年別アーカイブ: 2013

ポール・マッカートニーのライブ

11月21日に、ポール・マッカートニーのライブを見に東京ドームに行ってきた。中学生のころから慣れ親しんできたポール・マッカートニーをついに生で見る時がきた。

水道橋駅に降りると、道路のあちこちにポール・マッカートニーの文字が躍っていた。さすがポール、道端にまでバカでかい看板がある、と思っていたらトラックだった。クルーのトラックだろうか。こんなギリギリに会場入りするわけがないから宣伝カーだろうか。よくわからない。

かと思えば、これからポール・マッカートニーを見に行こうとしている私に「来月のエリック・クラプトンとディープ・パープルはいかがですかー」などと声をかけてくるバカ者がいる。なななな、なにがクラプトンだ!こっちは今からポールに会いに行くのだっ!ポールだっ!

東京ドームには初めて行ったのだが、ドームに近づくと、当日券を買う人たちの列が何重にもなっていてさっぱりドームにたどり着けなかった。おまけに、係員たちが「最後尾の方々は開演までに入れないかもしれませーん」などと脅しのような言い訳のようなことを言っていた。

会場に入るときに、係員からポールヘのサプライズだということで折ると赤く光る棒を渡された。アンコールで歌われる「イエスタディ」のときに振って会場を赤く染めてほしいという。なるほど。コンサートではこうやってみんな棒を振らされているのか。今や私がその仲間入りするわけだ。何とも言えない違和感がムラムラと湧いてくる。ムラムラ感の理由を考えてみると、私にとってのビートルズは、そういう聞き方をするものではないからだ。

席はステージから遠い2階席だった。チケットが公開になってすぐに買ったのにこの席だ。どうやったら近くの席にできたのか聞きたい。

初めて見る東京ドームは意外に小さく感じた。こんな中で野球ができるのかと思うほどだが、やっているのだからできるのだろう。野球の芝生のところ全面にカーペットが敷いてある。気が遠くなるような作業だ。私は裏方の人たちの苦労に感謝しようという魂胆でこう思うのではない。単純に自分だったらこんなことやるの嫌だなあと半ば恐怖心で思うだけだ。

20分ほどじらされたあと、ついにポールがステージに登場した。遠すぎて肉眼ではほぼ見えないので、ステージの両脇に表示されたモニターを見た。一曲目は「エイト・デイズ・ア・ウイーク」だ。やはり鳥肌が立つ。曲は忘れたが、次々とビートルズの初期の曲をやる。やっぱり良い。「夢の人」までやる。「アナザー・デイ」までやる。「ラヴリー・リタ」までやる。「エリナー・リグビー」までやる。くそーっ(涙)。

良いがしかし、CDやDVDでの感動と大きくは違わない。ボールが肉眼で見えないことと、会場の盛り上がりがそれほどでもないことで、コンサートならではの部分が少なかったからだろう。私の見える範囲では立って踊っている人が一人いただけで、あとはおとなしく座って聞いていた。

ポールの声はとても70歳とは思えない伸びだった。20年ほど前の日本公演のCDとまったく何も変わっていない感じがした。「オール・マイ・ラヴィング」のときに、ちょっとキーが低いように感じたので、私も歌ってみたがまったくでないほどの高音だった。いくら70とはいえ、プロとでは勝負にならなかった。「温泉卓球しかしたことのない素人が70歳の木村興治に卓球を挑んだようなものだな」というフレーズを思いついて満足した。

亡きジョン・レノンに捧げた「ヒア・トゥデイ」ではやはり激しく感動して全身に鳥肌が立った。その鳥肌があまりにも強烈で、いつまでも胸のところがジンジンすると思ったら携帯電話が震えていた。卓球王国編集長の今野さんからだ。昨夜「明日はポールのライブに行きます」と言っておいたのにもう忘れている。着信ボタンを押して無言で携帯電話をボールの方に向けてやった。満足してくれたことと思う。

私の隣には明らかに20代前半の青年が座っていて、ほぼ全曲に合わせて首を振っていた。こんな未来ある青年がポールなんかに熱中していていいのかと少し心配になった。

それにしても、アンコールからの選曲がたまらなかった。「デイ・トリッパー」「ハイ・ハイ・ハイ」「ゲット・バック」ときた。そしてこれが終わって帰ろうとするポールとそれを引き止めて説得するメンバーのジェスチャーの末に始まったのが、「イエスタデイ」「ヘルター・スケルター」「ゴールデンスランバー〜キャリー・ザット・ウエイト〜ジ・エンド メドレー」だ。

