年別アーカイブ: 2011

水谷の偉業

水谷の世界ランクが6位になった。たいしたものだ。メダルを取れなかったことを嘆く人もいるだろうが、世界選手権の男子シングルスでベスト8に入ったというのはもの凄いことなのだ。帰化選手である吉田を除くと、日本生まれの日本人が世界選手権の男子シングルスでベスト8に入ったのは、1985年エーテボリ大会の宮崎義仁までさかのぼらなくてはならない。実に26年ぶりの偉業なのだ。そしてもちろんこの成果は、世界選手権だけではなく、年間を通した大会での活躍で世界ランキングを上げ、有利なシードをもらったことなどを積み重ねた成果なのだ。

その上での世界ランク6位だ。日本男子が世界ランク6位以上だったのは、1983年の斎藤清の5位までさかのぼる。この斎藤と先の宮崎を除くと、1984年から2008年までの25年間、世界ランク20位以内に入った日本生まれの日本選手は一人もいないのだ(各年末時)。

水谷の偉大さを讃えるとともに、これだけの競技人口と熱心な指導者がいるにもかかわらず、この成績だということは、日本の卓球にはよっぽど大きな欠陥があるものと思われる。

とりあえず水谷のことが携帯のニュースで取り上げられたので嬉しかった。

仮設住宅

町内の家の前の通りに公園があるのだが、そこに仮設住宅が出来始めた。

連休中も休み無しでずっと工事をしていた。震災前はこんなところに仮設住宅が作られるとは想像もできなかった。

藤原くんのチャオズ

昨日、例のアルマジロを描いた藤原くんが「あんなに自分の絵をブログに載せるなら著作権料をもらわないと」などと言ってきたので、著作権料を払わないかわりに彼の最高傑作を再び載せることにした。

宴会のゲームで「ドラゴンボールに出てくるチャオズというキャラクターを描け」というのが問題だったのだが「チャオズなら知ってます」と言って藤原くんが描いたのが下の絵だ。

巣晴らしすぎる。なお、右は本物のチャオズだ。

熱いお便り2

卓球レポートの蔵書を見ていたら、なんと田村氏、ボルの他にも似顔絵を描いて投稿しているではないか(この他にメイスもあった)。ボルを神と崇めていながらこのような浮気をするようではその信仰心を疑われても仕方があるまい。しかも長野県に就職してからの方がイラストの腕も上がっているようだし。

ちなみに、田村氏によると、田村が描いた私の似顔絵にはとてつもないスゴみがあり、パワーが感じられるとのことだ。私も同感である。

熱いお便り

私がロッテルダム大会の速報チームhttps://world-tt.com/ps_info/ps_report.php?bn=132
に熱い写真を送りつけているのと同様に、私にも読者から熱いメールが届いた。

田村直洋という人で「条太さんの弟子の田村さんと親戚ではありません」とわざわざ断り書きをしてきた。彼の文面をそのまま紹介しよう。

「水谷の優勝を公言される条太さんには申し訳ないですが、今回こそはボルがシングルスで優勝します。王皓、馬龍を下した水谷と、張継科を下したボルとの決勝で、4-3でボルが劇的な優勝を遂げる、というシナリオです。ドイツ初のシングルス世界タイトルをもたらしたボルは、国民的英雄になるのです。
非国民などと言われそうですが、私の中でボルは特別な存在なのです。私が高校で卓球を始めたとき、若干18歳であの天才ワルドナーを倒したボル。僕の卓球は、常にボルの成長とともにありました。ボルは私の見本であり、憧れであり、神であります。そのボルの集大成とも言うべき大会がロッテルダムなのです。今回ばかりは、譲れません。」

ということである。譲るも譲らないもないと思うが、いやはやなんとも異様な迫力である(むしろアブないんだが)。彼はボルを神と崇めている証拠に、卓球レポート誌に何度もボルの似顔絵を載せているのだという。さっそく蔵書を調べてみると確かに載っていた。

私も人のことは言えないが、いろんな形の卓球ファンがいるものである(はたして卓球は練習しているのであろうか?)。

絵画指導2

指導と言っても、手取り足とり描き方を教えたのではない。考え方を示しただけだ。

私の考えでは、絵が苦手な人というのは、何かを見ながら描いたときに対象物の形を上手く再現できないことに失望し、自分で嫌になって途中から対象物を写し取ることを諦めて簡単な直線や曲線を引いてお茶を濁すか、途中で止めてしまう傾向があるのだ。

これは彼らが、絵を描く目的が対象物を再現することだけにあると思い込んでいるからだ。似顔絵描きや商用ポスターならともかく、絵の魅力は対象物の再現ではない。そもそも絵を見る人は対象物の実物を知らない場合も多いのだから、似てるとか本物みたいだとかいうのは実はどうでもいいことなのだ。対象物は単なるきっかけに過ぎない。もちろん対象物に何らかの思い入れがあればなお結構だが、その程度のものなのだ。

