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悪口

先に、面と向かって「変わってる」と言われるので多分悪口ではないんだろうと書いたが、悪口というものについては、面白い考察がある。

他人の悪口というものはよく言うものだが、男と女ではひとつ明確な違いがある。それは、誰かが他人の悪口を言ったのを聞いたときに、それを悪口を言われた本人に伝えるかどうかだ。そういうことをする男は、今までの人生でたった一人しか見たことがない。まず、悪口を言う人は本人に伝えられる前提では話していないので、伝えたりしたら悪口を言った人に対する裏切り行為になるので、その人からの信頼を失う。また、伝えられた人にしてみても、悪口を言った人よりもむしろそれを伝えた人の道義心のなさにあきれ果てることだろう。こう考えると、本人に伝えるメリットなどどこにもないし、あり得ないことのように思える。これが私の感覚だし、多くの男性はそうだろう。

ところが、妻と結婚してしばらくして知ったのは、女性同士の間では、恐ろしいことにこれが当たり前のように行われているというのだ。どういうつもりで伝えるのか聞くと「あの人はあなたのことをこう言っていた。あの人には気をつけたほうがいい。私はあなたの味方だから教えてやっているんだ」というニュアンスらしい(もし男がこんなことを言われたら、気をつけなくてはならないのは目の前のその人だと誰でも思うだろう)。またあるときは、そういう建前のもとに実は本当は自分も悪口を言った人と同じ考えで、その人をいじめる意図の場合もあるという。また、悪口を言った人も、本人に伝わることをある程度想定してイジワルで言っているという。まあ、自分も伝えることがあるんだから当然だわな。しかも一見仲のよさそうな人同士もお互いに影で悪口を言い合うので、いったい、誰と誰が本当の見方で敵なのか入り乱れていてまったくわけがわからないのだそうだ。

これほどまでに男と女は違うものかと愕然としたものだった。

「変わってる」話

日本にいたときに聞いた話だが、アメリカ人は自分が他人と違うと思いたがるというのがある。日本人なら、美形の映画俳優や女優に似ていると言われれば誉められたと思って喜ぶが、アメリカ人は「自分が似てるんじゃない。その俳優が自分に似てるんだ」と言うという具合だ。

こちらでアメリカ人と話してみると、たしかにそういう傾向はある。先日、マリアンのボーリングの投げる格好を真似たところ「ありがとう」と言われた。私は戸惑って「どうしてありがとうなんだ」と聞くと、「真似されるということは私が特別な何かを持ってるということだからだ」という。「格好悪いところを真似してもか」というと「良いか悪いかに関係なく、とにかく自分が他の人と違うことが大事なんだ」という。

そういえば他のアメリカ人にアメリカ人の習慣について聞いたときに「自分は普通のアメリカ人じゃないから多分参考にならないと思うよ」と何人もから聞いた。普通のアメリカ人がどこにもいないのだ。なんと不思議な話だろうか(笑)。誰もが自分は変わり者だと思いたがっているのだ。これは小さい頃から学校などでそのように教えられているからだろう。子供たちの学校での様子を聞くと確かにそういうことを吹き込まれているらしい。

日本人が小さい頃から「みんなにどう思われるかわからない」などと言って他人の目を気にするように教育されるのとは正反対だ。

私もそのように育ったはずだが、なぜかアメリカ人と同様、小さい頃から他人と違う変わり者であると思われることが嬉しかった。いつも母親が「変わり者だなお前は」と嬉しそうに言っていたからのような気もするし、偉人の天才たちが変わり者が多く、そういう人たちに憧れてそう思うようになったような気もする。

それで、常になるべく変わり者だと思われるようなことを言ったりやったりするので、みんなからは目論見どおりに「変わってる」と言われている。しかし私は不当に高い評価をされるのは居心地が悪いので、正直に「これはわざとやっているので、本当は全然変わり者ではないんだ」と説明している。ところが他の人たちは自分が変わり者だと思われるのが嫌なもんだから私が変わり者だと思われるのが嫌で抗弁をしているようにとられるのだ。「俺は自分が本当に変わり者だったらどんなにいいかしれないが、残念ながら普通なんだ」と言っても「ウソつけ、お前は変わり者だ」と言われるのだ。なんとかならないもんだろうかこのねじれた会話を。

それで、あるとき「変わり者だと思われたいと思ってる時点で十分変わり者だ」と言われたので、それもそうだと納得して嬉しくなったものだった。しかしここアメリカではどいつもこいつも変わり者だと思われたがっているので、その点ではたちまち私はその他大勢に埋没してしまい、がっかりである。

ところで「変わってる」といえば、会社に入ってしばらくすると、ある人たちが、自分の嫌いな人のことを「変わってる」と悪口として言うことを発見して非常に面白く感じた。「嫌いだ」とはっきり言うのが嫌なもんだから、表向きは良し悪しを避けて「変わってる」と表現して暗に非難するのだ。面白い言い方があるものだと思う。もちろんこれは、本来の意味の「変わり者」を描写するときとは違う。だいたいそういうときは声のトーンを落として冷笑する感じで言うのでわかるのだ。

さすがの私も他人から嫌われたいとは全然思っていないが、私の場合は面と向かって「変わってる」と言われるのでたぶん悪口の意味ではないんだろうと思う。

「変わってる」といえば、私の実家のあたりでは、食べ物が腐りかけた状態のことを「変わる」と言う。冷蔵庫に長い間入れておいた牛乳の臭いを嗅いで「ダメだ、変わってる」という具合だ。さて、これは標準語の用法だろうか。

体重何キロや?

