年別アーカイブ: 2011

結婚式

昨日は、アメリカで一緒だったアキラ君の結婚式だったのだ。
お相手は23歳の人だが、実は二人の最初の出会いは彼女がまだ16才のときで、アキラ君の趣味であるレースのサーキットでだったという。彼女はそこで事務関係のアルバイトをしていたそうなのだ。彼女はその時からアキラくんに運命的なものを感じていたのだが、付き合いには発展しないままアキラくんはアメリカ赴任になってしまった(さすがに16才ではまずかろう)。昨年、アキラ君が帰国して、大人になった彼女と会って、付き合いに発展したというわけだ(発展せざるを得まい)。

披露宴のクライマックスでは、新婦が母親に向けた手紙を涙ながらに朗読をしたのだが、私のテーブルにいた彰君の同僚3人が号泣していた。全国いたるところで見られる微笑ましい光景である。

披露宴の司会者は、「イクミちゃん」として有名だというテレビアナウンサーの人が務めていた。アキラくんのお母さんの知り合いだということだ。みんながスキをみて写真を撮ってもらっていたので、私も勢いにまかせて撮っていただいた。

卓球再開

震災で半年余り使えなかった町内の体育館が、やっと使えるようになり、先週の土曜から卓球を再開した。まじめに卓球をしたのは震災以来初めてだが、まったくブランクを感じなかった。これはつまり、震災前の「週に1回の練習」が、ほとんどやっていないのに等しい練習量だということを意味している。

先日のシチズンの皆さんとの会食をネタにして卓球王国の原稿を書いたが、編集の渡辺君に丁重にボツをくらった。その指摘はいつもながら的確で、言われてみるとまったくその通りだった。直したおかげでぐっと良くなり自分でも大満足である。

勘違い

会社の後輩の結婚式に行こうとして、礼服を着てネクタイを締めてご祝儀袋にお金を入れて出かけようとしたら、式は明日であることに気がついた。

行く前に気がついたし、早めに誤解したのだから大事には至らなかった。

田村のように、私の結婚式を1日遅く間違えて、式の当日に友人に電話をかけて親御さんに「もう行きましたけど」と言われたのではないからいいだろう。

甲状腺

「福島の子供が甲状腺に変化が見られた」とYahoo!のニュースに載っていた。

130人を調査したら10人に変化があったそうだ。変化があったというのがミソだ。
異常があったら異常があったと書くはずなので、おそらくこれはどうでもいい変化なのに違いない。そして、そもそも普通の子供たちは甲状腺の検査そのものをしていないのだしその紹介もないのだから、読者はこの結果が何を意味するのか皆目検討がつかないのだ。

それなのになぜこんなドキッとする見出しにするかといえば、人を驚かして注目させたいからだ。何日か前にも、「プルトニウムが通常の6倍検出された」と報道され、よく読むと健康には問題がない量だと書いてあった。こういうのは、世間に危険を知らせているようでいて、実はいたずらに不安を煽っているだけなのだ。

相対性理論の危機

それにしても面白い。
ニュートリノが光速を越えたという観測結果が出たらしいのだ。

これによって「この世の最高速度は光速である」というアインシュタインの相対性理論を覆すことになるかもしれないというのだ。こんな面白いことをボーアやファインマンが知ったらどんなに喜ぶことか。

もしこの測定が間違いないなら、我々はまた科学のひとつの大革命の現場に立ち会っていることになる。

何年か前のNHKの放送で、ある物理学者が「最後に否定されるのはひょっとすると相対性理論かもしれません」と言っていたのが思い出される。もっとも、実際に物理学をやっている人たちには大変な問題だろう。なにしろこれまでの理論の大前提が崩れるのだから。

そしてこういう大発見やら革命はこの後も人類が続く限り続くのだろう。
つくづく後に生まれたほうが得だと思う。

女性に嫌われる話し方

ヤフーのサイトを見ていたら「女性にイラっとされる話し方」という見出しがあったので読んでみて驚いた。それは以下のようなものだという。

【1】「ワロタ」「オモシロス」などのネット言葉を使う。
【2】「ぶっちゃけー」「よね? 」など全体におネエ口調を多用する。
【3】話しはじめに必ず「てゆうかー」を付ける。
【4】「でさぁー」「なワケー」と語尾を伸ばす。
【5】「あざーす! 」「ぱねぇ! 」などのギャル男言葉で喋る。
【6】語尾に「ニャー」「でちゅ」を付けて甘える。
【7】「○○だお」「○○なり」などアニメキャラのような喋り方をする。
【8】意味なく「なんか」「だから」と頻繁に言う。
【9】意見を言うとき「オレ的には」と話しはじめる。

どこにいるよこんな話し方するヤツ。
これは多分、めったにいない「悪い例」を示すことで読者の男性を「俺は大丈夫だな」と安心させる作戦ではないだろうか。

たとえばこれらの変わりに

【1】野球の話をするヤツ
【2】車の話をするヤツ
【3】ガソリンの値段の話をするヤツ
【4】天気の話をするヤツ
【5】占いの話をするヤツ
【6】UFOの話をするヤツ

