月別アーカイブ: 1月 2009

斉藤清の100勝に思う

女子の人気選手の影響か、全日本選手権への注目度が例年にも増して高いようで、このブログの昨日のアクセスも普段の2倍の530件にもなった。そんな中で愚劣な自主制作映画のことを書いているわけにもいかないので、卓球のことも書いてみる。

斉藤清が全日本通算100勝を上げたということで、その試合をYoutubeで見た。全日本選手権というのは、本戦に出るだけでも大変なことで、出られる人たちというのは小さい頃から卓球づけで地元では天才と言われ、ほとんど卓球で生活しているような人種たちだ。日本の卓球の競技登録人口は30万人だが、私のような登録していない競技人口を含めれば1000万人いるといわれている。その中で全日本の本戦に出られるのは男女それぞれ250人くらいだから、その割合は2万人にひとりだ。

そういう事情をよく知らない人は「たった100回勝つことがそんなに大変なのか」と思うかもしれない。しかし、全日本はトーナメントだから、一回の大会で優勝しても試合数は6回(シードから出場する場合)であることを考えると、合計で100回勝つということがどういうことなのか分かってもらえるのではないだろうか。10年連続優勝しても60勝にしかならないのだ。

斉藤清がいかに突出した選手であるかがわかるだろう。

言いたいこと

「作品を通して作者が言いたいこと」というフレーズがなぜこうも気に入らないのか考えてみたら、それには理由があったことを思い出した。

20代の頃に、手に入れた8ミリビデオカメラで映像作品を何本か作った。それをある後輩に見せたところ、ニコリともせずにずーっと見ていて、最後に「で、これ何が言いたいんですか」と言われたのだ。それでカチンときて以来、このフレーズに恨みを抱くようになったのだった。

その後輩は私の作品があまりにつまらないので、他に言うことを思いつかなかったのだ。それで言葉に窮して「何が言いたいんですか」となったのだ。私はそれが分かっているだけによけいに悔しくて根に持っているというわけだ。もちろんその後輩に罪はない。つまらない作品を30分も見せた私が悪いのだ。

伊丹十三が書いていたことだが、人は誰でも創造力よりも批判力の方が優っている。自分で作る能力よりも他人の作品を論評する能力の方が優れているのだ(山下清のような例は別として)。後輩を30分間も沈黙させてしまった私が三原監督の『燃えよピンポン』をつまらないと批判するのは、そういうわけなのだ。

セクレタンのショー卓球

昔、フランスに世界的な名選手、セクレタンというのがいた。彼が現役を引退した後、コメディのショー卓球をやっていることは、以前から映像を見る機会があって知っていた。

最近はどうしているのかと思ってYoutubeで検索してみると、なんとまだやっているようだ。http://www.youtube.com/watch?v=OUI9cyvKPGM

以前のショーはあまり面白くなかったが、この映像を見ると面白そうなので、さっそくサイトを見つけてDVDを買った。しかしやっぱりこれも面白くなかった。ギャグのネタは20年前と同じで、よぼよぼになっているセクレタンが痛々しい。

DVD収録を目的としていると思われるのに、心なしか観客も冷たい反応に見える。つまらないギャグにあからさまにムッとしているオヤジもいる。子供すら固い表情。

自分でも卓球のコメディショーをしてみたい人、卓球で生活することの苦しさを学びたいという人は、ぜひとも買ってみて欲しい。これだけけなしておいて買ってみろというのもなんだが(しかも全編フランス語だけでさっぱりわからん)。

カリスマどうしが髪カリスマ

先日、70年代の「卓球レポート」を見ていたら、珍しい写真を見つけた。卓球のカリスマどうしが髪を刈っている写真だ。

刈っているのは中国の荘則棟。61年,63年,65年と、世界選手権の男子シングルスで3回連続優勝した男だ。この男の後に、男子シングルスで三連覇した者はいない。

刈られているのは、日本の故・長谷川信彦。67年にストックホルムで世界チャンピオンになった、60~70年代の日本卓球界の支柱だ。

この両者が、どういうわけでいうことをしているのかわからないが、珍しい写真であることだけは確かだろう。もっとも、珍しいだけで誰も欲しがりはしまいが。荘則棟、長谷川の角刈りの厳しい要求に応えられたのだろうか。

黒人のヒゲ剃り

今日、同僚のグレッグと話していて、あまりに見事なヒゲの剃り具合なので「よくそんなにきっちりと剃れるもんだ」と言うと、そこからヒゲ剃りについての話になった。グレッグは「黒人がどうやってヒゲを剃るか知ってるか」と言う。

