年別アーカイブ: 2011

叔母夫婦の被災

現在私がお世話になっている妻の実家に、今回の津波で家を失った妻の叔母夫婦が石巻から昨日、避難してきた。被災して以来、ずっと近くの中学校に避難していたのだが、今後しばらくはここに住むことになった。

70代後半の叔母夫婦は、地震が来たとき、家の近くのイオンスーパーで買い物をしていたという。レジに並んで1万円札を出したときに大きな揺れがきて、店内は大騒ぎになった。すぐに「津波が来るので逃げろ」となった。レジが動かないのでおつりを出せないと言われた叔母は1万円札を返してもらい、その上、商品だけ只でもらえないか聞くが、「それどころじゃない、逃げろ」と叔父に諭され自宅に向かった。

家に着くと仙台から近くの実家に帰省していた大学生の孫が飛び込んできた。一緒に車で逃げようというのだ。大急ぎで金庫の中からお金やら書類やらを掻き出していると、孫は「一度家に戻る」と言っていなくなってしまった。そのうちに、「水が来た」という声が辺りから聞こえてきて、向かいの家の奥さんが「上がっていいですか」と避難してきた。一度、叔母夫妻の家に入ったその人は、なぜか再び水位の高い自分の家の方に戻って行き、未だに見つかっていないという。看護婦をしている人だったという。

水はどんどん流れてきて、外に逃げるのは諦めて2階に避難した。孫が勝手口から飛び込んできて、3人で2階に上がった。水は2階の床上30センチほどになって止まった。3人はベッドの上で膝をかかえてそのまま恐怖の夜を迎える。

家や自動車などさまざまな漂流物が流れてきて家にぶつかる。横に長い家だったが、大きな車がぶつかってちょうど避難していなかった側半分がむしりとられた。大量に流れてきたオイルやガソリンの臭いが立ち込め、口が開いたままのプロパンガスのボンベが水上でシューシューとガスを噴出しながらねずみ花火のように回転している。引火とガス中毒が恐ろしくて、雪の降る中、一晩中窓を閉めることもできない。水の底の方で点滅している自動車のテールランプが心底不気味に見える。

余震の津波が来ると、遠くの松林からサワサワと音が聞こえてくる。そのたびにもう終わりだと思い「3人で死のう」と堅く抱き合った。

大学生の孫は隣の家でひとり2階に避難していた奥さんに声を掛けて一晩中励ました。その奥さんは家族5人のうちひとりだけ生き残ったという。

翌朝、水が引くと1階の台所にどこかの遺体が浮いていた。水が膝ぐらいになるのを待って、避難所である中学校に移り、昨日までそのまま着替える機会もなく避難をしていた。ここに来て地震後初めてテレビを見た、乾いた服と布団が夢のようだ、他に何も要らない、と言った。

幸い、息子夫婦も孫も親族はすべて無事であり、生き延びた嬉しさに、涙はまったくなかったが「こんな経験は1回で十分、1回も要らない」と語った。

愚劣な言い換え

被災者がインタビューをされると、ときどき「部落」という言葉が出てくる。部落とは「地区」をあらわす行政用語であり、方言ではない。ところがテレビではこれに「集落」という字幕があてられる。「部落差別」に対する配慮からだ。

部落差別は悪いに決まっている。これほど愚劣なものはない。しかし部落という言葉を避ける理由はどこにもない。

「部落」という言葉を「集落」という言葉に変換して字幕を打ち込むとき、ほんの少しも疑問に思わないのだろうか。

このような話を以前、職場の昼礼でも話したが、微妙な雰囲気であった。だいたいいつも浮き気味である。

復興の音

昨日は、あまりに頭がかゆいので、仙台駅前で見つけた個室ビデオ鑑賞店でシャワーを浴びた。仙台都市ガスはまだ復旧していないのだが、ところどころプロパンガスのために湯が出るところがあるのだ。個室ビデオ鑑賞店は初めて利用したが、インターネットカフェと同じようなもので、60分で1500円、DVDは6枚まで借り放題だった。シャワーはひとつしかなくて順番待ちだったので1時間半後を予約し、そのため、12時間2500円のコースを利用するしかなかった。これなら宿泊にも使えるので便利だ。これからも利用したい。それにしても、60分でどうやってDVDを6本も見るというのだろう(と、とぼけてみる)。

一昨日は開いていなかった、レストランやコンビニも開き始め、街は急速に日常を取り戻しつつある。相変わらずおにぎり売りが近づいてい来ると思ったら、どうも私の外見がいかにも腹を空かしているように見えるようだ。単に会社に行っていないのでヒゲを剃っていないだけなのだが。