「イエスタデイ」では渡された棒をバキッと折って赤く光らせて私も嫌な集団の一員と化した。こんなの嫌だよなポール、嫌だと言ってくれ。くそーっ(泣)。

などということや、どこかに話のネタはないかとか、いろいろなことを考えすぎて楽しめなかった感があるのでぜひもう一回見たいが、それは無理なのだろうな。こんなことなら会社を辞めて毎日東京公演に行くのだった。くそっ。

バーコード付きアメリカ人

先週の金曜、元同僚の就職が決まったというので、お祝い会を開いた。その同僚の奥さんが二次会から参加をしたのだが、そこに連れてきた英会話教室の講師というアメリカ人が面白かった。なにしろ腕にバーコードの入れ墨をしているのだ。シールを貼っているだけではなくて本当の入れ墨だという。彼は生涯このバーコードとともに暮らしていくのだ。銭湯で入浴を断られるリスクを冒してでもこの冗談を貫きたかったということだろう。

彼は仙台にもう8年も住んでいて、日本をかなり気に入っているそうだ。「日本の女性が好きなんでしょう」というと、彼は待ってましたとばかりに解説をし出した。彼も日本に来たばかりのころは日本の女性がとてつもなく魅力的に見えて舞い上がってしまったという。英語ではこれを「イエロー・フィーバー」と言うのだそうだ。ところがそれは最初だけで、いざつきあってみると日本人の女性は「トテモ、メンドクサイ」とここだけ日本語で語った。

アメリカ人の女性もかなりいろいろと主義主張があってめんどうな部分があるが、彼女らは明確にそれを伝えてくるのだそうだ。いわば最初にルールブックが与えられるので、こちらはそれを守っていればよいので楽なのだという。ところが日本女性は決してルールブックを与えてはくれない。「なんでもいいよ」と言いながら決してなんでもよくはなく、しかもそれを彼に伝えないのでさっぱりわからないのだそうだ。だからわけもわからず不機嫌になられ、大変に難しいのだという。

うーむ。それでなくても難しいのに、バーコードの入れ墨ではなあ・・・。

日本の良いところを聞くと、多くの外国人が言うように、安全なところだという。たとえば仙台の国分町のような繁華街なら、アメリカだったら90%以上の確率で銃をつきつけれられて金を脅し取られるが、日本だと自分が外国人なのでむしろみんなが避けてくれるという(これ、良いことだろうか)。

嫌なところもあって、外国人であることがいちいち目立つことだという(やっぱりか)。友人に店に連れて行かれたりすると店の人などから「アメリカ人の友達がいるんですか?かっこいいー!」などという展開になり、そういうのはもううんざりだという。自分が単なるマスコットとして扱われているような感じがするそうだ。

実はこの夜、マスコットどころか彼は思わぬ本領を発揮することになる。

昔の手紙

先日、学生時代の友人と久しぶりに会った。彼とは大学を卒業してしばらくして2回ほど会っただけだから、まともに遊んだのは卒業して以来であり、28年ぶりということになる。

久しぶりに会うにあたって、お土産として、昔彼からもらった手紙をすべてコピーして持って行った。こいつは私の名前をいつも間違えて「丈太」と手紙にまで書いてくるのだ。

電子メールがなかったあの時代には、重要なことはもっぱら手紙でやり取りをしていた。こういうものが形で残っているのは楽しい。なにしろ肉筆はその人の肉体と精神が反映されたものだから、その情報量は到底電子メールのおよぶところではない。

この悪意を感じさせるほどの乱雑な文字と、愚劣の極みともいえるどうでもいい内容が、彼の人となりを物語っている。

なぜだか全文が英語の手紙をもらったこともある。もちろん日本に住んでいるのにだ。さすがにこのときばかりは気が狂ったのかと思ったものだった。英語とはいえ書いている人間の頭の中身は同じなので、その内容は”CATCH GIRLS”などという単語が散見される愚劣な物であることには変わりがない。おまけに夥しい数のスペルミスがあり、最後の段落の3行目からは突然、”SOREKARA HISABISANI KING CRIMSON GA KIKITAI”などとローマ字になっている。ここで急に力尽きたのだ(笑)。なんたる根気のなさ。なんたる計画性のなさ。そしてこんな不完全なものを友に送り付けて「良し」とする大らかさ。大物だ。

学生時代は教授に「君みたいな学生は見たことがない!」と罵倒され、およそまともなことは何もしなかった彼だが、卒業後はヨーロッパや南アフリカを転々とし、今では私の2倍以上もの高給取りだ。

つくづく、大物は学業の枠には収まらないのだなあと思う。

仮処分

高3の次男がテレビのニュースを見ながら「俺も仮処分すっかな」と言った。「何の仮処分よ?」と言うと、「いや、なんだかわからないけどカッコよくね?仮処分って」だと。ダメだ。いよいよ本格的だ。

これを聞いた双子の長男は「わかるわかる。カッコいい。お父さんわからない?」だって。ブルータス、お前もか!