グレッグによると、黒人は皮膚の特性上、剃刀を使うと腫れあがってしまってダメなのだという。クリクリに縮れていたりすると電気剃刀も使えない。そこで、彼らは、「シェイビングパウダー」なる製品を買ってきて、それを水に溶かして顔に塗るのだという。そのまま5分ほど待つと、ヒゲが溶けるので、あとは溶けたヒゲと残ったパウダーを、スプーンの背を使ってこそげ落とすのだという。女性が足に使う脱毛クリームのようなものらしい。グレッグはこれを軍隊で同僚の黒人がやっているのを見て知ったという。朝、同僚がスプーンを頬にこすりつけているので「な、何してるんだお前?」と驚いたと言う。アメリカ人でも知らない人がいるのだ。

これは、テレビでは宣伝しないけど、黒人にとっては当たり前のことらしい。それで、そのパウダーの臭いが強く、ときどき黒人からはその臭いがするのだという。中にはそれをパウダーの臭いじゃなくて黒人そのものの臭いだと思っている人もいるかもしれない。

さっそくネットで検索してみると、確かにシェイビングパウダーというのがあり、なるほどパッケージには黒人の写真ばかりが使われている。
http://www.texasbeautysupplies.com/magic.html
ちゃんと「取るときにはスプーンの背を使うこと」と使用法を書いているサイトもあった。「Black Only」と書いてある製品もあって、なるほどと思ったが、それはパウダーの色のことだった。紛らわしいぞ。

もうひとつ知りたいことがある。黒人でも日焼けすることはあるのだろうか。「無い」という説も「有る」と言う説もどちらももっともらしい。いつかは聞いてみねばなるまい。

審判まわし

ゲストブックに卓球の審判まわし(選手ごと)の映像の紹介があった。http://jp.youtube.com/watch?v=wsZOBrbaavM&feature=related

馬琳のやる気なさが素敵だ。こういうことは私も遊びでやってみたことがあるが、あんなに連続して入れることはとてもできない。かといって、こいつら、こんなことを日ごろ練習しているはずはないから、おそらくやろうと思えばすぐにできる運動神経をもっているということなのだろう。これぐらいじゃないととても超一流にはなれないのだろう。この二人、現世界チャンピオンとオリンピックチャンピオンだからな。

ところで、日本代表選手たちもこれくらいのことは当たり前にできるのだろうか。もちろん練習の成果としてではなしに(練習すればたぶんできるだろうから)。

ウォルマート

アメリカにはウォルマート(Walmart)という便利な量販店がある。日本の家電量販店と似たようなイメージの店舗だが、大きな違いは何でもそろっていることと、24時間営業であることだ。

食料、日用雑貨はもちろんのこと、衣類、床屋、眼鏡屋、薬、車のオイル交換等までできる。さすがにすべてが24時間営業ではないが、これらが、広大な駐車場とともに、平屋の店舗で展開されているのだ。この店さえ知っていれば、とりあえず生きて行ける。ドーサンにも2店舗あるくらいだから、アメリカ中にどれだけあるかわからない。

それにしても、ここいらの客のマナーの悪さにはあきれてしまう。写真のように、マットを床にしいてそのまま放置したりは当たり前。また、CDの棚にジュースのカップが置いてあったりもする。

いつだったか、衣類のコーナーでその場でズボンを脱いで試着している客がいた。それを見た私は、それが当たり前なのだと思って、日本から出張に来ていたKさんにそれを勧めたのだった。Kさんは「郷に入れば郷に従え」とばかり、写真のジーパンコーナーでパンツ一丁になって、つぎつぎとズボンを試着したのだった。後で気づくと、近くにちゃんと日本と同じように試着室があった。たしかあれは夜中で他の客がほとんどいなかったからよかったが、昼間にやっていたらどうなっていただろうか。おどおどしながらズボンを脱ぐKさんの姿がありありと思い出される。Kさんには未だに訂正していないので「アメリカではあれが普通なんだ」と思って他人に吹聴してるかもしれない。

元旦のアクセス数

元旦のアクセス数は171件だった。仕事をしている人は少ないだろうし、帰省している人もあるだろうに、元旦からこんなに読んでくれる人がいたというのは嬉しいことだ(10件ぐらいは自分でアクセスした分だと思うが)。

昨年の元旦のアクセスは139件だったから、徐々にではあるが読者数は増加しているようだ。一年を通した傾向もそうなっている。ちなみに、8月の急増は勝手にやった北京オリンピックの実況中継のためだ。

まだまだ「卓球王国」の宣伝効果としては微々たるものしかなく恐縮ではあるが、地道に続けて行きたい。

靴を買った

正月だからと言うわけではないが、久しぶりに靴を買った。今まで履いていたものが壊れたのだ。

私は靴を買うのが嫌いだ。履き慣れたものにかなう履き心地のものは絶対にないし、いざ買うとなれば値段やデザインで迷いに迷って疲れるし、紐は通っていなくて自分で通さなくてはならないしで、本当に嫌なことばかりだ。

