泊まったホテルの朝食がふるっていた。なんと、焼きそば、パン、おにぎりと、これでもか、というほど炭水化物だらけだった。さすが無料サービスだ。
年別アーカイブ: 2011
えらい中学生
仕事でマーケティング関係の講演会に参加した。
男子中学生のリアルな消費傾向をつかむという調査だという。なぜ男子中学生かといえば、この世代に対する市場調査というのは意外と行われておらず、貴重なものだという。現在の中学生は生まれてこの方ずっと不況の時代に生きているとか、親がバブル世代だとか、そういった背景を含めて彼らの消費傾向の実態を調査したという、なかなか面白い講演会だった。
講演では、その中から一例として、ある男子中学生の例を紹介していた。その中にブランド意識の調査という項目があったのだが、驚くべき結果が発表された。「好きなブランドは?」という質問に対して、なんと「バタフライ」と答えていたのだ。
なんと気の利いたガキではないか。私は思わず「おお」と叫んだ(もちろん心の中で)が、発表者が「卓球のブランドらしいです」と言うと700人の聴講者たちから失笑がわき起こった。何がおかしいコラ!(無理もないが)
ともかく、偉い中学生もいたものである。偉い。偉いぞ。
しぶとい人たち
レギュラーコーヒー
最近買ったインスタントコーヒー、飲んだ後にコップの底にやたらに粉が残ると思ったら、わざとのようだ。本物のコーヒーの粉を入れることでコーヒー本来の香りを強く出すのだという。
「もはや、インスタントコーヒーではない」そうだが、インスタントコーヒーでもいいと思うのだが。ラーメンでもコーヒーでもインスタントにしか出せない味があるのだ。たとえばインスタントラーメンの麺のボソボソとした感じがたまらなく食欲をそそるときがある。あれは生ラーメンでは到底出せない味わいだ。インスタントコーヒーの粉っぽく香りが抑制された毒々しいまでの苦さも同様だ。インスタント製品はインスタント製品本来の魅力を自覚してほしいものだ。
溶けないインスタントコーヒーで思い出すのは、祖父のことだ。もう30年も前のことだが、どこからかレギュラーコーヒーの詰め合わせをもらったのだ。ところが祖父はおろか我が家の誰もインスタントコーヒー以外のコーヒーなど見たことも聞いたこともない。したがって淹れる用具がないのはもちろんのこと、それがインスタントコーヒーではないこともわからないのだ。当然のように祖父は、コーヒーの粉をカップに入れてお湯を注いだ。
祖父は5年前に亡くなったが、上唇をコーヒーの粉だらけにして「このコーヒ、さっぱ溶げね」と言いながらコーヒーの粉に覆われた湯面の隙間から無理やり汁をすすっていた姿を今もときどき思い出す。
それにしても、東北の寒村の根っからの農民である我が家に、レギュラーコーヒーなどという役に立たないものを送ろうと思いついたのは、一体どこの誰だったのだろうか。
歴史は死者で満ちている
呉智英が、マンガ家・水木しげるについて書いた文章がある。
「自分はラバウルへ行って初めてわかったんです。自分はあの戦争で生き残った。日本へ還ってこられた。でも、戦友たちは食料も薬もなく、ここで死んでいった。そして、自分だけ、今では何でも食べられて生きている。そう思うとですなあ・・・・」
戦争体験者は、誰でも自責の念を語る。シベリア抑留体験のある詩人石原吉郎は、それをあえて逆転させ「死者におれたちがとむらわれるときだ」(『礼節』)と詩った。今、水木しげるは戦後初めてラバウルを再訪した日のことを私に語っている。死んでいった戦友たち、生きのびた自分。
「戦友たちは、うまいものも食えずに若くして死んでいったんですよ。その戦地に立って、ああ、自分はこうして生きていると思うとですなぁ」
水木しげるは確信を込めて言った。
「そう思うとですなぁ、愉快になるんですよ」
私は遠慮なく笑い転げた。目から涙がほとばしった。笑いは止まらないままであった。
「ええ、あんた、愉快になるんですよ。生きとるんですよ、ええ。ラバウルに行ってみて、初めてわかりました」
これほど力強い生命賛歌を私は知らない。生きていることほど愉快なことがこの世にあろうか。歴史は死者で満ちている。しかし、自分は生きているのだ。なんと愉快なことだろう。
