年別アーカイブ: 2009

言ってる意味わかります?

仕事で若い世代と話しているときに、悪気がないとわかっていても言われると内心腹が立つ言い回しがある。「言ってる意味わかります?」だ。10歳以上も年下の後輩たちが言うのだから、失礼のつもりはないはずだし、おそらく自分の説明が十分か不安になってこう言うのだろうと思うが、この表現ではどう聞いてもこちらの理解力を問われているようにしか聞こえない。

「要領をえない言い方をしておいて『意味わかりますか』とはどういうことだ?」と思うのは私だけだろうか。

ところがこれ、英語では実によく使う。Do you understand?としょっちゅう会話に挟み込むのだ。異人種国家ならではの表現なのだろうが、それとは関係なく、私は英語がわからないことがしょっちゅうなのでこう聞かれてもしかたがない。

あるとき、マークという年配のおじさんがネロネロと訛った英語で私に説明をはじめ、とちゅうで聞くのをあきらめて生返事をしはじめたところ、隣で聞いていたマイクがニヤニヤしだした。あとで「なんで笑ってた?」と聞くと、ものすご~くゆっくりと”YOU DO NOT KNOW WHAT HE SAYS”(彼が言っていることわかってないだろ)と言った。クソ、見抜かれてたか。とはいえ、こういうときはunderstandのかわりに簡単にknowでよいことがわかり勉強になった。

大くしゃみ

ときどき、とてつもなく大きな声を出してくしゃみをする人がいる。親戚にひとりいてとても印象深かったが、その後、学校や会社で見かけ、世の中にはある確率でそういう人がいることがわかった。アメリカに来てからは、今一緒の部屋で仕事をしているアメリカ人がそうだ。

アメリカ人はくしゃみをするといちいちexcuse meと言って謝り、周りの人はGod bless you(神のご加護を)と言っていたわり、くしゃみをした人がthank youという。この一連のやりとりが実にめんどくさくて、私はやらないようにしている。

ともあれ、アメリカ人はくしゃみをしただけで周りの人に謝るのだが、さすがに上記の大声でくしゃみをする人は全然excuse meとは言わないし、周りの人も笑うだけであきれている。なにしろ静かな部屋で突然、ほぼ絶叫状態でくしゃみをするのでみんな一様に驚くのだ。驚かされるので内心は腹が立っているに違いない。私も実は不愉快に思っている。

以前、日本にいたときの上司がこのレベルの絶叫くしゃみをする人だった。あるとき、装置に問題があってメーカーの人を呼んで深夜までかかって装置を直していたことがある。夜11時頃になるとまわりは誰もいなくなって私とその上司とメーカーの技術者の3人だけになり、装置の発する機械音だけが静かに鳴っていた。と、その上司がくしゃみをしそうな顔になった。わたしは「まずい」と思ったがときは遅く、「ハエーックショーーイ」と怒鳴り散らすようなくしゃみをした。装置の摘みを回していたメーカーの人は腰を抜かさんばかりに驚いて全身をちぢ込ませて床にしゃがみこんでしまった。心臓が弱い人ならショックで死んでも不思議はなさそうな状況だった。

どうも本人は、自分のくしゃみがどれだけ異常なのかわかっていないようである。「くしゃみをする瞬間、鼓膜が開いたりして聴覚が麻痺して自分では聞こえないようになっているのではないか」という仮説を同僚と話し合ったものだ。

同じ上司があるとき、社外に電話をかけ始めた。なかなか相手が出ないらしく、ダイヤルしたまましばらく受話器を耳に当てて待っている。そのうちに例のくしゃみをしてしまい、直後に「失礼。○○の△△と申しますが・・」と続けたのだ。電話に出た途端にバカくしゃみを聞かされた相手はどう思っただろうか。

なお、女性でこのようなくしゃみをする人はひとりも知らない。遺伝子のためなのか自分で矯正するためなのかは興味深いところだ。

コカコーラゼロ

ダイエットを始めてから、飲料はカロリーのないものを飲むことにしている。それまではダイエットコークなどまずくて飲めないと決めてかかっていたのだが、ないよりはマシである。

それで気になり始めたのが、コカコーラゼロという商品だ。ゼロというからにはカロリーがゼロなのだろうが、実はダイエットコークももともとカロリーはゼロなのだ。違いがわからない。ヒントとして、コカコーラゼロにはreal tasteと書いてある。つまり、砂糖を使っていないのに砂糖を使ったものと同じように上手いという意味なのだろう。

どうにもモヤモヤしていたので、ネットで調べてみたらたちどころにわかった。ダイエットコークが女性用に開発されたのに対して、ゼロは男性用に甘みを抑えて炭酸を強くしたものなのだそうだ。それならそう書いてくれればとても納得する。「リアルテイスト」だの「美味しくなって新発売」だの意味のわからない宣伝は止めて欲しいものだ。こういう宣伝を見たときは「何も変わってないに違いない」と思うことにしているので、少なくとも私に対しては逆効果だ。