などと書いたら支障がありすぎるからな。

甘味料論争

後輩の田村が、このブログで紹介した「砂糖は甘味料ではない」というのに噛み付いた。「甘味料には人工甘味料と天然甘味料があり、砂糖は天然甘味料ではないか」と譲らない。譲らないといわれても、大メーカーが食品表示義務に違反しているわけがないのだから仕方がないと思うのだが、とにかく私に文句を言うのだ。

それで、今日コンビニに行ってみると、例の商品は若干デザインが変わっていて、ちゃんと「人工甘味料不使用」となっていた。「ほほう、さすがに抗議でもきたかな」と思っていると、今度は別のメーカーが、砂糖を入れながら「甘味料不使用」と謳って売っている。「他社がやるならうちもやってやれ」とばかり商品企画をしたのだろうか。ほどなくこれも「人工甘味料不使用」と変更されるんだろうな。今後が見ものだ。

UVカットのスティック糊

封筒を出そうと思って家にある糊を探したところ、なんとも奇妙な糊を発見した。

糊のくせに、紫外線カットとか長寿命とか、糊の特性として有り得なくないもないが、微妙にズレた表現が並んでいるのだ。もしかしてリップスティックなのかとも思ったが、よく見ると「ランプ」と書いてあるので、「なんだランプか」と思ってフタを開けるとちゃんと糊であり、裏にも糊だと書いてある。

つまりこれは、糊の胴体に全然関係のない他の商品の宣伝が書いてあるのだ。こんなのは初めてである。しかし考えようによっては画期的なことなのかもしれない。すでに糊を買ってしまった人に糊の宣伝をする必要はないので、そのスペースを利用して、他の商品の宣伝をすればいいということなのだろう。

これを卓球用品に応用すると、たとえばラケットの柄に「ブリジストンの冬用タイヤ」などと書いてあるようなものだ。「カーボン入りの高純度ゴムがグリップ力を増す」とか「高速ドライブに最適」などと書いてあり、紛らわしいことこの上ない(実際、このUVカット糊もかなり紛らわしかったのだ)。

と、ここまで書いてから良く見ると「非売品」と書いてあることに気がついた。何かの景品だと思われる。さすがにこんな商品ないよなあ。

甘味料不使用

私は本来は、甘いものがとても好きなのだが、糖尿病の心配がある状態なので、我慢して砂糖やカロリーを控えている。

缶コーヒーも、練乳がたっぷりと入った「デミタスコーヒー」が好きなのだが、我慢をして無糖のものを飲んでいる。ところが最近、カロリーのない甘味料を使ったものが売っていて、あまり美味くはないのだが無糖よりはマシだと思って飲むことが多い。

今週「甘味料不使用」と書いてあるサントリーの見たことがない商品が売っていたのでさっそく買ってみた。まずは何カロリーなのかを見ようと缶の表面を探したのだが、どこにもカロリーが書いていない。せっかく低カロリーを売りにしているのに、そのカロリーを書かないとはどうしたことだろうと思ったが、ある記述を見て愕然とした。

原材料名の欄に、なんと「砂糖」とあるではないか。どひゃーっ。そ、その手があったか。砂糖は「甘味料」ではないということなのだ。これでは「ブースターは塗ってません」と言ってスピードグルーを塗っているようなものではないか。どうりでカロリーを書いていないわけだ。

あまりのバカバカしさに味がどうだったかは覚えていない。

石川B

先日、新宿で石川という学生時代の友人に会った。めずらしく卓球関係者ではなく、クラスの1年後輩で、一緒に映像作品を作った仲である。この作品があまりにもひどく、私はなかったことにしたいのだが、彼にしてみればそれが唯一の作品なので「そんなこと言わないくださいよ」なんて言う。実際、彼も奥さんにその作品を見せて「よくもこんなものを見せてくれたわね」と怒られたというほどひどい作品なのだ。

彼は現在、ある大手企業で営業をしているのだが、まったく出世の見込みがないという。彼によれば、営業で出世するためには4つの要素があるそうだ。それは、①知識、②経験、③人柄、④安定感 だそうな。そして、彼自身はなんと、この4つのうちひとつとして自分には当てはまらないというのだから豪勢な話である。確かに営業には最近移ってきたばかりだから知識も経験もないだろう。安定感に問題があることは学生時代の彼を知っていれば納得がいく。しかし人柄くらいはまあ「普通」なのでなんとかならんのだろうか。いまさら1つだけあっても焼け石に水だが。

ちなみに学生時代の石川のクラスには、もう一人優秀な石川というのがいて、二人を区別するために、優秀な方が石川A、彼は石川Bと呼ばれていた。このBに、単なる識別以外の意味が込められていたことは、本人だけが知らされていない。