翌朝、脱出方法について紆余曲折を経た後、昼頃、水の中を徒歩で脱出する方針となり、無事に水のないところにたどり着いた。
会社の前の道路は信じられないような光景で、製油所はまだ燃えていた。
3kmほど歩くと、自宅に水の来ていない同僚の家につき、彼の車で妻の実家に送ってもらい、すでにそこに避難していた妻子と会った。義母が泣いた。
夕方、近くの製油所が爆発音を立てながら燃え出した。信じられない光景で恐怖に身がすくんだ。爆発音は一晩中断続的に続いた。
他にも町の3ヶ所から火の手が上がり、逃げ出したいが逃げ出せない状況になった。そもそも、逃げるところがあるのかどうかも分からない。
ともかく、地震と津波に関しては比較的新しく大きな今いるビルより安全なところはないと自分に言い聞かせ、机の下に入って一夜を過ごした。途中、どこかから煎餅が支給されて数枚食べたが、緊張で食欲はなく、万が一のときの体力維持のために喉を通した。
このときキャラメルを2個確保し、何日か後にここを脱出して、15kmほどある妻の実家に歩いて向かうときのエネルギー源として取っておこうと決めた(結局その前に食べたが)。
私の職場は海から最短距離で1.5kmほどのところにある。これは被災後に地図で確認してわかったことであり、普段は直接見えないので意識をしていなかった。
防災班の指示で6階建ての建物に移動をして間もなく、構内にゆっくりと水が流れてきた。ゆっくりではあるが水かさの増し方が見て分かるほどのもので、そのうち、車が流されてきた。上流には社員の駐車場があったので(右の写真)、大半はその車が流れてきたのだが、市道から人が乗ったままの車があったかどうかはわからない。
構内での水位は1.5mぐらいのところで落ち着いた。
とにかく記録するしかないと思い、写真を撮ったのだが、無事に避難してから、その中の一枚に、沈みかけた車にしがみついている老人が映っているのがわかった。位置からして、翌朝、遺体となって発見された方だ。
胸が痛むとしか言えない。
運よく死なずに済みました。
会社で地震に会い、社内防災班の指示に従って6階建ての建物に移って間もなく津波が来て1階の8割ぐらいいまで水が来ました。社員は全員が3階以上に避難していて無事でしたが、構内に駐車場から車が流されてきました。
流れが止まっても水は引かず、車の屋根などで助けを呼ぶ人がいて、社員が交代で0℃の水の中を泳いで助けに行き、3人は助けましたが、翌朝、一人が車の屋根の上で亡くなっていました。
家は海岸から1.5kmほど内陸にあるのですが、堤防の効果があって水は玄関の手前で止まりました。川の反対側は1階の半分くらいまで浸水したそうです。
現在はかなり内陸にある妻の実家に身を寄せています。
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
先ほど(13日14時頃)、
伊藤条太さんから編集部にお電話がありました(公衆電話から)。
ご家族も皆無事のようです。
以上お知らせでした。
卓球王国編集部
アメリカではウオッシュレットがあまり普及してないが、日本に来てウオッシュレットを使ったアメリカ人の多くがその便利さに驚嘆の声を上げる。中にはどうしても欲しくて、わざわざ取り寄せて設置する人もいると聞く。
数年前に死んだ祖母も「便利なもんだ」と喜んでいたのを思い出す。
私が初めてウオッシュレットなるものを知ったのは、たしか80年代末だったと思う。東京に遊びに行ったときに新宿駅の近くの公衆トイレにあったのだ。適当に入ったらなんとそこは有料トイレで、多少損した気分になっていたら、そういう装置がついているトイレだったので使ってみたのだ。初めての体験だったので、何かとてもくすぐったくて落ち着かなかったことを覚えている。我が家には今もウオッシュレットはないが、会社や公衆トイレなど慣れているのでそのときの感覚はもう思い出せない。
ウオッシュレットといえば失敗談がある。息子がまだ5歳くらいの頃、実家に行ったときに、息子をトイレに連れて行ってウンチをさせた後、ウオッシュレットを使って驚かせてやれと思い、スイッチを押したのだ。すると、息子の尻があまりに細くて小さいため、勢いよく噴出されたお湯は息子の尻をかすめて上空に跳ね上がり、私の顔にかかったのだ。考えれば容易に予想できたアクシデントだが、こういう、失敗しても致命的ではない程度に危険なことは、あえてやってみたくなるのであった。
おかげで息子の尻に湯を当てて驚かすつもりが、自分が「うわっぷ」と驚くハメになったのだった。
中学男子なら屁などを得意になってするものだが、今日の次男の技には感心させられた。
屁を何発もしながら「うっ、あっ」などと銃弾を浴びたときのように腹を押さえたりのけぞったりしながら倒れるのだ。自分の屁の音を銃声に見立てているところが気が利いている。これが日本特有の「見立ての文化」である。
しかも実際には弾丸が打ち込まれるのとは逆に放出しているところが可笑しい。
このような遊びを初めて見たので、息子ながらとても感心した。