「腹、空いてないぞー」と、この場でうったえておく。

被災レポート

一昨日、今野編集長からメールが来て、来月発売の卓球王国は災害への応援特集にするとのことで、私は通常の連載とは別に被災者としてレポートも書くことになった。

テレビや新聞では伝わらない私らしい内容をとのことだ。シリアスすぎるのは得意ではないしかといってユーモアを書けるはずもない。このブログのように淡々と書くしかないだろう。

メールをもらったあと電話で今野さんとゆっくり話したが、東京の方では仙台全体がテレビのニュースのように車がひっくりかえっていると思っているそうだ。外国となるともっと極端で、もう日本中で家屋が倒壊して死の灰が降っていると思われているそうで、今野さんには日本脱出のオファーが何人もから来たと言う。今野さんの家族分の飛行機のチケットを確保したという人さえいたらしい(そのわりに1枚足りなかったそうだが)。

昨日、仙台の街中に行って見たが、水と電気はすでに通っていて、開いている本屋はあるしタクシーも走っていた。街頭でおにぎりなどを売っている人たちがいたが、誰も見向きもしないで歩いていて、牛タン弁当とかおいしそうなものにだけは行列ができていた。この後におよんでグルメなのであり、街中では誰も飢えている様子はない。声を枯らして売れないおにぎりを売っている人たちの方がむしろ哀れな感じがした。

買う必要のない人が買う必要のない量を買っているために店に物がなくなっているのは、東京も仙台も同じだ。義姉の情報によると、呆れたことに広島でも無用な買い占めが起こっているという。事態が収まれば今度は家庭にも店にも在庫が大量に膨れて廃棄処分にせざるを得ないものが出てくるだろう。まったくバカバカしい。

「避難所に笑顔が戻った」か

震災からちょうど一週間。テレビでは「避難所には子供たちの笑顔が戻りつつあります」とやっていた。

他のところは知らないが、私の妻子が地震のあった日に一夜を明かした小学校に限ってはウソである。子供たちは初日から修学旅行気分の大騒ぎで大笑いをしている。他の場所で大勢が亡くなったこと、自分たちの先行きへの不安、こういったものを想像する力のない大多数の子供たちは不謹慎にも最初っから笑い、親に怒られていたのだ。

地震から一夜空けると朝の6時から体育館でバスケットボールをし、「おばあちゃんのところに行く」と言われた女の子は自分だけ遊べなくなるのが嫌で泣き、テレビカメラが来ると面白がってカメラの前に飛び出し、編集でカットされる。

テレビ局は、自分たちが語りやすいストーリーを作って放送しているのだ。今回に限っては、それが視聴者の同情を呼び、寄付や節電をしてくれることにつながるからいいのだが。

自然とテクノロジー

今回の災害について、必ずどこかのバカが「天罰だ」とか「人間のおごりに対する自然の戒めだ」とか言い始めるだろう。

理不尽な災厄に対して、どうにかして説明をつけて安心したいのだ。しかし世の中には説明のつかないこともある。これはただの自然現象であり、何者かの意思もなければ何かの報復でもない。地球は誕生以来、地層が90度も傾くような地殻変動を何度も経験してきたのだ。

人間がこれらに立ち向かうためにはテクノロジーしかない。科学しか有効なものはない。

神様や聖書を持ち出して納得したところでクソの役にも立ちはしない。そういう行為は亡くなった人たちに対する最大の冒涜である。私はそういう発言だけは絶対に許さない。まだ誰もそんなこと言ってないけど(石原知事は撤回したし)。

自宅の様子

地震から3日め、海岸近くにある自宅に行って見ると、郵便受けにニッタクニュースが届いていた。郵便配達がもうちゃんと機能していることに感動する。

水は駐車場のスロープの途中で止まっていたことが泥の位置で分かった。

同じ住宅地でほんの300mほど離れた家では1階の床に浸水していて、住宅地を出た道路の反対側(海側)では家ごと流されていたことを考えると、まったくただ運が良かっただけである。まったく偶然に我が家は水浸しにならずに済んだのだ。

仙台中心部に住んでいて被害のなかった田村とは連絡がしばらく取れなかったので、彼はわが家の位置からして私の家族5人のうち少なくとも1人は死んだと思ったという。私もそう思われているだろうと思っていたので、一刻も早く自転車で彼の家に自分の無事を知らせに行きたかったのだが、危険だから勝手な動きは止めてくれと妻に止められた。田村は田村で、自転車で私の家に行こうとしてやはり奥さんに止められていたという。「俺が死んだら全部お前にやる」と私が常々言っていた卓球の蔵書が気になったんだと憎まれ口をたたいた。

復興

黙々と復興に携わっているプロの方々には本当に頭が下がる。
彼らだって被災者なのに、地震の翌日、私たちが会社から脱出して歩いていると、地震からまだ24時間も経っていないのに、すでに重機を使って道路の泥を取り除き、壊れた自動車などを運ぶ作業がどんどん行われていた。