可笑しく、しかも深く感動的。私もこんな文章を書きたい。生涯の手本である。
読者からの手紙
編集部を通して、読者からの手紙が届いた。夕飯を食べながら読んで吹き出してしまった。
あまりにも面白いので、本人の許可を得て紹介する。
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私の出身高の部活では、球を拾った者が「すみません」と言って台についている者に返していました。近大のようなオキテがあったわけではなく、理解に苦しみました。一学年上の部長もそう感じていたらしく「どうぞ」で良いのではないかと言っていましたが、私が部長になっても変えることは出来ませんでした。祟りがあるような気がしたからです。当然のごとく、強くなることは無理でした。
伊藤秀己
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この掛け声自体が祟りだったとしか思えないのだがどうだろうか。
悲惨な工作
『がきデカ』のことを読んだ知人から「小学校のときの冬休みの工作で、何も作るものが浮かばず、苦し紛れにタミヤのキャタピラセットで戦車の下回りを作って上に肌色の発泡スチロールのがきデカ乗せて、チンポの大砲をつけたのを出したことがある」とメールが来た。
先生には怒られなかったそうだが、その悲惨な工作を見てみたい気がする。まだあるかどうか聞いたら「あるわけねえだろ」と返事が来た。そりゃそうだ。
田村信
「スポーツ用品ジャーナル」
珍しい雑誌を買った。その名も「スポーツ用品ジャーナル」だ。スポーツ用品全般についての雑誌で、ネットで見つけて取り寄せた。
卓球王国の原稿に厚みを持たせるための参考資料として買ったのだ。知りたかったのは卓球の用具市場の大きさが他のスポーツと比べてどれくらいなのかだった。矢野経済研究所というところがその調査を行っていて、そこから調査結果を買うと16万円もするが、それを雑誌の記事として載せているのがこの「スポーツ用品ジャーナル」というわけだ。
それにしてもこんな雑誌、いったい誰が買うのかと思ったが、考えてみると、街のスポーツ用品店には有用なのかもしれない。当然のことながら、用具市場の小さい卓球の記事はこの雑誌には一行も載ってはいなかった。
肝心の用具市場のデータだが、一応、知的財産だと思うので、あえて読み取れないような解像度で載せておく。
マンガの名作
息子たちが大笑いをしているので何かと思ったら『がきデカ』を読んでいた。
私は何事もしつこい性質なので、昔読んだマンガを今も本棚に入れてあってときどき読んでいるので、自然と子供たちも読むようになったのだ。
むろん、子供たちは今のマンガも好きで、『ワンピース』や『カイジ』が大好きだ。その彼らから見て今なお面白い昔のマンガとはどのようなものか聞いてみると、以下のような結果となった。
がきデカ ◎
トイレット博士 ◎
おろち ◎
魔太郎がくる!! ○
キャプテン ○
マカロニほうれん荘 ×
1・2のアッホ!! ×
アストロ球団 ×
まあ、こんなものだろうと思う。それにしても山上たつひこは天才である。当時中学生だった私も笑ったが、47歳になった今見てもちゃんと可笑しいのだ。おそらく当時とは別のところが可笑しいのだと思う。ギャグマンガで20巻もぶっつづけで面白さを保った作家など他にはいない。
マンガ家のいしかわじゅんが語っていたことだが、ギャグマンガほど辛いものはないという。前と同じことは出来ないし、ネタはどんどん消費されて書くことが無くなってきて、最後には一体何が可笑しいのか分からなくなってきて頭がオカしくなってくるのだという。毎週10も20もオチを考えていたらそうなるだろう。
しかしトップを走っているときの快感は格別で、自分は今世界の最先端にいる、自分より前には誰もいない、と感じたときの快感は比較するものがないという。同じくマンガ家の江口寿史は、連載中、ライバル視していた鴨川つばめと田村信しか目に入っていなかったという。世界にこの3人しかいないと感じていたそうだ。
私は映画でも音楽でもマンガでも、こういう裏話が大好きなのだ。ヘタすると作品そのものより好きかもしれない。
卓球もそうなんじゃないかって?ギクリ。