ガシアンと劉南奎のテレフォンカード

先日、「テレフォンカードは必ず使い切る」と威勢のいいことを書いたが、大学時代の友人と会うためにその友人からもらった手紙を整理していたら、なんとガシアンと劉南奎の未使用のテレフォンカードが出てきた。面目ない。

いまさら公衆電話は使わないから、これはこのまま保管しようと思う。

ええと、まいったか!

ある麻酔科医のブログ

「奇天烈逆も〜ション」でネット検索をしていたら(恥ずかしながらこういう検索を私は結構するのだ)、あるウエブサイトがヒットした。

その名も『麻酔科パラダイス』といって、神戸市内の病院で麻酔科医をやっている方のブログであった。http://www.pat.hi-ho.ne.jp/masuika-paradise/muda.html

ブログの中で、このブログについて触れているところがあるのだが、それがすこぶる面白い。紹介してみよう。

このホームページを作る上で私がお手本にしたのは、「卓球王国」という雑誌が作ってるサイトの中の、「奇天烈逆も〜ション」というブログである。書いているのはある卓球愛好家で、有名選手でもなんでもなく、家電メーカーの技術系会社員である。このおやじが、卓球だけでなく宗教とか音楽とか、あらゆることに好奇心を向け、いかにも理系人間らしい合理主義をふりかざすものの、根本にあるのは卓球に対する不合理なまでの情熱と「どこかずれてて笑えるもの」への渇望であり、結果として毎回わけのわからないオチがつくのである。まことに奇天烈なブログである。ひそかに師と仰ぎ、わがホームページをそのレベルまで近づけたいと願うものの、いまだまったく足元にも及ばない。

なんと、こんなところに私の隠れ弟子が!と、最後のところはちょっと自慢のために引用をさせていただいた次第だが、ご容赦願いたい。ブログから得られる手がかりでは、この方は私より2、3歳年上のようで、つまりご自分も十二分に「おやじ」のようである。ともあれ、文章が面白い上に内容も医療の現場をユーモラスに表現していてなんとも興味深いブログである。しかも言葉遣いが私の文章とよく似ていて、とても親近感を覚える。「俺、こんなこと書いたかなあ?」という感じだ。

私も卓球という狭すぎる題材ではなくて、医療とかもう少し一般性のある部分が得意だったら、ひと山当て・・・おっと失礼。

若さのメリット

ホンダ創業者である本田宗一郎は、問題に直面して落ち込んでいる若者に言ったという。「お前、何歳だ?27歳?そうか。俺はもう50だ。もし27歳に戻れるなら俺は500億払うぞ」と勇気づけたという。

こういう話には私はある一定の感動は覚える。と同時に「そんなこと言ってもなあ」という気持ちにもなる。私も20代のころ、そういう類のことを年配の人に言われたり読んだりしたものだが、何か素直には受け取れなかった。若くてよいことばかりではない。恥ずかしながら私は若い頃は死が恐ろしく、十分に人生を経験する前に死ぬことの無念さが気になっていた。しかも若ければ病気になったときの進行も早い。60、70になれば十分生きた気がするだろうし病気だって進行は遅いだろう。早くその年まで生きて安心したいと思っていた。

加えて「若さは宝だ」と押し付けられても、現実に金はないし能力もない。自分には何かあるはずだ、本気出していないだけだ、という思いはあってもあんまり何もできないし本気も出せない。出す対象も思いつかない。私の場合なら、試しに絵や漫画や文章を書いてみても我ながら箸にも棒にもかからない。

実際、50を目前にした今の方がやりたいことは何でもできる状況にある。金はあるしやりたいこともやれることも見えてきたし平均年齢の半分は生きたのでこれから何が起こってもそう不幸だと思わなくて済む。若くて有利なのは体力ぐらいのものだが、富士山に走って登るんでもあるまいし、体力が必要なことでやりたいことなどない。今更また20代に戻されて幸運な偶然に出会わず、卓球王国での連載もできず、病死などしたらたまったものではない。500億払うから(ないけど)このままにしておいてほしいと思う。

そういうわけなので「若さは宝だ」などと言われてピンとこなかったり引け目に感じたりしている若者たちがいたら、気にする必要はない。ほとんどの若者は何もできないし人生つまらないなあ、他の人だけ楽しそうだし若いのにやるべきことをやってない気がするなあと思っている。大丈夫。それが普通だ。とにかく病気と交通事故に気をつけて死なないようにしてほしい。

