イタリア料理屋

会社の人に誘われて、マークといっしょにイタリア料理屋に行ってきた。

なかなか洒落た店で、景色もいいし嫌が上にも期待が高まった。すでにコースを予約してあったにもかかわらず、なぜかメインディッシュを通常のメニューから2品も選ばなければならなかった。これでは次は何が出てくるのかといった楽しみや、店に任せる気楽さがなく、コースの意味がないではないか。ここで気がつくべきだった。

メニューには、素材にいちいち山形産だの岩手産だのと「だからどうした」と言いたくなるようなことが書いてあってうるさい。しかもソースを選べだの、スパゲッティの麺を選べだのやたら手間がかかる。もう信号は出ていたのだ。

最初に出てきたのはマグロのカルパッチョなのだが、わずかな酸味以外には何の味付けもない。生のマグロをそのまま食えというような料理だ。素材の味を生かすのはいいが、素材しかないというのはいかがなものか。連れてきてくれたAさんは「私は問題ないよ」という。「美味いですか?」と聞くと「いや、不味いけど、見たとたん想像がついたから驚かなかった」との答え。そういう問題ないか。マークは「ノープロブレム」と言う。本当だろうか。

イタリア料理はこういうものかと思っていると、次から次へと不味い物が出てくる。しかも3人で別なものを頼んだのだが、どれも不味いのだ。だいたいは塩味がなく、かと思えば異常にしょっぱいものもある。

Aさんの頼んだ牛肉のワイン煮などまったく味がなく、マークは「何時間も煮て味が他の素材に移った後の肉だ」と、ついに本音を言い始めた。「脂身が抜けていてダイエットにはいい」とAさんが言えば、「不味くて量を食えない点でもダイエットに適している」とマークが言う。とにかく、シェフは味盲ではないかということで3人の意見は一致した。

食後のデザートも8種類ほどのケーキから選ばされたのだが、案の定、まるでアメリカのケーキみたいに異常に甘く、シャーベットはチューイングガムの香りがした。

唯一スパゲッティだけは美味かったのだが、マークは「スパゲッティを失敗するのは難しいからな」と言った。

いろいろと選ばされたりメニューにごたくがうるさく並べてあったのは客を混乱させて味に注意を向けさせないためのカモフラージュではないかとAさんは言った。いったい何のために?

しかし木曜の夜に結構客がいたので、我々がイタリア料理を味わう才能がないのかもしれないとも話し合った。マークは「いい勉強になったからいいじゃないか。二度と来ないという勉強に」と言った。