プロや芸術家を除けば、ある程度味のある絵を描くことは実は簡単である。それは、どんなに対象物に似なくても気にせずに対象物をよく見ながら諦めずに最後まで描き込むことだ。注意しなくてはならないのは、絶対に簡単な線や類型化した図形に逃げないことだ。たとえ何を描いているか分からないほど形が崩れても、その線が類型ではなく独自の線であれば、それは情報量の多さを示し、見るに耐えうる絵となる。人物画ならシワとかシミをしつこく描き込めばもうバッチリである。決してマンガのような類型化したパーツを描いてはいけない。

もちろん、このようにして描いた絵にも魅力的なものとそうではないものがあるだろうが、それは仕方がない。私が言っているのは、それよりずっと手前の「田村のアルマジロ」のような絵しか描けない人に対するアドバイスなのだ。

以上のようなことを講釈すると、田村も杉浦くんも「そういう考え方は初めて聞いた」と語った。私も聞いたことはないのだから当然だ。

このようなアドバイスをしてから田村に「俺の顔をよく見ながら描いてみろ」と言った。田村は10分ほど集中して絵を描き上げ「これまでの人生でこれほど真剣に絵を描いたことはない」と語った。それが下の写真だ。頭のいびつさと唇のゆがみ具合がなんともいえず味わい深く見事である。素晴らしいと言ってよい。絵が下手な人の絵には見えない。こういう絵でいいんだと本人が思えれば、絵はどんどん楽しくなるのになあと思う。

もっとも私自身は、対象物を再現する写実画が得意であり、その余裕が、歪んだ絵を面白がることにつながっているという面は否定できない。しかし、写実画を描けない人の不可避的に歪んだ絵が、たまたまではあるにせよ、魅力を発することもないとは言えないと思うのだ。

田村も杉浦くんも田村の描いた私の顔を「ただの下手な絵にしか見えない」と語ったが、この絵を面白いと思えないところこそが「絵心がない」ということの正体なのではないかと思うがどうだろうか。

絵画指導

連休中、田村と杉浦君と酒を飲んだ。彼らとは昨年末以来だ。

飲み会の席で、どういう経緯か忘れたが、絵心の話になった。私は小さい頃から絵を描くのは得意なのだが、田村と杉浦くんの両方とも絵が大の苦手だという。

そこで以前、藤原くんという同僚が描いたアルマジロを思い出した。宴会のゲームで、写真等を見ないでアルマジロを思い出して描くというゲームだったのだ。これが恐るべき面白さで、到底狙って描けるものではなかった(写真左)。

そこで、飲みながら、田村と杉浦くんにアルマジロを描かせてみたのが下の写真である。写真中央が杉浦くん、写真右が田村のアルマジロだ。杉浦くんのはミジンコみたいだが、特に絵が下手だとは思えない。田村のは確かにひどい。そこで、田村に絵の指導を行った。

バカにするなよ・・・

「スポーツデポ」の入り口には卓球台が置いてあった。

どこかの小学生の女の子が「福原愛だ」と言って台の前で「バシュッ」とか掛け声を出しながらしきりに素振りをしていた。そのフォームは卓球というよりはボクシングのようだった。この世代の女の子にとっては「愛ちゃん」ではなくて「福原愛」なんだな、と思いながら頬を緩ませた。

帰りがけに妻が「あ、卓球台おいてあるよ、写真撮らなくていいの?」と言った。もし私が撮ろうものなら「こんなのでも嬉しい?」と呆れるつもりなのだ。

こんなものは・・・もうとっくに撮っていたのだ。

気を吐くキラースピン

不覚にも息子がテニス部に入ってしまったので「スポーツデポ」にラケットとシューズを買いに行った。私が卓球のライバルだとひそかに認定しているテニスとバドミントンの用具売り場を見たが、やはり卓球より随分と売り場面積が大きかった。しかも卓球だけ表示がなかった。

テニスもバドミントンも大きなポスターが飾られていて、資本の臭いがプンプンしたが、卓球では唯一、キラースピンが比較的大きな飾り付けでがんばっていた。ユニフォームが置いてあったのはキラースピンだけだった。

卓球は用具の単価と数量の両方で負けているのだろう。悔しい。

シュールな光景

会社の近くはかなり片付いて、震災直後の面影は急速に消えつつあるが、ところどころにシュールな光景が残っている。

その一例がご覧の写真だ。教えてくれた同僚によれば、家の床下や壁の密閉性が良い場合に、水に浮いてこのように旅をするのだという。「だからこれは良い家の証拠なんだ」と同僚は言うが、いまさらそんなことを誉められても何の慰めになろうか。

グーグルマップでもちゃんと確認できたが、どこから流れてき
たのかは判別できなかった。