7月頃に、家族でドーサンから2時間ほどかけてフロリダ州に行き、海水浴をした。この時期、私はハゲているだけではなくて思いっきり短く刈り込んでおり、ほとんど僧侶のようにしていた。そこに北緯30度(九州南端ぐらい)の直射日光を3時間ほど照射してしまったのだから、焼けるのは当然なのだが、経験がないために思いつかなかった。顔や体には日焼け止めクリームを塗ったのに、頭には塗らなかったのだ。

夜になるとなんだか頭の皮が引っ張られるような浮き上がっているような違和感があったが、それでもまさか日焼けだとは気づかなかった。何日かすると、頭に触れるとやけにフケが落ちるな、と思ってよく見ると、それは日焼けでむけた頭皮だったのである。

びっくりしてグレッグにそれを話すと、「ここらでは坊主頭の人は外では帽子を被るのが常識だ」とのことだった。なるほど、かならずしもおしゃれで帽子を被っているのではなかったのだ。それ以来、こういう場合には帽子を被ることにしている。

カードペン

私は大変物忘れがひどく、消しゴムやペンを無数になくしてしまう。仕事をしているとペンをあちこちにおいて回るし、逆に他人のものをいつの間にかもってきて自分の机に何本も集まってしまうこともある。消しゴムなど最後まで使ったためしがないし、ボールペンもその天寿をまっとうしたことがない。おそらく3ヶ月も同じものを使っていないと思う。ときどき、握るところの塗装がすっかり剥がれて10年以上も使い込んでいる人がいたりして、私にはまったく考えられないことである。

それほど物持ちの悪い私が、なんと20年もなくさずに使っているペンがある。それが『カードペン』である。これは20年前に、新日本スポーツ連盟の卓球の試合に出たときの参加賞としてもらったものである(そういえば桔梗苦羅舞として出たので、村上力さん、戸田と出たんだった)。もらったときには「こんなものをカードにして何の意味があるんだバカバカしい、さすがこんなところで只で配られるわけだ」と思ったことをはっきり覚えているのだが、ほどなくその便利さを思い知ることになる。さすがに物忘れが激しい私も財布だけはなくさない(20年以上前に一度だけパチンコ屋でなくしたことがあるだけだ)。だから、このカードペンを財布にさえ入れておけば、財布をなくさないかぎり絶対になくならないのだ。しかも私は日常、財布を常にズボンのポケットに入れているので、いつでもペンが取り出せるのだ。急に電話番号をメモしたいとき、試合のオーダーを書くときなど、役に立ったことが数え切れない。

このペン、二列になっていて、片方がボールペン、片方がシャープペンであるが、残念なことにボールペンが無くなってしまっている。会社に入った年の運動会で、上司が急にペンが必要になり、私がすかさず提供したのだが、持っていかれてそのままなくされてしまったのだ。このエピソードだけを見ても、いかにこのペンが役に立っていたかがわかるだろう。片方のペンがなくなったことでフレームに力が集中し、一箇所が折れてしまったのだが、接着剤で補修して使い続けている。

これほど使ってみるまでその便利さがわからない商品もあるまい。おそらく作った人もその便利さはわかっていないのではないか。cmのメモリなどついている情けなさである。商品説明さえちゃんとやれば絶対に売れると思う。ただしなにしろなくさないので買換え需要がないだろう。しかしこれは一生ものなので、装飾を含めて最高級の品質にすればよい。書き味、デザインともに高級にすれば、1万円近くでも売れるだろう。

どうしても新品のカードペンがほしい私はいろいろとメーカーにあたってみて、かつてゼブラ株式会社がこれを作っていたことを突き止めた。それで、上記のような要望を切々とメールで訴えたのだが、「昭和61年から発売していて平成7年で生産中止した」との返事であった。アピールが足りなかったのだと思う。なんとももったいないことだ。

アメリカに来てからこちらのネットオークションで一個だけ中古のカードペンが見つかって購入した。コカコーラのデザインなので、おそらく景品だろう。品質も悪く書き味が最低である。こういうものは品質が悪ければ売れないのだ。カードペンは、世界中で同じ扱いを受けているのだ。それでもついこの前も空港で話し込んだ人の電話番号をメモするのに役立った。

いつの日か最高級の品質のカードペンを手に入れるのが夢である。

師弟愛

3番弟子の小室からメールがきた。小室はネット界では『フェイク弟』と名乗ってこまごまと活動しているようだが、このブログを読んで気になることがあるとのこと。

「気になって仕方がないのですが、兄弟子の戸田さんは卓球も条太さんよりワンランク上となるといったい何関系の弟子なのでしょうか?」

さすが3番弟子、愚問である。これに対する答えとして、戸田がかつて『覇者』に載せた私の紹介文を載せておこう。
平成7年発行『覇者28号』 「新歓コンパのお返事から」より
<62年卒>戸田純一さん
世界にそびえる人々 第4回
伊藤条太(日本)
ラブオール直後から自分を絶望的な状況に追い込むことを常とするその姿は、さながら十字架を背負ってゴルゴダの丘へと向かうイエス=キリストである。また、思想家としての彼は、田村、菊地ら東北大学の誇る五流選手どもに強い影響を与えた。彼らは今、至福の中で静かにおのれの死を待っている。
これでいかに戸田が私を尊敬しているかわかることと思う。