最近ある日本人から「アメリカでは日本と違って女性に年齢を聞くのは全然問題ないらしい」という話を聞いた。

それで、ボーリングのときに同僚のマリアンに聞いてみた。彼女の答えは「聞かれる人の性格と年齢による」とのことだ。年配の人ほど聞かれるのを嫌がる傾向にあるという。まあ、年配の女性に聞いてもよい場合がある分だけ、日本よりはオープンだと言えるだろう。それどころかマリアンによれば、体重を聞く人も普通にいるという。「How much weight?」と当たり前のように聞くのだという。

どこかに運ぶとか輸送するならともかく、そんなことを聞いてどうするのかと笑ったが、マリアンによれば、太り具合を数字で聞くことでその人を型にはめ、ある評価をしようとしているのではないかという。

こういうことをもっともづけづけと誰にでも聞くのがリックという同僚で「彼からアドバイスをもらうと何を聞いても”それは問題ない”という答えしか返ってはこないはずだからあてにしない方がいい」と言われた。

店員の怪訝な顔

グレッグが面白いCMの映像を紹介してくれた。

http://www.youtube.com/watch?v=Z0JfbRENFHg

この作品の意図とはまったく関係ないが、こちらで家族でレストランに行くと、言いたいことが伝わらず、よく店員にこういう怪訝そうな顔をされたものだった。面白いと同時に、そのときの気まずい気分を思い出させてくれる映像だ。

それにしてもこの映像、ぜんぜんハンバーガーの宣伝になってないと思うのだが。

ひどいボーリング

会社を辞める人がいるので、送別ボーリングをした。

淳くんが私のフォームが変すぎるというので、動画を撮影してもらったが、確かにおかしい。だいたい、足取りがジグザグである。ボールが重過ぎるためなのだが、指が入るもので軽いものがないのだからどうしようもない。

フリーハンドの指も指摘された通りに反っている。

これを見て反省をし、次からは助走をつけずにフィニッシュの格好をして構えてその姿勢から投げることにした。これが功を奏し、3連続ストライクをとったりして1ゲーム目は自己最高の143点に迫る141点を取った。その後、ビールを飲んで2ゲームを続けたら80点と90点だった。ふん。

トヨタのセールスマン

車を売るために近くのトヨタに行った。

そこのアメリカ人のセールスマンとしばらく話した。例の不具合問題について、事故報告があった54件だかのうち、運転者の操作ミスと、カーペットがひっかかったのが原因のほとんどで、1件が訴訟して金を得ようとしての狂言で、プログラムのミスは未だに発見されていないと言っていた。スラスラといかにもマニュアル化された言い方だった。

その人は、トヨタだけではなくてとにかく何でも日本製が一番品質がいいんだと言っていた。車はトヨタ、テレビはソニーが一番だと力説していた。私がわざとアメリカのゼネラルモータースやシボレーはどうだというと、そんなのは糞だと言っていた。日本の製品の品質の高さを讃えられて誇らしい気持ちになった。

その人は、もとは軍隊にいて、ドイツに行ったことがあるが、本当は日本を希望していて行けなかったという。叶うかどうかは保障されていないが、希望は出せるようになっているらしい。どの国が一番人気なのか聞くと日本だという。文化がおもしろいし女性が素敵だからだという。

かなり多くのアメリカ人から「日本人女性は良い」と言う話を聞く。私もそうは思うが、「表向きはね」と一応謙遜することにしている。他人のことを謙遜するというのも妙な話だが。

361グラム

ロジャーのラケットの重さを計ってみたら361グラムだった。通常のラケットの2倍以上だ。たぶんバタフライの素振り用ラケット「スブリィ」より重い・・・。

どおりで手首が痛くてカットサーブも出せないわけだ。

こんなのを使って「強くなった」って言われてるんだからどういう試合よ一体。

家の売り出し

帰任するに当たって、不動産屋を通して家を売りに出している。

家の前に売り出し中の立て札を立て、プラスチックの筒にチラシを入れてある。チラシには薄い鉛筆でこっそりと通し番号を書いておいたので、何枚なくなっているか分かるのだ。日に日にチラシは減っており、もう14枚もなくなったのに、依然として値段交渉どころか誰も見学に来もしない。

同僚の話によれば、それは同じ団地の住人たちが自分の家の価値を知りたくて持って行っているのだろうとのこと。こっちはいつ見学に来られても良いように、毎週芝生を刈り掃除をして家を綺麗に保っているというのに、なんとさもしい奴らだ。

どこにも売れなければ、最後には会社が安い金額で買ってくれるので大損害というわけではないが、高く売れるに越したことはない。今日もチラシを誰か持っていかないかと家の中からチラチラと監視している(これがダメなのか)。

ロジャーのラケット

一方、職場での昼休み卓球は相変わらず盛況だ。

いつもラバーがツルツルの古いラケットを使っていたロジャーが、どっかから見つけてきたゴムを貼ってきた。

「ルール違反かどうか見てくれ」というのだが、どうにもこうにも話にならない。

なにしろ「4mm以上の厚み」の「ツブのない」「茶色」のシートを「工業用ボンド」で「元のラバーの上から重ねて」貼っているのだ。ルール違反かどうか判定するのもバカバカしい。球突きをしてみると腕が折れるかと思うほど重く、まったく弾まなくてしかも回転もかからない(アンチと表の中間ぐらい)。

面白いのは、これを使い始めてからロジャーは強くなったというのだ。確かに試合を見ると、今まで負けていた人に勝っていた。卓球の多様性と複雑さの神秘だ。卓球は面白い。

チャックの腕

久しぶりにドーサンの卓球クラブの面々と練習をした。

ウォレン、チャック、キースだ。

相変わらずチャックの腕は凄い。これでもトレーニングをしてないので筋肉が落ちていると言っていた。だいたい、こんな腕のやつが卓球をするというのがおかしい(しかもバック面ツブ高の変則)。