月別アーカイブ: 10月 2008

家から職場までの道のり

よく他人の生活を写真で見ると、細部の様子は分かっても、なかなか全体像が分からないことが多い。いったい、普段どんなところでどんな景色を見て暮しているのか、家から街に行く過程はどうなっているのか、ということを知りたいと思ったりする。

このブログを読んでそう感じている人もいるかもしれないと思い、家から職場までの道のりを紹介してみることにした。

まず、団地を出てすぐの道路だ。ご覧の通りの田舎道だ。

一度右に曲がってしばらく走ると、片側1.5車線のちょっと広い道路に出る。中央の車線はなんと両者共通で、各自が左折したいときに相手の車を見ながらどっちが使ってもいいのだ。

このまま直進すると国道84号線という大きな通りにぶつかり、左に曲がって直進すれば職場だ。この84号線はご覧の通り信号もあり、中央分離帯はとても広い。しかし歩道はない。

私の職場はこの84号線沿いにあるので、正門を入ればおしまいだ。

家からここまでだいたい15分である。このような毎日を送っている。

人形俳句写真『円盤』『白梅』

とにかく次々と送られてくるのだから仕方がない。
今回のは意味が分かりやすく、情感もたっぷり出ていると思うがどうだろうか。

そうだ、今度、卓球のでも作ってもらおう!
誰のどんなシーンが絵になるだろうか。でも卓球台とか難しいので、プレー中は無理だろうな。馬琳とか王皓がベンチで考えているところとか落ち込んでいるところかな。

人形俳句写真『電源』『楽団員』

電源の俳句の意味がさっぱりわからないが、ともかく部屋に電源のひとつぐらいはあるのだろうから、写真とまったく関係がないとはいえまい。どうせもともとの俳句自体に意味はないらしいので、解説はこれくらいでいいだろう。楽団員の方は、バックに戦艦が見える。そう、義姉は広島在住なのだ。いずれの写真も何か訴えるものがある。

ときどき「写真の文字が小さくて俳句が読めない」という人がいるが、写真をクリックしてくれれば画面いっぱいに大きくなるのでやってみてください。

ウンコの脅威

今日は特別に汚い話なので、好みではない人は読むのをご遠慮願おう。

私は小さい頃からウンコというものの身も蓋もない汚さに脅威を感じていた。恐怖さえ感じていたといっていい。この汚さに自分の気持ちが乱れるのが悔しいのだ。世の中に当たり前に存在して、医者や汲み取り業者ならなんでもないこの程度のものに対して、平然としていられないことが悔しいのだ。

用具マニアの杉浦くんも、ウンコについてはなみなみならぬ恐怖をもっているようで、何度も不愉快な夢を見ると言う。トイレでウンコをした後、水を流したはいいが配管がつまり、どんどん水位が増してきてしまいには便器からあふれ出す夢だ。この話を聞いて以来、私もその最悪の状況を思い描いては不愉快な気持ちと戦っていたのだが、ドーサンにきてから現実に経験してしまった。アトランタのホテルで、部屋のトイレが詰まったのだ。詳しくは書かないが、すぐに部屋を替わってもらったとだけ書いておこう。

私もウンコに関連する不愉快な夢をよく見る。会社の洋式便座でウンコをしていると、突然、個室の戸が開いて、当時同僚の阿部さん(2007/8/9参照)が狭い個室にむりむり入ってきて、あろうことかズボンを下ろしてそのまま私の膝の上をまたいだのだ。隣の便器に行くためだと言う。いかにも夢らしいつじつまの合わない話だ。しばらくは阿部さんを見ると、この不快な夢を思い出して「またぐなよ」と思ったものだ。

夢ではなくて実際に体験した最悪ケースは、学生時代に遡る。休日に研究室にいたのだが、その日は研究所全体が断水だった。ところがそれを忘れた私はトイレでウンコをしてしまったのだ。当然、水が流れないので、トイレ中が大変な臭いに包まれた。幸い休日だから学生も職員もほとんどいないとはいえ、何人かはいるわけで、とても申し訳なく恥ずかしい思いをした。断水は数時間で解除されるはずだから、それまでの間、気が気ではなかった。やっと断水が解除されたことを知って、大急ぎでトイレに向かってほっとしながらレバーを押した。すると、断水後の初めての使用だっため、水が出る前に空気がプシューッと勢いよく吹き出し、その風圧で粉々に飛び散った自分のウンコを、頭から足まで全身に浴びてしまったのだった。あんなに恐ろしい思いをしたことはない。ミスがミスを呼んだ最悪の事態であった。とはいえ、別に死ぬわけでもなし、珍しい経験をしたことでちょっと得意な気持ちにもなったものだった。それにしても他人にかけてしまわなくてよかったとつくづく思う。皆さんも断水中のウンコにご用心。

愛と平和の人

下の記事にある『ジョンの魂』を発表した頃のジョンのインタビュー集から発言を抜粋してみよう。

「私のような人間は、自分が持っている天才的な才能に、10歳とか8歳、9歳ころに気づくのですが・・天才である自分をなぜ誰も発見してくれないのだろうと、私はいつも不思議に思っていました。学校では、この学校で誰よりもかしこいのは自分なのに、みんなそのことがわかっていないのだろうか、と考えていました。先生は馬鹿だということもわかっていないのだろうか、自分には知識など必要ないのだが、その不必要な知識だけしか持ち合わせていないのが先生なのだが、それに気づく人はいないのだろうか、と私は考えていました。」
「私は自分がアーティストであることに憤慨していますし、そういう意味では、なにも知らない馬鹿な人たちのためにパフォームすることに憤りを覚えます。そういう人たちはなにも感じることができないのですよ。感じているのは、私です。」
「いざアメリカへ来てみると、みんな馬鹿みたいなバミューダ・ショーツをはいて歩いていて、髪はボストン・クルー・カットで、歯にはブレースをはめていたのですよ。(中略)女の子たちは、1940年代の馬みたいで、ドレスに対するコンセプションとか、そういうものがまったくなくて、なんという醜悪な人種だろうかと、私たちはただそう思ったのです。」