たとえば尊敬をされない場合、次のように書かれることになる。
平成7年発行『覇者28号』 「後援会費を頂いた際のお言葉から」より
<62年卒>戸田純一さん
世界にそびえる人々 第5回
大林正行(町田市役所 道路交通課)
彼の味わってきた地獄に比べたら、本物の地獄もぬるま湯に感じるだろう。首のムチ打ち、表ソフト速攻としての挫折、公僕に対する市民の冷たい仕打ち。しかし、この試練を乗り越え、彼は今、シェーク両ハンド攻撃型として、浮ついた現代社会に生きる若者たちの目をさますために蘇った。そして、さらに厳しい地獄を味わっている。
ところで昨日のスルメの件だが、あの後すぐにマイクに電話がかかってきて「どこにあるかわからないからすぐに来てスルメを持っていってくれ」と言われたそうである。彼が昼休みから帰ってくると、やけに魚臭いので、誰か流しで腐った魚でも捨てたんだろうと思ったそうだ。ところが作業をすればするほどいよいよその臭いが強くなってきて異常に気がついた。それで「これはマイクの仕業だ」とすぐにわかったそうである。こういうことをいつもやり合っているのだろう。

キーボードにスルメ

上司のデビッドが1週間の日本出張から帰ってきて、スルメをお土産に買ってきてくれた。

ところで、ここではアメリカ人にウケるお菓子とウケないお菓子はだいたい決まっている。日本からの出張者がしょっちゅうお土産としてお菓子を持ってくるので、それで試されつくしているのだ。まず、チョコレートとかクッキー、飴などは日本のものはとても美味しいといって食べてくれる。アメリカで売っているチョコレートやケーキなど、あまりに甘くてとても食べれらないのだが、いつもそれを食べているアメリカ人にとっても日本のお菓子は美味しいようである。

その反面、ほとんどのアメリカ人が顔をしかめると決まっているものがある。それは海老せんやスルメに代表される魚介類の醗酵した臭い、海苔、そしてアンコである。海苔は、臭いも嫌いらしいし、海のコケやカビのようなものと考えそもそも食べるものではないと感じているようだ。アンコが嫌いなのは、こちらでは豆といえば塩味と決まっているので、小豆を甘く煮たアンコはとても気持ち悪くて食べられないのだ。日本人にあてはめて考えれば、きゅうりを砂糖で甘く煮たようなものだろうか。

食べ物の好き嫌いは一見、絶対的なもののように思えるが実はかなり相対的で、ちょっとした体験で変わるものだ。私もウニは生臭くて苦くて食えなかったのだが、学生時代に高級な寿司屋につれていかれて、なんとなく食べないと損な気持ちになって食べたら美味くて、それ以来好きになったのである。不思議なのは、嫌いだった頃と同じ味を味わって、そのときの記憶もあるのに、受け止め方だけが違うのだ。気の持ち方だけだと言ってもいい。

妻が学生のときのことだ。家の冷蔵庫からイチゴジャムを取り出してパンに塗って食べようとした。うまく塗れないので、ずいぶんと活きのいいツブ立ちのいいジャムだな、と思いながら食べたらなんとそれは筋子だったという。父親が、よりによって筋子をイチゴジャムの瓶に入れていたのだが、妻はメガネを掛けていなかったものだからよくわからなかったのだ。筋子を塗ったパンを食べてしまった妻は、それ以来、大好きだった筋子が2年ぐらい食べられなかったという。

今回デビッドは、自分は大嫌いなのだが、スルメを私とマイクに買ってきてくれた。最近知ったのだが、マイクはお母さんが日本人なので(全然そう見えないメキシコ人のような顔なのだ)スルメが大好きなのだ。マイクが私のところにきて「今から友達のところに行って、パソコンのキーボードの下にこっそりとスルメを隠して臭わせてやるんだ」といって紙に包んだ3本のスルメを見せてくれた。その同僚は、スルメの臭いを何か腐ったか、あるいは屁か糞だとでも思うのに違いない。「キーボードの下にスルメを隠す」というところがなんともおかしい。

便器の虫

今日は完全に「男の世界の話」である。

このブログを読んでくれている中国に赴任した先輩から「便器の虫の絵」が実際にオランダの空港で使われているという指摘があった。私も実際に日本で見たことがあるし、使われていること自体は知っている。問題は本当に効果があるかどうかである。ダウジングだって占いだって実際に金を払ってやってもらう人がいるからといって効果がある保証には少しもならない。

そこで、ネットでいろいろと調べてみると、70%も便所の汚れが減ったという報告が見つかった。その報告の信憑性はこれ以上調べようがなかったが、もしこれが本当だとすれば、どういう可能性があるかをもう一度考えて見た。すると、どうも私があることを誤解していることがわかってきた。

それは、人が便所を汚すメカニズムである。私は便所を汚すと言えば、便器を外して小便をするケースだけを考えていたのだが、よく考えるとそれだけではない。仮に小便が便器の中に命中していたとしても、細かく長い目で見れば、跳ね返り、つまり「しぶき」というものが無視できなくなってくるのである。当然、しぶきによる床の汚れを最小限にするための適正位置というものがあるわけで、それをコントロールするのが虫の絵だとすれば、効果があっても全然不思議ではない。いや、なければおかしい。我々はよく、便器の底においてある丸い芳香剤や、不届き物が捨てたガムやタバコの吸殻を執拗に無意味にもの心ついてからというもの何十年も狙ってきたではないか。より長い距離を落下して垂直な面に放滴されるこのケースこそが、おそらく霧レベルのしぶきをもっとも発生させる「最悪ケース」に違いないのだ。

こんな記事も見つかった。
http://www.j-cast.com/2007/06/14008415.html
ここにも「飛散を防ぐ」と書いてあるので、やはりしぶきを問題にしているようだ。ひょっとして分かっていなかったのは私だけなのかもしれない。ガックリ。

そういうわけで、「便器の虫の絵は効果なし」とする前言を撤回したいと思う。

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