で、ゼロは結構上手いと思って気に入っているので、今はゼロだけを買うことにしている。なお、同じくダイエット中のデビッドは、ゼロはまずくて飲めないのでダイエットコークだけにしているという。

お爺さんとの会話

ウォルマートの床屋で順番待ちしているときに、隣に座ったお爺さんと話した。なんと90歳のおじいさんで、床屋の前のベンチに座っているからてっきり床屋の順番待ちだと思っていたら、奥さんが買い物を終わるまで休んで待っているだけだという。

日本から来たというと、次に歳を聞かれた。答えるとしばらく考えてから「じゃ、戦争が終わったときのことは覚えてるな?」という。まさかと思いながら「日本とアメリカの戦争のことですか?」というと「そうだ」という。とほほ。私が生まれる20年前の話じゃないかよ。もう90歳なのでその辺はどうでもいいのだろう。

普通、会社の外でのアメリカ人の英語は早くてほとんど聞き取れないのだが、この人の英語は完全にわかった。どうしてかと考えると、90歳なので異常にゆっくり話すのだ。しかも耳が聞こえないので大声だ(周りの人に見られて恥ずかしかった)。終戦時にはニューヨークの部隊にいたというだけあって、南部訛りもなく聞きやすかった。ドイツか日本に行きたかったが終戦になって行けなかったと残念がっていた。どちらも当時のアメリカにとって『悪の枢軸国』だ。やっぱり退治しに行きたかったのだろうか。

年寄りにあまり話し相手がいないのはどこも同じらしく、私相手に喜んでいろいろと話してくれた。「俺の名前はフランク・マネーというんだ。Moneyのマネーだ。覚えておいてくれ。」と言われたので「OK、フランク・キャッシュ」と私のイメージするアメリカ風ジョークをとばしてやった。

ケネディ宇宙センター

先日、車で6時間ほどかけて、フロリダ州のケネディ宇宙センターを見物してきた。偶然にも若田さんを打ち上げたスペースシャトルが帰還した日だったが、それは見なかった。

かなり広い敷地で、バスツアーに入ってあちこちを見て説明を受けたのだが、例によって英語があまりよくわからない。

唯一はっきり分かったのは、ロケットを打ち上げるときの騒音がとても大きいことを説明したところだ。ロックコンサートでもっとも大きな音を出した記録は、1960年代のイギリスのロックバンド「ザ・フー」の129dBでギネスブックに載っているが、ロケットの打ち上げの騒音はその16倍にもなるという。こんなことだけよく分かってもしょうがないんだが。しかしちょっと嬉しい。

広大な敷地内の川にはワニがあちこちにいて、バスガイドの男がそのたびにバスをとめて客に見るように勧めていた。研究者がときどきワニに食われるというようなジョークを盛んに話していたが、客はあまり笑わなかった。このバスガイド、自分のジョークにひとりで大笑いしているのだが、どれもこれもイマイチな様子が客の反応から見て取れる。

せっかくケネディ宇宙センターにアメリカ中から見物に来ているというのに、ワニの話をああもしつこくされたのでは客もたまったものではあるまい。あとで以前行ったことのある人にきくと、そのときもガイドはワニだの鷹の巣だのをさかんに説明していたと言う。たぶんこのガイド、ロケットに興味がないんだと思われる。

不思議なくらい何も思いつかない

小説かドラマの脚本を書いてみようと案を練っているが、不思議なくらい何も思いつかない。練る案もない。いつも本を読んだりドラマや映画を見ては分析したりしているのに、自分で何か考えるとなると全然ダメだ。頭の中はまったくもぬけのカラだ。考え始めるとどうしてもすでにある話になったり、自分の意見を考えてしまう。根も葉もないことを考えるとはこれほどまでに難しいものなのか。それとも、フィクションを作ることのできる人はある特性があって、私のような批評家タイプはそれはできないことになっているのだろうか。

雑誌のコラムではある程度の読者を得ている私が、フィクションは一行も書けないなんてことは納得がいかない。

話を作るためには、登場人物が何かで困らなくてはいけない。困らないところにストーリーはない。病気で困れば医者の話だし、犯罪で困るのが刑事ものだし、片想いで困るのが恋愛ドラマだし、地位で困れば出世ものだし、金で困るのがサラ金ものだ(めったにないが)。

あとは、キャラクター主導なのかストーリー主導なのかがある。特徴的なヤツを主人公にしてその特徴をもとに話を転がすのか、環境を異常にして普通の主人公を転がすのかだ。いずれにしても何一つ思いつかない。これまで、こんなことを考えようとしたこともないので無理もないが、もうしばらく考えてみようと思う。

