先週末は、今野編集長の高校時代の卓球部の1年後輩のIさんという方とお酒を飲んだ。現在、単身赴任で仙台在住であり、私の連載やこのブログを愛読していただいているというありがたい方である。今野さんからご紹介をいただき、今回お会いした次第である。
当然、話は今野さんの高校時代の話になった。現在の今野さんや、以前、編集をしていた「TSP卓球トピックス」の内容からすると、卓球に関してあまり厳しい感じを受けないので、学生時代に荻村伊智朗の青卓会に入ったこととあまり結びつかなかったのだが、聞いてみると、かなりストイックだったということがわかった。
今野さんは高校2年のときに過度の偏食による貧血で、どんどんと持久力がなくなって、ついにはグラウンドを1周もできなくなって入院をしたのだという。治療の結果、よくなって退院すると、急に体力がつき、キャプテンとしてメチャクチャなトレーニングを部員に課し始めたという。ランニングは10キロ、腕立て腹筋うさぎ跳びなどをやりすぎなくらいにさせ、ついには今野さんの同期10人のうち6人が退部したという。その中には2番手、3番手の選手もいて、新人戦で地区ベスト4に入った選手もいたという。うさぎ跳びで膝を壊して退部した人もいたという。
厳しいのはトレーニングだけではなく、部活をやっていると急に集合をかけて並ばせて、「おまえらタルんでるぞ」と説教をしたりもした。卓球レポートを隅から隅まで読み込み、精神論にも余念がなかったらしい。
指導は高校を卒業してからも続いた。指導好きの卓球人によくある光景だ。今野さんはなんと浪人しているにもかかわらず高校に行って指導をしたという。Iさんの高総体のときには、あきらかに対戦相手のことを知らないにもかかわらず、相手ごとの「戦術」について便箋6枚にしたためた手紙を東京から送ってきたという。それくらいの創作能力がなくては卓球雑誌は作れないということか。
今野さんは当時、今ほどは持っている人が少なかった、カメラを持ってきて後輩のプレーを写したという。Iさんは、首を回してインパクトを見ているからエライと誉められたことを覚えているという。
今野さんの指導は卓球だけではない。音楽もだ。今野さんのベストセレクションのブラックミュージックを46分テープに入れては送ってきたという。それは「ベスト1」から「ベスト20」まで延々20巻にもなり、さらになぜかシリーズをあらため「ししゃも1」からまた10巻ほど続いたという。このあたり、私には今野さんの気持ちが痛い(イタい)ほどよくわかる。私の場合はビートルズを中心としたものだったが、ほとんど同じようなことをしては後輩に配っていたのだ。
今や世界卓球界を牛耳る今野さんであるが、そのルーツの一端を垣間見た5時間であった。