双子の話

我が家の長男と次男は一卵性双生児だ(次男がイチロウというヒネリ入りだ。もちろんイチロウとは「伊智朗」である。名字と「伊」がかぶっているのだが、そこまでして荻村伊智朗の名前をつけたかったという過剰さが良いのだ)。自分の子供が双子だと分かったとき、こんな面白い偶然が自分の身に起こるとはなんて幸運なのだろうと、宝くじに当たったような気がしたものだ。

双子だとわかってから本などで調べて、いろいろなことがわかって面白かった。まず、双子の確率だが、一卵性の場合は、250出産にひとつだそうだ。これは、家系、民族、国によらず世界中でほぼ一定の確率なのだという。一方、二卵性の場合には家系、民族、食べ物、薬物などによる影響がかなりあるのだという。私はこれまで子供が双子だと言うと「親戚に双子いるんですか?」と何度も聞かれたが、そのたびに「一卵性の場合は人類共通で1/250の確率なんで、家系は関係ないんです。私の親戚に双子はいませんが、仮にいたとしてもそれは偶然です」と答えてきた。大体の相手は話の途中から見る見る興味をなくしていくのが顔色からわかり、ちょっと欲求不満である。話し方が悪いのだろうか。

双子の違いを見ると、遺伝子が影響をおよぼす範囲がわかって面白い。指紋、ホクロ、毛の生え方などははっきりと生まれつき差がある。これらは遺伝子という設計図がコントロールできない物なのだ。これに環境の差が加わって、結局はかなり差が出ることになる。身長、体重、知能などはかなり似ている。性格はそれらに比べると相当に違うが、大きく見れば似ている方だろう。

双子だとテレパシーなどあるのかと思われがちだが、そういう片鱗はまったくない。単に遺伝子が同じだけの別の個体なのだから当然である。日本人どうしは外国人と比べれば近い遺伝子をもっていて顔も似ているが、だからといってテレパシーに近いものがあるかといえばまったく無い。それと同じことだ。人間と動物の比較でもよい。
もちろん、同時に同じことを言ったり、好みが同じと言うことは沢山あるが、遺伝子も歳も環境も同じなのだから、そういうことがあるのは当たり前である。無いほうがおかしい。

世の中には、双子のお母さんの会というのがあることを知った。どこから紹介されたか忘れたが、すぐ近所にもあったのでおそらく全国いたるところにあるのだろう。たしか、市が斡旋をしている会だったと思う。そういう公的な会なのだ。双子のお母さんならではの苦労を相談したり協力する会のようだ。なかでもなるほどと思ったのは服である。誰かからお下がりをもらおうにも、双子用の揃ったお下がりをくれる人など普通はいないからだ。双子の会に行けば、これらが豊富に手に入るというわけだ。もっとも我が家の場合は、特に揃えようとは思わなかったので、もらいもの以外は双子で揃えて買ったことはほとんどない。いつもバラバラである。
双子用のベビーカートは、双子のお母さんでも持っている人はほとんどいなくて、ベビー用品のレンタル屋で借りることを教えてもらったりした。横に並んだのと縦に並んだものがあり、我が家では横に並んだのを借りていた。

他にもいろいろと子育ての相談をしていたようだが、私が覚えているのはこれくらいだ。双子を持たなければ一生その存在を知らなかったであろう会が、実はあちこちにあるなんて面白い。さすがに三つ子以上の会はあまりないと思うが。

*写真は10年以上前のもので、創刊まもない卓球王国に載せてもらおうとして撮影し、見事載せてもらったものだ。