これは何だろうか。虫の居どころが悪かったとはいえ、ジョン・レノンとはこういう人なのだ。完全にイカれていると言っていいだろう。では歌はどうか。愛と平和の象徴とされているアルバム「イマジン」の『真実が欲しい』という曲の歌詞は次のようなものだ。

「視野も心も狭いケチの偽善者の言うことは聞き飽きてうんざりだ/ぼくの欲しいのは真実だけだ/すこし真実をくれないか/神経症で分裂症でブタみたいに馬鹿な政治家の書くことは読み飽きたんだ/ぼくの欲しいのは真実だけだ/すこし真実をくれないか」

といった調子だ。他にもポールマッカートニーをさんざんこき下ろした歌「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?」というのも入っている。一面的な『愛と平和のジョン・レノン』という宣伝だけを鵜呑みにしてCDを買った人は「なにこれ?」と思うに違いない。ジョン・レノンってそんなに良い人でも聖者でもないのだからデタラメを書くのは本当にいい加減にしてほしい。ソロアルバム「トゥー・バージンズ」では、ヨーコと二人そろって股間丸出しの全裸写真をジャケットに使って顰蹙を買ったり、愛もへったくれもない異常者なのだ。バカバカしい偉人扱いするのはやめよう。彼はただ音楽の天才だっただけのことで、そのことだけが十分に素晴らしいのだ。

伝説になったジョン・レノン

他人の夢の話を聞かされるほど苦痛なことはないと言われるが、残念ながら今日はその夢の話だ。

ひとつは卓球だ。なぜか私が練習場で青森大学の大矢英俊選手と試合をしているのだ。もちろん彼と面識などない。広州で一瞬握手しただけだ。

私はナックルドライブを見舞い、見事大矢にネットミスをさせて1ゲームを先行した。2ゲームめをやろうとしてコートを換わると大矢はなぜか椅子に座って休んでいる。「どうした?」と聞きにいくと「え?まだやるんですか?」と言われていたたまれない気持ちになった。大矢に勝つということはあり得ないことだが、試合を断られて気まずい思いをするのはしょっちゅうなので、こんな夢を見たのだろう。

試合だけではなくて、一般に私は何かを断られることが多いのだが、その原因はよくわかってる。そもそも私は、断られて当然のようなずうずうしい申し出が多いからなのだ。他人からはかなり恥知らずだと思われているようだが、そういうときの気まずさはまったく慣れることがなく、その都度、胸が痛む。しかし胸が痛むこと自体に慣れたといおうか、まあ、そんなもんだ。

その前後して、ジョン・レノンの夢をみた。どっかのホテルに泊まっていて部屋に戻ろうとすると、同僚から携帯に電話があり「ジョン・レノンがフロントに来るそうなので条太さん、会いません?」と言うではないか。私は小躍りしながらフロントに行くのだが、その途中で「まてよ、ジョンはとっくに死んでるじゃないか。来るわけない。ということはオノ・ヨーコが来るのか?」と半分だけ正気になって考え直した夢だ。

偶然にもヤフーのトップページを見ると『伝説になったジョン・レノン』http://music.yahoo.co.jp/shop/p/12/91321/という記事が目についた。読んでみるとまったく呆れた内容だった。

『この死によって、レノンは崇拝されるようになったと発言する者もいる。だが、果たしてそうであろうか?』

間違いなくそうだ。ジョンが死ぬ前など、ソロのシングルはほとんど廃盤になっており、一般的には完全に過去の人で、もし死ななかったら一部のロックファン以外からは完全に忘れられていただろう。

『彼はソロ活動において、ビートルズ時代より大きなマインドで「ラブ&ピース」を唱え、音に託した。(中略)多くのリスナーは、そんな彼の姿から(家族)愛や言論の自由に対し、共感を得たのではないだろうか? そう、ソロ・デビュー作『ジョンの魂』(70年)で呈示したレノンのソウルは、今後も世代を超えて愛され続ける至宝であろう。(リッスンジャパン) 』

確かにジョン・レノンは気まぐれで愛や平和を歌ったこともあるが、別にそこが優れているわけではない。それらは単なる歌の題材にすぎないわけで、平和主義が偉いならもっと偉い人は他にいくらでもいるだろう。彼は同時に悪意と攻撃性と狂気の人でもあった。ジョン・レノンとは単に才能があって優れた音楽を作った男にすぎない。その点において偉大なのだ。彼の偉大さを説明するのにどうして音楽と関係のない「愛」だの「平和」だの「言論の自由」だのという、世間一般の正義を借りなくてはならないのか。本人が何も語れないのをいいことに、口当たりの良いフレーズで売ろうとしているのはなんとも残念だ。音楽ライターも食っていかなけらばならない以上、仕方がないのかもしれない。

雑誌にしろブログにしろ、私は好きなことを書ける立場でつくづくよかったと思う(書けないこともあるにはあるが)。

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