それでも壊れれば、新しいのを買わざるを得ない。ついこの前買ったと思っていると、もう壊れて、せっかく足になじんでトロトロのクニャクニャになっている靴を捨てて、硬くて履き心地の悪い新しいものを買わなくてはならない。

いったいどれくらいの周期で靴を買っているのか記録をしたことがなかったのだが前回「今度こそは」と買った日にデジカメで撮影をしておいた。それが今回壊れて、役目を終えた。撮影日を見ると2004年5月となってるから4年7ヶ月だ。意外と長く履いていることに驚いた。それにしたってこのペースだと20年のうちには4,5回買わなくてはならない。できることなら一生同じ靴を履いていたい。ちょっとぐらい値段が高くても良いからそういう買い方はできないものだろうか。それなら高級店へ行けばよさそうなものだが、丈夫だから高いのか、見た目にかっこいいから高いのかわからないわけで、長持ちする補償がない。何万円もしたあげくにやっぱり5年で壊れたというのではたまらない。どこかに「普通に履けば20年もつ」という折り紙つきの靴はないものだろうか。

一時期、これとは間逆の考え方で「何も考えずに極安の粗悪品を頻繁に買う方がコスト的に得かもしれない」という甘い誘惑に誘われて390円の靴を買ったことがあるが、形と素材が恐ろしく悪くて、履いて1日めでくるぶしの皮が向けて足首が血だらけになり、即、捨てたことがあった。靴に限らず、安すぎるものは使えない場合が多く、ほとんどの場合は間違った考えであることが今では分かっている。

さて、今日買った70ドルの靴、いったい何年もつだろうか。見たところ、やっぱり前の靴の方がいいと思うのだが(新しいのを買うたびに毎回こう思う)。

映画『バックダンサーズ!』

会社に誰かがおいていった『バックダンサーズ!』という映画のDVDを見た。

2006年の日本映画で、まあまあ面白かった。登場人物の演技で気になるところはなかったし、話も面白いし役者も魅力があった。

ただ、実は私は本来この映画を論じる資格がないのだ。それは、踊りが大嫌いだということだ。

小学校の運動会で、毎年「胆沢町音頭」という盆踊りを全員で浴衣姿でやらされたのだが、嫌で嫌で仕方がなかった。正確にはそれほど嫌なわけではないが、「面白くない」だけであり、他の面白くないことと同じように、それに時間を費やすのが嫌だったという意味だ。

逆に私の母は踊りが好きで、「何が面白いのか」と聞くと「音楽に合わせて体を動かすのが楽しい」と言う。母は運動会で私の盆踊りを見て「ロボットみたいだ」と言った。

大学生になったときには、なにか良いことがあるかと思ってディスコに行ったりもしたが、泣きたくなるくらい面白くなかった。踊りも酒も嫌いなのだから当たり前だ。もちろん良いことなどひとつもない。トイレの便器に敷き詰めてあった氷を小便で溶かすのが面白かったぐらいが収穫だ(女子トイレの便器にも氷、敷き詰めてあるんだろうか)。

そんなわけで、私はあらゆる映画の中でミュージカルほど嫌いなものはない。いきなり登場人物が歌いだしてそれが徐々に大人数になって画面いっぱいに広がるなどもってのほかだ。ビデオではそういう場面はどんどん早まわしにして、あっという間に映画は終わってしまう。人が踊るということに何の楽しさも感じないのだから仕方がない。おまけに歌でセリフを言われたりすると意味がわからなくなる。長々と歌って物語の進行を滞らせている役者を見ていると憎しみすら沸いてくる。

また、時代劇や現代劇の高級料亭シーンなどで宴会で芸者を躍らせてみんながいかにも楽しそうにしている場面が出てくると「こいつら、こんなことの何が楽しいんだ?」と強く思ってしまって、ストーリーに入り込むことの妨げになるほどだ。

そういう私が、ステージのバックで踊る少女たちの青春を描いた映画『バックダンサーズ!』を、まあまあだと思ったのだから、もしかするとこれは普通の人にとってはかなり面白い映画なのではないだろうか。調べてみたら、これはテレビドラマ「東京ラブストーリー」「ロングバケーション」など、名だたるヒット作を監督した永山耕三という人の初映画作品で、面白いのも当然であった(しかしやはりダンスのシーンは飛ばさせていただいた)。映画の中で、行き詰った主人公が「ダンサーなんかやっていて何になるんだろ」と自問するところで「そりゃそうだ。バカバカしいから早く止めた方がいい!」と激しく同意してしまった自分が我ながら可笑しかった。私はこの映画内の価値観を根本的に否定している間違った観客なのだ。

これほど踊りが嫌いな私は、異常なのだろうか、それとも同好の人はけっこういるのだろうか。

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