たぶん、書ける人というのは、こんな分析的なことなどしなくても、子供の頃からどんどん空想して話が湧き出てくるんだろう。私はそれがないので、上のように理詰めで要素を組み合わせて無理やり作るアプローチしかない。それにしても悔しい。

学校から帰ってきた息子が「まだ不思議なくらい何も思いつかないの?」と言う。うるせえよ。

悔しいこと

本を読んでいて、最後の方のページになって、海老せんべいの海老のように丸まって平らになっているしおりの紐を発見したとき。

「私」と「あなた」

さて、妻の呼び方などよりもっと根本的な問題に移ろう。もっとも基本的な人称代名詞、自分自身の呼び方だ。私は普段、自分のことを「俺」と言う。大学時代の一時期、「僕」と言っていたような気もするが定かではない。

会社に入って上司と話すときに困ったのが、自分のことをどう言ったらよいかだ。「俺」では粗野な感じがするし、「僕」ではなんとなく幼いような、あるいは東北人の私からすると気取ったような感じが自分でする(今の50代は意外にも「僕」がポピュラーなようだ)。「私」も、学生時代までは「私」を使うのは女性だけだったので抵抗があったが、結局、無理して使うようにして今では慣れた。文章もこれで書いている。今の若者に流行っているのは「自分」だが、これもなんとなく客観的あるいは体育会系の色を持っている。

英語ではどんなときでも「I」で済むのに、日本語では何の色も感じさせない無機的な一人称が存在しないのだ。日本文化は、常に他社との関係を強く意識する中で成立してきたものだからだろうか。

さて、実はもっとこまるのが二人称、つまり「You」に相当する日本語だ。これも無機的な表現が存在しないのだ。たとえば会社の同僚と話すとしよう。「あなた」と言ったらちょっと失礼な感じがする。かといって「あなた様」ではへりくだりすぎ。もちろん「お前」はもっと失礼だ。「お宅」などと住居を引き合いに出すのも変だ。「君」も失礼、「お手前」は古い。「そちらさん」なんて言ったら気が狂ったかと思われる。「ユー」も同様。

恐るべきことに、ごく普通にYouに相当することを言えないのだ。で、多くの人は目の前の相手に向かって「宮根さんは明日どうするんですか?」などと名前を言うことになる。困るのが相手の名前を知らないときだ。なるべく主語を使わないように話しすしかないが、どうしても必要な場合には「えーと、あの、そ、そちらさんの・・」などと言うしかない。名前を聞く場合にはもちろん「お名前は・・」と主語を省いて話す。

こういう言語は他にもあるのだろうか。「日本語では普通の相手に使えるYouに相当する単語がない」と言ったら、アメリカ人は信じてくれるだろうか。「信じられない。お前ら、いったい二千年も何やってきたんだ?」とでも言われそうだ。

それにしても何故なんだろう。

奥さん

身内の呼び方で気になるのは「奥さん」だ。「奥さん」は「お子さん」と同じく尊敬語だ。自分の子供のことを「うちのお子さんは」と言ったらおかしいのと同じく「うちの奥さん」「うちの旦那さん」と他人に言うのはおかしい。

もっとも、そう言いたくなる気持ちはわかる。他にしっくりくる言葉がないからだ。以下に妻と夫を表す言葉をあげてみる。

妻-夫
家内-主人
奥さん-旦那さん
女房-亭主
嫁-婿
カミさん-ごくつぶし?
かあちゃん-とうちゃん
うちの人-うちのヤツ

私も結婚したばかりのころ、正しくは「妻」だとわかっていても、使い慣れていないしかしこまった感じがしてとても言いにくかった。「女房」や「カミさん」は年寄りっぽいし、共働きなのに「家内」は事実と異なるし、子供もいないうちから「かあちゃん」もおかしい。「うちの」だと、名称をはっきり言えない不快感にとらわれる。

あまりに考えすぎてついには「配偶者」などと口走って奇人扱いされたりした。一度、「嫁」と言ったら「両親と同居してるんですか」と言われた。これは20年前の話だが、今では「嫁」は結構使っている人がいるようで、それほど違和感がないかなと思う。ある時期は一般名詞ではなくて妻の名前を使っていたこともあるが、なんだか知りたくもない人に名前を宣伝しているような気まずさに耐えられず途中で止めた。結局、不本意ながら「うちの」と口ごもっていたような気がする。こんなことでモヤモヤした気持ちになるのが、なんとも不愉快だった。

今は歳もとったしすっかり慣れたので、眉ひとつ動かさずに「妻」と言っている。なお、私の妻を「おまえんとこの妻」と言う知人がひとりだけいるが、わざと失礼を意図してのことに違いない。そういう人なのだ。

用具マニア杉浦くんの学校の先輩だか助手だかに「奥」という名字の人がいて、当然ながらいつもみんなに「奥さん」と言われている。一生に何度それをネタにされるのだろうか。