月別アーカイブ: 9月 2010

創価学会ドーサン支部

妻の知人に家具を安く譲ったのだが、そのついでに彼女がやっている創価学会のドーサン支部に誘われたので行ってきた。強烈なクリスチャンが99%以上のこのドーサンで創価学会をやっている人たちとはいったいどんな人たちなのか、以前から興味があったのでちょうど良い機会であった。アメリカの創価学会は日本でほど熱心に勧誘をしないらしいのだが、あるとき、大手スーパーのウォルマートの駐車場で勧誘を始めて店の人に止めさせられた人がいるという。これほど強固なバイブルベルト地帯で勧誘するなんて、勇気があるというか無謀というか、さすがである。

会合場所は毎回、会員が交代で提供するらしいのだが、今日は、町の中心部で針治療業をしている人のオフィスが会場だった。

今日来たのはいつもより少なく写真に写っている12人だが、会員は23人いるという。
・・・ドーサンの卓球人口より多いじゃないか。多いどころか3倍以上である。これは悔しい。宗教と争ってもしかたがないが、卓球は私の宗教みたいなものだから、どうしても比較してしまう。

会の始めに全員で5分ぐらい「ナンミョーホーレンゲーキョー」とやるのだが、人によって声の音程が違うので、それがなんともいえないハーモニーとなり、さらにそれぞれに異なる息継ぎの周期が干渉し合って全体の音量がうねり、数少ない男性の低音の長い周期が、まるでロックバンドのベースのようなグルーブ感を醸し出しており、信じている人にとっては麻薬のように気持ちが良いものと想像された。

途中「ご本尊様の製造方法」と「お経が人間の運命を変えるメカニズム」について質問をし、有意義なディスカッションをさせていただいた。なお、ご本尊様の撮影だけはまずいということで、叶わなかった。

こうしてドーサン最後の日曜日は有意義に過ぎたのだった。

ラーメン屋店員

今回は私を含めて4人が一気に帰任するので、記念に日本人家族だけでボーリング大会を行った。

誰かがドーナッツ店の帽子を持ってきたのでかぶってみると、たまたま髪を切ったこともあって「ラーメン屋の店員のようだ」と面白がられた。

自分ではわからなかったが、ホテルに帰って写真をとってみると、なるほどラーメン屋みたいだ。

デビッドの庭の家

何年か前にも紹介したが、デビッドが庭に建てている小さな家がまだ完成を見ない。
エアコンも照明もつけたそうだが、細かな外装がまだだという。

とはいえ、私ももう帰国なので最後に記念撮影をさせてもらった。

ペーパー・フットボール

私が帰国のために、会社から卓球台を引き上げると、いつも昼休みに卓球をやっていたメンバーが、こんどは机の上で紙片を指で弾き合う遊びを始めた。

「ペーパー・フットボール」といって、アメリカでは学校などあらゆるところでやられるポピュラーな遊びだという。

ルールは簡単で、紙を三角形に折った「ボール」を交替で指で弾き合い、ボールの一部が相手のテーブルの端から出た状態で止まれば「タッチダウン」で6点もらえるという。いきすぎてテーブルから落ちれば逆に相手に点が入る。点が入ると今度は相手が空中に指で作ったゴールに「キック」する権利が与えられ、成功するとさらに1点入るのだという。

なかなか面白そうだが、二人の試合を見る限りでは、どちらもタッチダウンすることはほとんどなく、お互いにボールを強く弾きすぎて台から落ちることで点のやりとりをしていた。だから、タッチダウンすることはあえて狙わず、相手が失敗して落ちることだけを待つようにすれば確実に勝てるように思われる。もっとも、それで勝っても面白くはないだろうが。

だまし絵の男

ちょっと前だが、日本で職場が一緒だった同僚が、こちらの会社に出張に来た。

彼は、私とは別のアメリカ国内に赴任中だ。
記念に、ドーサンで一番ステーキが美味いといわれる店でステーキを食べた。

あえて理由は書かぬが、私は彼を見るたびに、どうしても顔を上下にひっくり返してみたい欲望にかられる。それで、日本にいたときに実際に写真をひっくり返して加工したりしてみたのだが、どうも絵のようにはいかず、どれもこれもグロテスクになるばかりで全然笑えないのだった。

もういっちょ

それにしてもカラフルで楽しいなあ。
なんだかよくわからないラバーが沢山あるのだが、見て嬉しくなっている人もいるだろう。

ピータースのラバーコレクション

以前ピータースの家に行ったときに撮影してアップし忘れていた写真があった。

壁やら天井にラバーのパッケージが貼られているのだが、それがなかなか壮観で、卓球好きは見ているだけで楽しくなってくると思うので載せておく。

キャンプと星空、そして死後の世界

夜はスタンの家の裏庭で焚き火をした。

スタンに誘われて腰掛台に寝そべって夜空を眺めた。田舎なので町の明かりがほとんどなく、異様に綺麗に星が見える。

スタンは「この宇宙に人間だけしかいないとは考えられない」などと語った。そのうち話は創造主の話になり、人間が死んだらどうなるかという話になった。
スタンは強烈に熱心なクリスチャンで、いつも隙を見ては神様のありがたさを我々に説こうとするのだ。妻である郁美さんもその話だけはシャットアウトで全然興味がないらしいのだが、スタンは別に不機嫌にもならず、淡々と自説を述べる。

私の考えは、人間の心は複雑なコンピューターと同じで単なる電気回路であり、魂などなく死後の世界もないというものだ。人間にとって精神活動があまりに重要なため、あたかもそれが宇宙の普遍的な存在のような気がする錯覚なのだ。この世に魂が存在すると思うのは、動物や鉱物にも言葉が通じると思うようなものだ。現実は、動物どころか外国人にさえ通じないというのに。

翌日も夕方まで卓球をして、別れを惜しんだ。

スタンの練習メニューメモ

指導書の最後の方に、なにやら異様な書き込みのメモがはさまっていた。

スタンが考えた練習メニューだという。誰のためということもなく、メモして見ただけだということだが、それが150パターンもあるのだから常軌を逸している。

そんなに卓球が好きなのか。

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