そして50になれば、50年の経験と思い出という宝が舞い込んでくるのだ(年金か?)。それでは90歳になればもっと良いかと言われれば・・・微妙だ。経験していないのでわからない。

宮澤賢治の言葉

何かと話題の多い「あまちゃん」に、宮澤賢治の曲が使われていることをご存じだろうか。「星めぐりの歌」という歌のメロディーが随所に出てくるのだ。音楽家でもない岩手出身の宮澤賢治のマイナーな曲をあえて使うあたりに、音楽を担当した人の遊び心が感じられる。「わかってるなあ」という感じがするわけである。

宮澤賢治といえば先日、1996年に放送されたNHKの宮澤賢治特集の再放送を見た。その中でひとつ感動的な話があった。畠山モトさんというご老人がいる。彼女は賢治にたった一度だけ会ったことがあるのだが、そのときに賢治にかけられた言葉が忘れられないという。賢治は当時勤めていた砕石工場の同僚の家を訪ねてきたのだが、そのときにモトさんがお茶を出したのだという。賢治が砕石工場に勤めていたのは昭和6年(1931年)で、この放送の時点で実に65年も前の話だ。有名人だったならともかく、まったく無名だった生前の賢治にたった一度だけお茶を出したときにかけられた言葉が忘れられないというのだ。

モトさんが父親に言われて賢治にお茶を出すと、父親はいつも他の客にするのと同じように「この子は母親がなくて、8歳ぐらいの小さなころから飯炊きから何でもこなしてよくやってくれているんです」と自慢話を始めたという。モトさんはその話をされるのが嫌で「また始まった」と思ったという。それを聞いた賢治はひとことだけ

「貧しさの影が全然なくて、優しい娘さんに育ちましたね」

と言ったのだそうだ。貧しい人にこんな言葉をかける人などいない時代であったから、モトさんにとってこの言葉は宝物であり生涯胸から離れることはないという。賢治の台詞を語るときのモトさんのこみ上げるものがあって言葉に詰まる様子が、彼女の思いが伝わってくる感動的な場面だった。

やはり賢治の言葉は並ではなかったのだ。

もっとも私も悪い意味でなら相手が一生忘れられない言葉を発したことがある。友人の奥さんが私の子供を見て「大きくなりましたね」と言ったときに私は「大きくなるのは当たり前だ」と言ったらしいのだ(覚えてないが)。奥さんはそれが衝撃的で忘れられないという。なんとも申し訳ない。

読者からのハガキ

10月号の卓球王国に「最近の私の記事が面白くないと編集部で評判らしい」と書いたためか、読者の方々からこれまでにない数の激励のハガキをいただいた。こういうハガキはいつもは2、3通なのだがいきないり7通も来て、連載を始めて以来の最高記録だ。

見ず知らずの方々からLOVEとまで書かれて(男性だが)執筆者冥利に尽きる。中には「逆モーションの連載が終了したら卓球王国を買うのを止める勢いです」と大変な鼻息のハガキもあったりして、ありがたい限りである。

「面白くないと言われている」というのも、まあひとつのネタとして書いたわけで、それほど強く言われているわけではないのだ。ある程度は言われているが・・・。

ちなにみ、いつもいただくハガキで面白いのは、結構な確率で「隠れファンです」とか「恥ずかしながらファンです」とかいうコメントがあることだ。隠れるかやっぱり。

スピリチュアル・カウンセラー

今朝、通勤途中に車で聴いたラジオで、スピリチュアル依存症について語られていた。一日中、風水らや占いをもとに行動を決めていて何も自分では決められない状態の人たちのことだ。気の毒なことだ。ちゃんと学校でそういうバカバカしいものをきっちりと否定しておかないから可愛そうな人たちが出てくるのだ。

続いてラジオではスピリチュアル・カウンセラーという職業を紹介した。そういう依存症の人たちを救うためのカウンセラーがいるのかと思って聴いていると、なんとオカルトを根拠にカウンセリング行う人たちのことだった。ひーっ!逆か!

こうなったらアレだな。卓球王国でもラバー占いとかラケット占いやったらどうだろうね。「バイオリンにテナジー64を貼っているあなたは他人に合わせてしまいがちだが芯の強い努力型」「ピストルグリップに粘着性とアンチを貼っているあなたはストーカーと紳士の二重人格を持った殺人鬼タイプ」なんてね(いるかそんなヤツ)。あるいは逆に、血液型と誕生日をもとに最適の用具を薦めるとか。担当はもちろん、用具のことなら文字通り裏も表も必要以上に知り尽くした祐だな。

どうだ編集部!

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