そういえば、まだ危険だとして我々が会社から脱出命令が出る前、数人の工事業者たちが我々が取り残されているビルの周りの深い水をかき分けて自分たちの仕事用のバンのところに行き、窓を割って工具を取り出して持ち帰っていた。

誰も彼もが余震の恐怖を振り払うようにして、あるいはそれを感じるヒマもなく、復興に向けて自分の役割をこなしているのに感動するとともに、ただそれを待っているだけの無力な自分が情けない。

民族の品格

テレビでは津波の惨状しか放送しないので、遠くにいる人はあたかも仙台全体があのような状況だと思っているようで、いろいろと心配をしていただいた。

実際には、地震自体による倒壊などの被害はほとんどなく(そういう家は一軒も見ていない)、津波の被害に合った沿岸以外の人たちは、ガスと水道が止まっている以外は自宅で不自由なく生活をしている。水とガスがないのは不自由だが、亡くなった方々や何もかも失って避難所で寒い思いをしている方々に比べたら何でもないことだ。風呂も入っていないが、ホームレスの人たちや探検隊など何ヶ月も入らないのだから騒ぐほどのことではない。これは前から思っていたのだが、思い込んだように毎日風呂に入るなんてのは単なる趣味のようなもので、なければないで何でもないのだ。

地震から3日めの夜までは電気が止まっていて携帯電話を充電できなかったのだが、近所のある家の人がソーラーの電気を道行く人に分けてくれていて、充電をさせてもらった。「ご自由にお使いください」と貼り紙がしてあり、イスまで置いてあった。

我々日本人は、こういう助け合うことが自然にできる民族なのだなと思った。

ヤフーのニュースで、災害時にも秩序だって冷静に行動している日本人に対して驚きの声が上がっているという。こういう日本人の民族性は、良し悪しではなくて単なる価値観の違いだと相対的に考えていたのだが、他国の人たち、中でも普段日本バッシングが激しい中国人や韓国人までもがちゃんとこれを「学ばなくてはならない」と感嘆の念を隠さないことにむしろ感動した。

なかでも
「英紙インディペンデントは13日付1面全体を日章旗を象徴する白と赤で満たし、英語と日本語で「がんばれ日本、がんばれ東北」と激励のメッセージを入れた。」
という一文に涙が滲んだ。

もうひとつ日本人自慢をさせてもらえば、どの海外メディアも見落としていることだが、我々のこの尊厳ある行動は、なんら宗教的なバックグラウンドに基づいていないことだ。神の法や死後の裁きの恐怖からの行動ではなく、狂信でもなく、あくまで人間が本来持っている良心と知性に基づいてこれだけの秩序を保っているのだ。

以前、アメリカ南部の敬虔なクリスチャンとどうして神が必要なのかを議論したことがある。ジョージア工科大学を卒業して知性あるその彼は「神がいなかったら、目の前で死にそうにしている人がいても助ける理由がない」と言った。私は「我々日本人は知性と良心だけによって助ける。人間に神は要らない。」と言って彼を怒らせたものだった。

また、息子たちの学校の女性教師は「地球温暖化も災害もすべて神の教えを守っていない人間への罰」と語っていた。今回の災害でもお悔やみをもらったが、心の底では「日本人はイエス様を信じていないからだ」と思っているに違いない。そのバカさ加減が悔しい。

被災4

王国編集部には初日の夜から電話を掛け続けていたのだがつながらず、心配をかけた。海から2kmしかない私の住所から考えて、かなり心配をされていると思っていた。

地震から3日め、公衆電話に1時間並んでやっと編集部に電話をし「私の追悼号は不要です」と無事を知らせた。

公衆電話の列に並んでいるときに見ていると、電話をしながら泣き崩れる人が何人かいた。次が私の番というときに、電話をしている人が話し終わって別のところにかけようとしたら後の方に並んでいたオバさんが「ひとり1件までですよ!」と怒鳴った。私は「そんなことありませんよ。複数のところに掛けたい人だっているんですから、手短かにすればいいじゃないですか」と言い、何人かがそれにうなづいたが「他にかけたいんだったらもう1回並んだらいいんですよ」とゆずらない。自分が1ヶ所しかかけたいところがないものだから、他人にはもう1回、1時間並んで掛けろと言うのだ。「みんな待ってるんですからね」とさもそれが公平なように言う。自分が早くかけたいだけなのだ。

無視して私は2ヶ所にかけた(本当は4ヶ所にかけるつもりだったが気まずくなってやめた)。

近所の八百屋でも、普段から自分勝手で有名だというおばさんがレジに横入りしようとして店員に拒否されていた。外国ならこういう人が多いのだろうが、日本ではごく少数だ。