先日、『刑事コロンボ』の「指輪の爪あと」を見ていて、そういえば私の婚約指輪はどこにいったのだろうかと思った。どこかにしまっていたはずなのだが、妻に聞くと「知らない」という。指輪などどうでもいいが、せっかく何万円か出して買ったものをなくしたのはなんとも悔しい(といっても2万円くらいのものだが)。
指輪をしなかったのは力を入れて物を持つときに当たると痛いこともあるが、東北の百姓の息子である私が結婚するからといって急に人が変わったように、こともあろうに指輪なんぞというそれまでの美意識になじまないものをつけるというのが嫌だったからだ。だいたい、指輪など単なる指輪屋の策略に過ぎないのであって「結婚指輪は給料の何倍」などという物言いも不愉快きわまりない。こういう何の根拠もない習慣にはぜひとも逆らいたい。
結局買ってしまったのだから策略には乗ってしまったわけだが、つくづく買わなければよかった。
そのあたりのことがわからない人たちからは新婚の頃「独身のふりをしようとして指輪しないんだろ」などと言われ、その救いがたい低俗さに腹を立てたものだ。
妻に聞いてみると私は当時「指輪をしないのは、卓球のボールを持ったときに当たってカチッと音がするのが嫌だから」と言っていたそうだ。ぜんぜん覚えていないが、自分のことながらナルホドと思った。
そういえば、卓球選手は指輪をしている率は少ないのではないだろうか。いつかこれで原稿を一本書いてやろう。